Sorty.50 刃を握るしかなかったウサギ

 あれは薄花桜うすはなさくらだ、とユキが言ったとき、ボーパルバニーは呆然ぼうぜんとしたまま、棒立ちになっていた。

 形がよく、みずみずしいくちびるが震える。


うそ……海洋都市同盟の連中は、大藍鬿雀たいらんきじゃくチェレステ空色って呼んでるって聞いたのに……ウチらの情報収集能力も、お察しだったってことか……」


「確かに、チェレステと呼んでるよ。普通はね」


 疑わしげに赤い瞳が揺れる。

 風に吹かれた髪が目や鼻にかぶさっても、ボーパルバニーは髪をかきあげようともしない。

 それどころではないのだろう、とユキは思う。


「普通……じゃあ、なんで」


 寝言のようにボーパルバニーはつぶやく。

 今の彼女には何もできない。ユキはそっと拳銃けんじゅうを拾い上げ、弾と弾倉を抜き、ベルトに挟み込む。

 今は脅さなくともいいだろう。

 それどころか、ボーパルバニーを捕らえている場合ではないかもしれないのだ。

 だからせめて、ユキはボーパルバニーに揺さぶりをかける。

 ボーパルバニー、いや、TACネームアリスの、幸せな生い立ちをしていない、年上の女に。


「アリス、私たちは、軍人だよ」


「海洋都市同盟の白雪姫スノーホワイトサマに言われなくたってウチはわかってる」


 アリスは視線をななめ下にむける。

 言い訳する子供のようないじけた口調と、態度。

 こんな子供っぽい女によって、何人命を落としたのだろうか、とユキは思ってしまう。

 あの時のバーグ少佐は、本当に悲痛な顔をしていた気がする。

 可愛らしいカフェには、似合わない顔だった。


——いい奴から、死んでいったな。今残っている同期は何人だ。


 トラオレさんの顔も、心なしか影があった気がする。


——ここにバーグとヴィラールで、南方に5人、西方に4人、中央に6人、生死不明が18人。


——164人中、生き残ったのが17人か。


 戦闘機パイロットの空は残酷ざんこくだ。

 ひとたび戦場に突入すれば、地上の、人間性といった価値観は全く通じない。

 強いものが弱いものを殺す。

 それだけだ。

 アリスは持ち前の容赦ようしゃなさも相まって、戦場で人を殺す才能に目覚めたのだろう。

 ビエンからすれば、アリスは恵まれない立場からチャンスをつかみ、社会不適合な才能を、空軍という場所で思う存分開花することができた、適材適所の成功例なのだろう。

 きっとしあわせなことだろう、とユキは思う。

 ユキがアリスの友人なら、きっと祝っただろう。アリスがまた敵を倒し、生還したことを。

 だが、その敵はユキの味方であるバーグ少佐の友人だ。

 ユキがアリスの武勲ぶくんを称えることなど、目に見えないビエンと海洋都市同盟のいがみ合いが消えたとしても、有り得ないのだ。

 怒りが込み上げてくる。それでも、今は恨み言を言うべき時じゃない。

 ユキは深呼吸。

 ただ冷静に、アリスを揺さぶるにふさわしい言葉だけを発する。


「だけど、それ以前に、人間でしょ」


「はあ?」


 アリスはキョトンとしていた。

 本気でユキが何を言おうとしているのか理解できない、という間抜けな顔。


「ウチが人間なはず、ないじゃない……人間だったら、あんな場所にいて、だれも何も言わないはずがない」


 いじけた声。女神像のように整った顔には全く似合わない。


「だったら、人殺しの集団にいないアリスは、アリスじゃないのかな?」


 ユキは司令のことを思い浮かべる。司令の言葉の選び方。柔らかい話し方。

 あれを真似ることができれば。ここに司令がいたらどんな風に話すだろうか。ユキはそう考えながら、アリスに語りかける。

 アリスの肩は細かく震えている。


「ウチ、そんなこと、わからないよ……命令に従っていればまともなご飯と寝床をもらえる、敵機を落としたらほめてもらえる、それだけだよ、ウチは」


「じゃあ、それだけのために死ねるの?」


「生きていたいから、やってるに決まってる!」


 ボーパルバニーの瞳に覇気はきが戻る。

 ユキと顔を合わせた直後の、全てを諦めたがゆえの自暴自棄な妖艶ようえんさとは、全く違う。


「命令に従うのも?」


「そうよ! 死ねと言われたなら、上官だろうと殺して生き残る!」


「兵士は命令に従うだけ、って言ってなかった?」


「だってそれしか、ウチはまともな場所で生き残る方法を知らない! それがダメなら……全部殺すしかない」


 ほとんど悲鳴だった。

 切れ長の目尻に輝いたのは涙だろうか。端正な顔をゆがませ、アリスは叫ぶ。

 選べなかったのだ、とユキは同情する。

 ユキは、一般大学に入れることはできないけれど、と断られた上だったが、児童養護施設からいくつか働き口を提案された。

 その気なら、軍人以外の生き方もユキには選べた。

 だが。アリスは。

 よりにもよって広報官に拾われてしまった。

 ギャングに比べれば世の中に顔向けできる分、まともな仕事だ。

 だが、まともに福祉が仕事をしていれば、別の道も彼女の前にあったはずなのだ。

 全てが悪い方向に噛み合ってしまった結果だ。

 バーグ少佐の同期が戦死したのも、アリスがファイターパイロットをやっているのも。


「軍人である以前に、私たちは人間。だから、あれを個人的に何と呼ぼうと、自由」


 ユキは薄花桜うすはなさくらに手を振る。

 薄花桜うすはなさくらはユキにこたえ、左右に機体をかたむけ、バンクを振ってみせる。


《もうしばらく敵パイロットとの交渉には時間が必要か》


 懐かしい声。機械じみた話し方。暖かいものが、ユキの胸の奥から込み上げてくる。

 ユキは薄花桜うすはなさくらに向けてうなずく。


《了解。終わったら通知願う》


 薄花桜はユキたちの上空を、緩やかに旋回せんかいしながら滞空。

 戦闘機につきものの、雷や暴風に似たエンジン音はしない。

 潮風のそよぎや、小鳥のさえずりさえも聞こえる。

 やはりただの戦闘機ではない、とユキは確信する。


「話せるの? 大藍鬿雀たいらんきじゃくと?」


「どうだろうね?」


 アリスは敵だ。バレたとしても、正直に白状する義理はない。


「私のことはなんでもいいけど、今回のビエンのニューポートに対する攻撃は、大藍鬿雀たいらんきじゃくを呼び出したい勢力にビエン軍が操られた結果、だと言ったら?」


「なによ?!」


 アリスは


「ビエンの勝利のためではなく、血を流すことだけを目的とした攻撃だとしたら? それは一般市民の血だけではなくて、ビエンのパイロットの血も含まれていたとしたら?」


「上は、ウチを、殺そうとした……?」


 アリスは動揺のあまり、砂の上に膝をつく。

 朝焼けの光の中、長い黒髪が明るく踊る。

 もう一押しだ。ユキは口を開く。

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