Sorty.47 チェシャ猫嗤い

 夜明け前の岩場で、二人の女が正対している。

 片方は武器を持たず、豊かな黒髪をなびかせ、紅い瞳を細めていた。

 もう片方は武器を持ち、白い髪を結い、青い瞳を見開いている。


「市街地は、空爆しないんじゃないの——?!」


「さあねえ。ウチは、上にそう命令されたってだけ。ウチは言われた通りに戦うだけ」


 震えるユキに対して、ボーパルバニーは悠々と吐き捨てる。


「ひどい……なによそれ」


「非道なのは海洋都市同盟も同じでしょ。ウチの僚機は、三連続で殺されてる。さっきなんて、無人機の体当たり。わけわかんない」


「それは軍人同士だから仕方ないことじゃない! 一般市民だったら話は別よ! 人道的に間違ってるわよ!」


「一般市民を殺さないのが人道? おめでたいわね、白雪姫サマ」


「おめでたい?」


 アリスは立ち上がる。星の光を集めた黒髪がふわりと舞う。

 改めてアリスはユキと目を合わせる。

 くらりとしそうになるほどの美人だった。

 ユキが直接会った中で一番の美人だと思っているヴィラール少佐に勝るとも劣らない。

 アリスは、西洋人らしいメリハリのついたヴィラール少佐とは別系統の、アジア系の、エキゾチックな美人だ。

 時代が時代なら、傾城けいせいとして敵国に送られるような。

 紅梅色の唇が開く。


「資本主義は貨幣かへいがなければ成り立たない。食べられもしない紙と、道具にするには小さな金属のかけらが、貨幣。お金のこと」


「まあ、お金は大切よね」


「そのガラクタに価値があると信じる人間が世の中の大多数を占めているから資本主義は回るの」


「経済学の講義ならお断りよ」


「落ち着きがないわね、白雪姫サマ。ついでに言うと、需要が無ければ何を供給しても利益は生み出せない。要するに、物を欲しがる人間がいなきゃいけないってこと」


「なにがいいたいの」


「だから資本主義が成立するには、市場の保護が不可欠」


「はあ?」


「市場、つまりは人間の集まる場所の確保海面上昇によって狭まってしまったこの世界で、一番大切なこと」


 それはユキも知っている。


「都市の空爆は、市場を縮小させる行動。だから、軍が一般市民を殺したというフェイクニュースが一本流れるだけで、企業は国家に武器を売らなくなる」


「あら、よく分かってるじゃないの。白雪姫サマ」


「敵の戦意をなくすために一般市民を虐殺することは、もう役立たずの戦術のはずよ。もっと言うと、市街地空爆も」


 アリスは肩をすくめる。


「さあ? ウチもそれは不思議に思ったわ。なんでこんな古い戦術を使うのか。でも、いくら敵戦闘機を撃墜していようと、ウチは一兵卒よ。上の命令には従うだけ」


「どこの会社もビエンに武器を売らなくなるでしょう、そんな事をしたらー!」


 ボーパルバニーは、大声を上げて笑った。まるで映画の一幕のような、絵になる表情だった。

 その美しさがかえってユキには腹立たしい。


「さっすが、企業統治下のお嬢さんは考えることが違うわね。武器なんて国が作ればいいのよ」


「企業統治下なんかじゃないわよ!」


「どうかしら? 実質的にニューポートを支配しているのは、何だか言える?」


 反射的に言い返したユキに対し、さとすようにアリスは言う。


「政治経済の授業でもしているつもり?」


「わからないの? 白雪姫サマ? 自分の雇い主のことなのに?」


「バカにしないで! ニューポートは市民から選ばれた市長と、市議会議員によって行政が行われている!」


「そう。市民のご機嫌取りをしないといけない人たち。市民の生活の面倒を見なければいけないけれど、直接市民に収入を与える存在ではない。でも、市民の収入を保証しないとクビが飛ぶ、哀れな人たちよね」


 クスクスとアリスは笑う。なにこいつ。あったまきた。ユキは声を荒げる。


「好き放題言いやがって!」


「事実よ。で、市民に収入を与えているのは、何?」


 ユキは一瞬詰まる。


「それは、お店とか、会社とか……」


「ニュースで彼らが何をしているか聞いたことはないの? 物を売るだとか、給料を払うとか以外で?」


 ユキは考えてみる。

 リッカと部屋で見たニュース。あれはビエンが人工衛星を打ち上げたというものだった。

 上の命令でリッカとバディ解消した

 着陸をミスする前。

 訓練飛行でラジオのスイッチが入ってしまった時。

 あの速報は、何を意味していた?


——あっ、速報が入りました。速報です。夕雲コーポレーションの圧力により、ニューポート市長は労働時間規制法案を白紙撤回しました。


 この後。

 アナウンサーは、なんと言っていた?


——この議案は長時間労働の是正ぜせいを図るものでしたが、夕雲コーポレーションはこの法案を成立させたなら、ニューポートで行なっている全ての事業から撤退すると通告したため、市長は雇用の確保のため涙を飲んで——。


 あのニュースの意味は。

 長く人を働かせたい企業に、市民生活を守ろうとした市長が負けたのだ。

 ユキは今になって、やっと思い知った。

 あの時はうっかりラジオを流してしまい、バーグ少佐に皮肉られたことで頭が一杯だった。

 政治のことなど、考えられなかった。

 しかもこれは、単純な話ではないのだ。

 企業がニューポート市の政治をやっているわけではない。

 だが、企業は間違いなくニューポート市の政治を動かしている。

 市民の働き口を人質にすることによって。

 二重の構造があるのだ。


「ひどい顔。思い当たる節があるようね?」


 ニヤリ、とアリスは絵本に出てくる猫のようにわらう。

 星の光を照り返す海を背後に、アリスは女神の彫像さながらに立つ。

 青黒い海を背景に、底暗くボーパルバニーの瞳はくれないあやしく、暗い。

 ユキはただ、拳銃を下ろさず、彼女をにらみつける。

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