Sorty.53 薄花桜とぬいぬい

 薄花桜は一定の速度で海上を飛ぶ。

 計器がないから正確なところはわからないが、目測からして、約500フィートといったところだろうか、とユキは概算がいさんする。

 アリスに伝えられた通り、水平線上の太陽が昇る位置と、ニューポートを繋いだ線上のコースを薄花桜は飛んでいる。

 ユキが指示したわけではない。

 薄花桜が自分で決めたことだ。

 それにユキが口を挟む余地は全くなかった。今もほとんど遊覧飛行だ。

 ガルーダを自動操縦に切り替え、コントロール権をぬいぬいに渡すのとは全く違う。

 薄花桜に全て預けてしまった状態だ。

 凄まじい不安で、ユキは体の内側から凍りそうだった。

 薄花桜の与圧や気温調整がまずいわけではない。

 どうしてここまで怖いのか、ユキは自分でも不思議だった。

 薄花桜は、ニューポート空爆を防げる力を持っていて、自分に対しても好意的だ。

 敵が見つかるまで遊覧飛行状態だったことも、今までにある。

 嬉しいはずの現状なのに、ひたすら恐ろしい。

 薄花桜は容赦ない。あっさりと2機の戦闘機をユキの目の前でとしてみせるほどだ。

 薄花桜は強者だ。頼れる味方になってくれてよかった。

 ユキは今さらゾッとした。

 薄花桜は海洋都市同盟空軍に所属しているわけではない。

 ユキに助太刀すけだちしてくれる物好きな非軍人。

 ユキなどかなわないほど強く、好意的な他者。

 それが薄花桜だ。

 ぬいぬいは、分身だった。

 ユキの中に、その言葉は突然浮かんできた。

 まるで青天の霹靂へきれきのようなひらめきだったが、やけにしっくりきた。

 失ってわかった。ぬいぬいは、自分のことを誰よりもわかっていた。

 いや、自分を誰よりもわかっていたわけではない、とユキは考え直す。

 ぬいぬいは戦闘機パイロット補助AIだ。


——あれは……精神的なものだから。なんだか、全部怖くなっちゃって。


 初出撃のとき。吐いてしまったことをユキがぬいぬいに言った時。


——全部怖くなっちゃって?


——ぬいぬいを使って、人を殺した。そんな力があるって、わかってしまった。なのに、私はあの日の無力な女の子の気分のままで、空を飛んでいた。


 そう。もう一方的にやられるだけではないのだ。

 やられたらやり返す。

 むしろこちらから仕掛けて、相手をやっつける。

 それが戦闘機パイロットであり、今のユキだ。

 そう、決意したことをぬいぬいに伝えたら、突然謝られて困惑したものだ。


——ごめんなさい、マスター。ぬいぬい、失敗しちゃいました。マスターを支えられませんでした。


——失敗?


——はじめから、そのためにぬいぬいは在ります。戦闘機パイロットを支える、ということは、武器としてパイロットの意図通りに動くだけではなく、パイロットを戦士として肉体、精神共に最適の状態にサポートする、ということなんです。マスター。


——なにそれ。


 ユキは凄まじい不快感を覚えた。

 日常というおおいが破れて中のおぞましい何かが姿を現したかのような、ずっと目をそらしていた何かを突きつけられたような。

 同時に、足場が崩れてしまった気もしていた、とユキは懐かしく思う。

 パイロットとは、操縦士という意味だ。

 飛行機を操るからパイロットなのである。

 だが、このぬいぬいの口ぶりは、飛行機がパイロットを操ろうとしている、とも解釈できたのだ。


——ぬいぬいが力足りなかったから……マスターに要らないストレスをかけてしまいました。すみません。


——要らないストレスって……なによそれ。笑って人を殺せとでもいうの?!?!


 ユキは声を荒げた。

 だが、そうなのだ。

 ぬいぬいは、空では正しかった。

 日常がおおっていたのは、空は人間性で生きていく日常とは違う、ということだった。

 容赦ようしゃなさが空での生死を決めるのだ。

 ぬいぬいが隣にいたから、私は戦闘機パイロットとしてあれた。

 ユキは痛感する。

 アリスを助けたのは戦闘機パイロットとして正しかったのか、ユキにはわからない。

 ぬいぬいがいないから、私は心細い。

 薄花桜に対して、そんなことを言えるはずもない。

 自分の腕を使えず、しかも敵編隊がどこにいるのかさえもわからない。

 ただ、ユキは焦りをつのらせていく。


「どうすればいいだろ、薄花桜」


《見張りを。ユキ。私には彼らが識別できない》


「わかった」


 空は刻々と姿を変えていく。

 夜空の濃紺のうこんと、大気中を最も長くつらぬいてやってきた緋色ひいろの光が織りなす夜明け前のにしきはもはやない。

 太陽が完全に姿を、全てが朱色に変わる。

 水平線の白金色の輝きの中に、一点黒いものが見えた。遠い。


「見えた!太陽を背後に、いる!」


《でかした!》


「つっー?!」


 薄花桜は加速。加速Gがユキの体にかかる。骨が軋みそうな圧力に、悲鳴も出ない。

 痛みに意識も遠のく。

 不意に、圧力が消えた。


《大丈夫? ユキ》


「死ぬかと思った」


《よかった生きてる。さて、どうしようか?》


「どうしよう、って?」


《どれから始末するか、という話。左を見て》


 ユキは薄花桜の指示通り、左を見る。

 一気に撃破されることを避けるために、機体と機体の間隔を広く取った敵編隊がそこにいた。


「本当にいた……」


《ユキ、爆撃をやろうとしている機体はわかるか?》


「たぶん——」


 ユキが推定しようとしたとき、頭の中で声が弾けた。


《チェレステの反応があります。チャンスです》


《なんだって?! ビエンにデータを送らせろ!》


 いつかの男と女の声。バレている。

 ユキは背筋が冷えた。


《了解。早期警戒機にやらせます》


《何だ? 空電ノイズか? 話し声にも似ているが、”総体”ではないな?》


 薄花桜の声には疑問がにじんでいた。


《何かが混線したようだ。どうした?》


《ありえません。この通信方法は、既存の電波妨害の影響を受けません》


 男のいぶかしげな言葉。女の方にも心当たりはないようだ。

 もしかして、薄花桜と謎の会話の両方を意味があるものだと分かっているのは、私だけ?

 ユキは息を吸い込む。


「薄花桜、まずは早期警戒機をとして! 理由は後で説明する!」


《わかった。どれだ?》


 ビエンの早期警戒機は、ユキの予想に反して既存のジェット飛行機だった。

 巨大な棒を背負った灰色の旅客機、と言った風な見た目だ。

 しなった翼の下に、エンジンが2発吊り下げられている。


「あれ。あの普通の飛行機!」


《了解》


 薄花桜が答えるやいなや。

 早期警戒機の機首部分が、斬首ざんしゅされたかのように海に落下した。


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