Sorty.56 ユキの居場所

 空の高みは、さながら理想郷のような華麗かれいさをユキに見せつける。

 空の青と雲の白のコントラストは言うまでもなく、ところどころに雲の上に踊る虹色は彩雲さいうんだ。

 心奪われる鮮やかさ。

 天頂を見上げると、青い漆黒のような、どこまでも深い、吸い込まれそうなほど澄み渡ったダークブルーが彼方かなたへと広がっていた。


《私もこの景色は気に入っている》


「そう……よかった」


 薄花桜は同じ高度で旋回せんかいを続ける。

 緩やかに傾いた機体のキャノピーの向こう側、てのひらほどの大きさに、ニューポートが見えた。


「人間が住む場所とは、ずいぶん遠いなぁ……」


《あえて遠ざけた、とも言える……自制しなければならないのは、目に見えていた》


「自制……」


 何を意味するのか、明言されなくてもユキはわかってしまった。

 ぬいぬいの補給の間、仮眠を取った時。

 謎の男と女の声をユキは聞いた。


――宇宙人が己の星を捨てる決断をしたのは、確かチェレステのせいだったな。


 男に対し、女が答えていた。


――ビエンの翻訳では、大藍鬿雀たいらんきじゃく、と。


 それは意訳であり、直訳を彼女は男に解説していた。


――人を喰らう青い、鳥の形をした鳥ではないもの、という意味の名前で、宇宙人たちはチェレステを呼称している模様です。


――キジャク、中国の伝説上の人喰い鳥か。なかなか上手い名付け方だ。


 この時点では、ユキは彼らの会話を、夢だと思っていた。

 疲れが生み出したまぼろしに決まっている。

 そう考える方が自然な状況だった。

 チェレステが人を殺すのも、ユキは知っていた。

 だが、それは何かの正義に基づいているのだろうと、心のどこかで勝手に予想していた。

 戦闘と虐殺の違いが、ただの狩猟しゅりょう制限規定だということなど、ユキには考えもつかなかった。


「なんだか、複雑な気分」


《複雑?》


「薄花桜、私はずっと、薄花桜にお礼を言いたかった。命を助けてもらえたから」


《ありがたく受け取っておく》


「でも、薄花桜は人間を殺すものだったから……人間を守る者として、どう対処すべきか決めかねてる」


《人間の生き残りのためか?》


「そうとも言えるかな」


《ユキ、私たちとて生き残りに必死だ。食糧がなくなると分かっているのに、何もせずにいられるか?》


「できないけど……!」


 気持ちはわかる。

 だが、自分が食い殺される可能性を示され、ユキは平静ではいられなかった。


「結局のところ、自分のことしか考えて――」


《そうだ。だからこそ、共存の道を探している》


「え?」


《チェレステが一般人を襲ったという話はないはずだ》


「確かに」


 薄花桜の声は誠実だった。


《見境なしに食いまくるバカはどうにか抑えた。せめてもの誠意だと思ってくれ》


「……ありがとう? でも、どうやって?」


《”総体”は物理的にあのバカ共を抑えている》


「首輪をつけているわけではないよね」


《一回完全に合体してしまえば”総体”の性格だけに統合されるかと思ったが……結局のところ、できたのは平和な時はなにもしない、虐殺をしたものは殺してよし、戦闘には基本参加しない、というルールに従わせることだけだった》


「そう……」


 薄花桜の答えは、何もかもがユキには想像のつかないものだった。

 驚きに度肝どぎもを抜かれた、というよりも、人間ではありえない思考だ、と本能が理解をこばむような。

 どこまで寄りおうとも、永遠に消えることのないみぞがあるとユキにはわかってしまった。


「薄花桜、私は人間だよ」


《わかっている》


 種が違うから、というわけではない。

 犬猫や人間であれば飼う飼われるという不公平な関係であっても、お互いに楽しくやっていくことはできるだろう。

 だが、薄花桜とユキにとって一番幸せなのは、お互いに感情があると知らないことだったのではないか、とユキは思う。


「軍人の人間は、確かに同族を殺す。でも、少なくとも私は、同族を殺したくて軍人になったわけじゃない」


《ならば、どうして》


「薄花桜に会いたかったから」


 沈黙。

 気づけば彩雲は消えていた。

 そのかわり、雲のすきまから光芒こうぼうが下に向かって伸びる。

 天使のはしごという呼び名がしっくりくる、神々しい風景だ。

 やはり、ここは人間の場所ではないとユキは思う。

 天使といった、人間ではない強いものの場所だ。

 直感だったが、間違っていないという確信がユキにはあった。

 ここに人間が来ることもある。

 いま自分がいるのは、ガルーダの上昇限界、高度2万メートルあたりだろう、とユキは周囲の雲の形から判断していた。

 高度2万メートルの高空は、空気が薄く、ジェットエンジンの性能が低下する。

 飛べるには飛べるが、最高のパフォーマンスを発揮できないため、海洋都市同盟空軍は基本的に使わない高度だ。

 チェレステが発見されなかったのも納得である。


《ユキができる、と言うなら、私たちの仲間になることを誘うことも、選択肢としてあり得た》


 感情を押し殺した声が沈黙を破る。


「ここは綺麗きれい。だけど、私が居たい場所じゃない」


《生存できない、ということか?》


「もしかしたら、生きられるのかもしれない。薄花桜流の『食べ方』とかをやることができたら」


《……ユキ、私がそれを期待していない、と言ったら嘘になる》


「でも、ここには私の仲間がいないから」


《仲間?》


 そうだ。仲間だ。仲間がいたから、ここまで頑張れたんだ。

 ユキの脳裏に、懐かしい顔が思い浮かぶ。


――守ってくれるよね、ユキ。学校の時みたいに。


 リッカ。数週間会っていない。叶うなら、また。

 バーグ少佐にも会いたい。

 あと、整備員同士の関係がどうなったのかも気になる。

 断じて男同士だからというわけではないが。


「リッカ、バーグ少佐、司令、整備員さんと……撃墜されてしまったけど、ぬいぬい」


《わかった》


 薄花桜は機首を下げる。

 旋回せんかいのたびに、ダークブルーが色を失っていく。

 あい色からこんへ。

 そして、地上から眺めているのとほとんど変わらない空色に。

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