第9話 人魚殺し
「「――海と光のフロストライン!」」
ライナスとアメリアの声が重なる。二人は、成熟した魔法の使い手のように発声と魔法陣の出現がほぼ同時だった。
周囲を照らしたのは瞼の裏側にすら浸透しそうな強烈な発光。
「振り返らずに走ってください!」
注意をするアメリアの声が耳に届く頃には、背後に光を感じつつマハガドさんと並走していた。
馬車まではそう遠くはない、十メートル程で辿り着く。
その場の空気で人魚族の追手達の動揺を感じつつ、やけくそ気味に走りこむ。
「どけ! おらっ!」
突然の事に瞼を押さえるローブの男の一人をマハガドさんが太い腕を殴り飛ばせば、足を止めずに馬車に乗り込んだ。
二、三歩マハガドさんから遅れて馬車の前に到着した。だが追手の一人が仲間の異変に気付き、魔法陣を再度作り上げようとする。
考えるという段階をすっ飛ばして、魔法陣を組み上げる一人に突進する。
「だあああっ――!」
きっとこちらの世界では、魔法陣を作ることが銃を構えているようなものなのだろう。
戦闘のプロに素人丸出しで接近してくる俺に追手は動揺し、魔法陣ごと体当たりをした。
ぐぇ、という短い悲鳴を漏らす追手が男だと気づき、容赦は消え馬乗りになれば顔面に三発拳を叩き込む。
相手が沈黙したのを確認し、すぐ近くに居たもう一人を探せば追手の一人は早々に視界を取り戻しこちらを睨んでいた。
魔法陣を再生させる追手との間隔は、およそ五メートル程。距離を数字で考えると同時に駆け込む。
詠唱が終わり、魔法を撃たれるのが早いか、それとも、俺の子供のような喧嘩の拳が早いか。
「くそったれぇ――!」
後、二歩は足りない。
魔法陣が淡く発光する。アメリアが魔法を施してくれた時とは違い、酷く攻撃的な輝きだ。
その時点で、近づくことよりも避けることを考え、地面に左手を付きながら大地を転がっていた。
頭を下げたことと前進したことが幸いした。
放たれた魔法の球体は俺の頬を掠めて、彼方の大木を抉った。
前転したことで一気に距離を詰めることと回避に成功し、無我夢中で振り回した右手が追手の頬を打撃した。
あぅ、と声を漏らしてよろめく追手に追撃を試みようと今度は握った左の拳を伸ばす。
「なっ――!?」
すぐに魔法陣を解除した追手は、僅かに首を傾けて拳を回避すると俺の手首に自分の手を重ねて軽く捻り上げる。
「がああっ――!」
次に悲鳴を発したのは俺だった。そのまま、視界がぐるりと反転すれば容赦なく地面に叩き落された。
まともに受け身も取れないままで叩き付けられてしまえば、頭から足の先まで激痛が走る。
ようやく、そこで頭が回るようになる。
先程までは奇襲をしたことで相手を倒すことができたが、戦闘のプロ集団なら肉弾戦ぐらい鍛えているはずだ。素人のパンチなんて簡単に対処できるに決まっている。
鮮やかとも呼べる動作で追手は懐からナイフを抜くと、刃先を構える。
「やめろ! やめてくれ! 俺は……!」
死の間際、脳裏に浮かんだのは何気ない家族での夕食の風景だった。
「――うぁ」
目を閉じていた俺の耳に、人体から空気が抜けるような短い声が聞こえた。
一秒後には死んでいるはずだったが、脈が忙しく動き続けていることに気付き恐る恐る目を開く。
「ひっ――!?」
すぐ隣には添い寝でもするような距離に人魚族の女の身体があった。手にナイフを握っているので、その女が自分を殺そうとしていた追手であるということがすぐに分かった。
何より驚いたのは、女の胸の辺りから腕の付け根まで血で真っ赤に染まりどくどくと多量の血を流していた。
呼吸が難しくなっているのか、女は両目を見開いたままで口をぱくぱくと動かしている。その姿は、まさしく水槽の中の魚を連想させた。
「大丈夫か! 坊主!」
マハガドさんの声がしたと同時に太い腕は俺の腕を掴んで強引に立ち上がらせた。
足腰に力が入らなくなっていたが、マハガドさんによって何とか起立することができた。
「怪我はないようだな、何だ……人が目の前で死ぬのは初めて見るのか? 安心していい。殺したのは俺だ、お前じゃない」
動揺に気づきフォローを入れてくれるマハガドさんだったが、目の前で息絶えようとしている人魚族の女から目を離すことができずにいた。それは、死んでいく女に動揺しただけではない。女の体は傷口から徐々に石に変わっていってるのだ。
全身をコーティングするように傷口から石化していけば、瞬く間に人魚族の女を傷ついた石像に変えてしまった。
「一体、これはどういうことなんですか……。人魚族は死んでしまえば石になる……?」
「いいや、人魚族は死んでも石にはならねえ。死に様は人と一緒よ」
どよめきが聞こえれば、人魚族の追手達がざわついている。
自由を取り戻した彼らには怖いものなんてないはずなのだろうが、明らかにあちらからは尻込みするような気配を感じる。
「お嬢ちゃん、ライナス! こっちだ!」
マハガドさんに呼びかけられた二人は複雑そうな表情で駆け寄って来る。
「それが切り札か……。偶然とはいえ、呪いの剣に力を借りることになるとは皮肉なものだ」
ライナスから汚物でも見るような眼差しを受けるマハガドさん、正確には、その握った剣を注目しながら言った。
「おう、人魚殺しの剣メロウハルフ。刃には特殊な魔法を施した紋章が刻印され、人魚に掠りでもしたらすぐに石化しちまう。それに石化だけじゃない、人魚が使用する魔法も消滅させちまう代物なのさ。……まあ俺達人間が触ってもただの剣だから、徹底して対人魚族専用の剣てところだな」
一見するとマハガドさんの剣は綺麗な空色をしており、まるでガラス細工を握っているかのようにも見える。それでも、本来の力を発動した証明なのか、渦巻きを複雑に書いたような紋章が刃に浮かび上がっていた。既に試し切りは終わっていたようで、足元には馬車の周囲に立っていた二名の追手も石像に変わっていた。
「このまま馬車まで向かう! 乗り込むぞ! 人魚族の二人は、俺のメロウハルフに触らないよう気をつけろよ!」
全員とも異論はなかった。すぐさま馬車の荷台に俺とアメリアが潜り込めば、馬の手綱を握る為にラムサスとマハガドさんも続いた。
馬に鞭を打つ役目をライナスに任せ、マハガドさんは呪いの剣をこれ見よがしに掲げていた。一人、二人の追手は臆せずに魔法によって攻撃をしているようだったが、メロウハルフの力か飛来する魔法の球体や炎の矢もことごとく届く前に消し去ってしまう。
追手達の姿がどんどん遠くなっていくが、深く被ったローブの下の表情は読み取ることはできない。
ローブの下のことを考えれば、外見はそう自分と変わらなかったあの石になった女の顔が脳裏を掠めた。
「よっしゃ! このまま逃げ切れそうだな!」
「安心するのはまだ早い、ここから人払いの魔法を使う。……頼むから、その物騒な剣を引っ込めといてくれ」
「あ、ああ……すまねえな……」
いそいそと剣の刃の部分を近くにあった厚めの布で包んだマハガドさんは膝の上に剣を置いた。
先程から一言も喋らないことが気になってアメリアの方を見れば、酷く沈んだ表情をしていた。
「どこか怪我でもしたか?」
「ううん……。間接的でしたが……私は……人を殺してしまった……同族を……」
「アメリア……。だが、あれは仕方のないことだ。生きる為に戦った。……ただそれだけのことなんだ」
小さく頷くアメリアに、どこかほっとした気持ちになる。
危険な現場を何度も乗り越えてきたからなのだろうが、ライナスもマハガドさんも人を殺した事に何事もなかったようにしている。この世界では生き死には当たり前で、自分が異端なのだろうかと考えていたが、アメリアを見れば価値観はさほど遠くはなさそうだ。
既に二度危険を乗り越えてきた。後、何度こんなことを繰り返せば、姫叶に会えるのだろうか。
とても落ち着ける状況ではないというのに、いつしか俺の瞼は重たくなり、疲労や嫌な記憶を忘れさせるように眠りの底に落ちて行った。
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