第36話 村の長タニアとジルドルという男

 村の結界が崩壊すると同時に村人達からいくつもの強大な魔法が放出された。

 魔法の一つはマグマのような超高温の炎、また一つは巨大な氷の槍、また一つは電撃の竜巻、また一つは空から降りしきる魔力の矢など――。

 彼らの考えられる限りの最強のヒトを殺すための魔法のオンパレードだ。

 例え同じ魔族同士で戦ったとしても、ここまで強力な魔法を一斉に浴びせられてしまえば、その場に立ってはいられない。

 時間稼ぎどころか勝利すら感じさせつつ、大量の魔力が過ぎ去ったばかりの崩壊した門の瓦礫の先を見つめた。


 ――しかし、このような一斉攻撃は他の魔族の村もやってきたことだった。


 「そ、そんな……」


 一人が声を発した。きっと、その一人が声を出さなければ、他の誰かが代わりに驚嘆の声を漏らしていたことだろう。

 土煙の薄くなった先に一人の男が立っていた。そして、その男の後ろには平然と兵士達と魔物が待機していた。

 先頭の男は黄金色の長髪に高い背丈、そして、黒いローブの下でこの世の悪意を具現化したような凶悪な笑みがデザインされた仮面を装着していた。

 金髪の男が全ての攻撃を防いだのか、男の周囲に魔力の残滓が残っていることだけは村の者達は気付くことができた。

 水を打ったような静けさの中でおもむろに、男が言った。


 「私の仕事は終わった」


 背中を向けた男と入れ替わるようにして、魔物が鳥類のようなふくらはぎの筋肉を使い高く飛んだ。そして、飛び上がった魔物は急降下しながら攻撃したばかりの魔族の男達へと向かって来る。それに倣うようにして、他の魔物達も一匹、また一匹と大きな跳躍をする。いずれも、今攻撃したばかりの男達を狙っていた。


 「散れ……――急いで逃げるのじゃ!!!」


 タニアの大きな声が聞こえなければ、動けた者は幾人も居なかったことだろう。

 ジルドルも咄嗟に落ちてくる魔物を簡単な魔法で攻撃しつつ、その場から離れる。しかし、判断が遅れた者は魔物が着地すると同時にその大きな口に丸呑みにされて咀嚼された。続いて犠牲になった者も、恐ろしい光景に腰を抜かしてただの餌になってしまうような者だった。

 続いて恐ろしい光景をジルドルは目撃する。魔族の男達を喰らった魔物は、姿が変容しさらに大きくなっていた。


 「くっ――! タニア様! 共に逃げましょう!」 


 魔法で土の壁を作り現れた魔物達をとりあえず捕獲したタニアだったが、一秒ごとに亀裂の入る土壁ではそう長くは持たないだろう。

 ジルドルはタニアの右肩を掴んだが、タニアは一本の右手でその手を払い、もう一本の右手でジルドルの体を突き飛ばした。


 「ここは、わしが抑える。ジルドル、まだ生き残りがいる内に一歩でも多くここから離れよっ」


 「何をおっしゃっているのですか!? ここにタニア様だけ残せとっ!?」


 「行け、命令じゃ。それに……ここにお主達が居れば、足手まといになるのは明白じゃよ」


 タニアがそう言うと、どこにそんな力があったのか魔法も使わずに四本の手で杖を一気にへし折った。すると、砕けた杖の破片が宙に舞い魔力の粒子が空気に溶けていく。


 「タニア様……?」


 「お主も言っていたじゃろ? わしも強すぎる魔力を魔導具で制御しようとした一人……。ならば、制御を解除すれば、相応の力を扱えるようになるというものだ。その分反動も多いが、全てが終わった後に反動の心配ができれば結構なことじゃろう」


 「タニア様のお力といえど、敵はいくつものの村を滅ぼしてきた集団! 危険すぎます!」


 余裕のないジルドルは気付くのが遅くなったが、タニアの魔力は少しずつ膨れ上がっていた。

 曲がっていた腰は少しずつ真っすぐに、しわの多かった肌は元のツヤと張りを取り戻し、白髪は花びらのような美しいヴァイオレットカラーの長髪を取り戻す。


 「――二度も言わせるな、行け」


 先程まで守るべき存在だった老婆の姿は無く、若々しい麗人の姿がそこにはった。目の前の麗人がタニアだったことを忘れてしまいそうになるほど、彼女の姿は活力と力強さに溢れていた。


 「どうかご無事で……。タニア様!」


 「アンタ達は私の家族も同然だ。……一人でも多くの命を救っておくれよ」


 口調までも若さを取り戻したタニアの声に押されて背中を向けてジルドルは走り出す。――直後、背後の壁が崩壊する音がした。



                 ※


 

 村人の避難は他の生き残りに任せたジルドルはタスクの元へと向かっていた。

 タニアの犠牲でもしかしたら村人は救われるかもしれない。だが、それではきっと近い将来に魔族の生きる道はなくなる。あの魔物達は、魔族と相性が悪すぎる。

 ここで人間達を止めなければ、近い内に魔族と人間は戦争になり、そして――負けるだろう。


 今ここで走らなければいけない理由は、逃げて生き延びる為ではない。現在も戦い続けるタニアを救い、この危機を打開する為の疾走なのだ。

 村の方から巨人の足音のように響く戦いの音を聞きながら辿り着いたのは、強い魔法の波動により地形を変えた村外れで――二十メートル以上深い陥没した地面の底にタスクが居た。


 「――タスクッ!」


 穴の底でうずくまるタスクからは、聖域のマナジストを爆発させたのではないかと思うほどおびたたしい量の魔力が溢れ出していた。

 魔族のジルドルでさえ、今のタスクに近寄ることは獰猛な獣の檻に足を踏み込むような恐怖を与えた。だがしかし、すぐに行かなければならないと判断した。

 村は刻一刻と壊滅の危機が迫っている、さらにはタニアのあの様子を見るに時間稼ぎにしかならないのだと考えられる。


 何もできない己に歯がゆい気持ちになるが、この事実を受け入れるしかない。

 滑り落ちるように斜面を下りながらジルドルは叫んだ。


 「タスク! よく聞いてくれっ! 村に兵士達が大勢やってきた! タニア様も戦っているが……そう長くはもたない! 身勝手な頼みだというの重々承知している……だけど、力を貸してくれ! 俺達を助けてくれ、タスク!」


 ジルドルの声が聞こえているはずのタスクは低い唸り声を出して背中を丸めていた。タスクの体からは、魔力の心得が無い者もはっきりと見えるぐらい濃い魔力が漂っていた。

 振り向いたタスクに殺されるのではないのだろうか、とジルドルは悪寒を感じていた。それでも、意を決して震える肩に手を伸ばす。


 「もう戦いに巻き込むとか言っている場合じゃないんだ……。今のタスクのままでいいから、俺達を――がっ!?」


 突然、ひゅんと強い風が吹いたかと思えば、ジルドルの指先から肩の辺りまでに痛みが走り、無数の傷ができると同時に鮮血が上がる。

 攻撃的なタスクの魔力は、ジルドルを外敵と判断して排除しようとしている。

 いずれにしてもタスクが立ち上がらなければ全滅する、と覚悟をしたジルドルは茨の中に手を突っ込んだように傷だらけになった右腕を引っ込ませて、次は左腕を伸ばす。


 「最初はお前のことを疑っていたが、今はお前を認めて受け入れた! 他の者もそうだ! タニア様だって、タスクを信じている! ……早くこっちに戻ってこい、タスク!」


 今度は鞭でぶたれたような衝撃がジルドルの左腕を襲った。タスクへと伸ばしかけた左腕は衝撃によって、ジルドルの背後へと吹き飛ばされる。強引に腕の方向を変えられて、激痛にジルドルは顔を歪めた。

 立っていられなくなったジルドルは地面に顔を押し付けた状態で、少しずつ気力を失おうとしていた。


 「俺の判断は間違っていたのだろうか……」


 トマスも帰ってこない、タスクも戦えるような状態ではない、村では無限に強化される魔物と戦うタニアが一人。

 他の村のようにここで終わるのだ、と不思議と静かに思ったジルドルは――死ぬ決心をした。

 機能を果たさなく両腕をぶらぶらと垂れたままで、歯を食いしばりながらジルドルは立ち上がる。


 「はぁ……はぁ……。お前が何を背負っているのか、もっと聞いとけば良かったのかもしれんな……俺は……後悔しているところだよ……会話の一つや二つしておけば……苦しみに気付けたかもしれないって……今だって……お前のことを利用しようとしている……本当にどうしようもない奴なんだよ、俺は……」


 一歩一歩、前進するジルドルに魔力の鞭が叩き付けられ、魔力の風が肌を切り裂いた。それでも、ジルドルは歩みを止めない。ここで足を止めてしまえば、全てが終わってしまう気がしていた。


 「どういう理由があれ、人間が到底扱うことのできない魔力を持つお前は孤独なのだろう。……何も知らない俺にも一つだけ分かることがある、お前の持つ優しさは本当の孤独を抱えた人間では出せないものだ。思い出せよ、タスク! ――お前は本当に一人だったのか!? お前には戻らなければいけない場所があったんじゃないのか!? お前を待っている人が居ることを、お前自身が一番知っているんじゃなかったのかよ!?」


 涙を流しさながら叫んだジルドルの声は、混沌のようなタスクの心に一振りの刃を落とした。そして、刃はタスクの心を切り裂き道を生み出す。


 「ジル……ドル……」


 意識が半分、内側のよからぬ者の意識と本来のタスクの意識、その狭間でタスクが目にしたのは――タスクの魔力によって――八つ裂きにされるジルドルの姿だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る