Sorty.33 蒼穹に棲まうモノ

 バーグが去り、ブリーフィングルームはしんとした空気に包まれる。

 殺気に満ちた高空にも似た、表面上は鏡のように滑らかだが、それは内側で無数の緊張が均衡きんこうを保っている空間。

 コマ送りのようにゆっくりと、司令が口を開く。


「チェレステとは、30年前の隕石いんせき落下と前後して空に現れた存在だ」


「チェレステ……って、耳慣れない名前ですね」


「ニュージーランドの南、ノヴァ湾にあったイタリアのマリオ・ズッケリ基地所属の海洋生物学者が、巨大な水色の不明飛行物体UFOを発見した。彼はそれを、空色チェレステと呼称した。異国の色の名前だ。聞きなれないのも当たり前だよ」


 海洋都市同盟では英語ベースの人工言語、共通語を使っている。

 異国の色、と聞いてユキは薄花桜を思い出す。日本語の、春の空の色。


「人間の前に現れる時は何故か戦闘機の姿をしている。チェレステに対して空戦を挑んだ者のうち、生きて帰ってきた者はいない」


「それは、敵の反重力エンジン搭載機でも、ですか?」


「ああ。チェレステは……瞬間移動する」


「瞬間移動?」


「だろう、と言われている。チェレステの後ろに食らいついたと思ったら瞬く間に位置を逆転されて殺される。本当に存在しているのかどうかさえも分からない。肉眼では見えるが、レーダーに映らない。ステルス機のようにレーダーに映りづらいわけじゃない。本当に透明なんだ」


「何も、分からないんですね」


「ただ一つ判明しているのは、チェレステは虐殺ぎゃくさつが起きると出現するということだ。無数のセルリアンがな。そして、人間を殺した人間を全て殺し、消える」


「……まるで死神じゃないですか」


 死神、という言葉でユキは思い出す。確かカフェで、バーグ少佐の友達が、水色の死神と言っていなかったか?


――空にはボーパルバニー以上に恐ろしい敵がいるって話はしたのかい? グセイノフを殺した――水色の死神のことだ。


――ええっと……ボーパルバニーって、金色の懐中時計を持った白ウサギの描かれた機体のこと、ですか?


――そうだ。奴を見た仲間は、7割が撃墜、2割が未帰還、1割が生還だ。ボーパルバニー首狩りウサギって呼び名はそこからきている。


――グセイノフさんって、どんな人だったんですか?


――グセイノフは同期の中で最強だった。次点はヴィラールだったな。


――てことは、水色の戦闘機は、ボーパルバニー以上の敵エース、なんですか?


――敵、なのは間違いない。だが、ビエン所属のものだとは思えない。


――なんですかそれぇー! わっけわかんない。


――その通り。物資集積場所を焼き払うだけだった。敵の要撃機ようげききもいないはずだった。なのに、やつが現れた。


――やつ?


――水色の戦闘機だ。気づいたらグセイノフのコックピットが見えない刀で斬られたみたいにごっそり削ぎ落とされていた。アラートの一つも鳴らなかった。ただ、凄まじい殺気を感じてアフターバーナーに点火して、加速した瞬間、まるで空中衝突にったような激しい衝撃が来て、後ろを振り返ったら……垂直尾翼と、エンジンノズルが、消えていた。


 そのさまは、ユキを助けた薄花桜うすはなさくらによく似ていて。

 テロリストに追われていたユキを助けた、あの声。


――ユキ。耳をふさいで伏せなさい。


 直後、ヒュンと風を切る鋭い音と、果物がテーブルから落ちた時のような、湿ったどさりという音。

 ユキが振り返ろうとすると、また声がした。


――見ない方がいい。耳を押さえたままこっちにおいで。


 刀で斬られたようになくなっていたという、隊長の親友のコクピット。

 ユキの聞いた、風を切る鋭い音と、湿った嫌な音。

 あのとき、ユキの背後には殺意に燃えるテロリストがいた。

 見ないほうがいいという薄花桜の言葉。

 あのとき薄花桜はテロリストを斬り殺したのだ。ユキは確信した。

 そして、薄花桜は空色チェレステである。


――私/個体には名前/個体識別用呼称は無い。


 薄花桜はそう言っていた。だからユキは薄花桜という名前をソレにつけたのだ。

 薄花桜のような存在が、複数いるのだ。

 そして、彼らはためらいなく人を殺す。

 薄花桜かどうかは分からないが、薄花桜の同類がバーグの親友を殺したのだ。


 ――どうしようもないから緊急脱出して、着地した時に左足を岩に持っていかれてね。傷痍しょうい除隊ってわけさ。


 トラオレはカラカラと笑う。しかし、その目はくやしげだった。


 ――バーグ、君はどうやってアレから逃げたんだ?


 ――正直言って、分からん。俺はアレだ……ほら、地上攻撃担当ではなく、ヴィラールと二人で護衛をしていただろ。それで……なんだ。お前が緊急脱出をコールした時、その空域には俺とヴィラールしかいなかったぞ?


 本気でトラオレは驚いていた。

 そういえば薄花桜うすはなさくらは本当に、エンジン音とともに飛び去ったのだろうかとユキは考える。

 飛行機について調べるうちに、10回以上エアショーにも行った。

 チョイダット基地航空祭の時は、ニューポートからチョイダット基地まで、無料シャトルバスが出る。

 児童養護施設の子供だったユキには、お金のかからない貴重な楽しみだった。

 体に響くエンジンの轟音ごうおん。鋭い吸気音。華麗かれいな曲技飛行。

 懐かしく、楽しかった幼い日の記憶だ。

 飛行機とは赤くエンジン排気口を光らせて、かみなりのように大きな音を立てて飛ぶもの、と思っていた。

 だが、薄花桜が飛びながらそんな音を立てていたとしたら、どうして薄花桜がテロリストの首を切り落とす音が聞こえたのだろうか?


「司令、チェレステの攻撃は、もしかして、という形なのではありませんか?」


「バーグから聞いたのか?」


 揺れた瞳は雄弁にユキの問いかけを肯定していた。

 ユキは質問を続ける。


「チェレステは、海洋都市同盟空軍やビエンの戦闘機よりも、かなり静かなんじゃないですか?」


「犬養ちゃん? それはこれから説明しようと思っていたんだけど……」


「チェレステに人間が乗れるのか、それを教えてください」


 空を切り抜いたような薄花桜うすはなさくらの視線がひか紫水晶むらさきすいしょう瞳孔どうこうを射る。

 ユキの気迫に負け、司令が目を伏せる。


「わかった。先に話す」


 司令は持ってきたタブレット端末を操作し、テキストデータを表示。彼はそれをユキに示す。

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