チェレステ

Sorty.32 戻れない分岐点

 バーグが電話をしている時間は、永遠のようにユキには感じられた。

 だが、彼が受話器を置いた時、ユキが時計を確認すると、10分も経っていなかった。


「待機だ。犬養」


「ラジャ」


 どかりとバーグはユキの隣に置かれた椅子いすに腰を下ろす。ぎしり、と椅子が鈍くきしむ。


「本当に、どうしてこうなったんだろうな」


 まるで今生の別れを覚悟したような、難病を告知されたかのような、悲痛な声。


「どういう……こと、なんですか」


「お前が俺の部下として活躍してくれたことを、誇りに思う。短い期間だったが、悪くはなかった」


「何を言ってるんですか」


 ユキは戸惑とまどいを隠せない。あまりにも、変化が突然すぎる。

 もしかして、幻聴げんちょうを理由に飛行不適な判断を下されてしまうのか。

 ユキを体の中から凍っていくような恐怖がおそう。

 やっと、やっと一人前に任務を果たせたと思ったら、これだ。

 人を殺すことに対する抵抗をどうにかパイロットの誇りで押さえ込んで、ぬいぬいに誘導ゆうどうさせた巡航ミサイルの群れ。両親を失った日の自分の故郷こきょうのように炎上する敵基地。

 命令に従っただけともいえるが、ユキの決断で出来上がったこの世の地獄じごくだった。

 上空からそれを見下ろしたときより、今の方が怖い。ユキは身震みぶるいする。

 やっと隊長と一人前のパイロットだと認めてもらえたのに。

 殴られても歯を食いしばって耐えてきたのに。

 ここでパイロット失格になんてなってしまったら、全てが無駄になる。

 仲間も、居場所も、何もかもなくなる。軍を追い出されても、トラオレのカフェの店員でもすれば食いつなぐことはできるだろう。だが、今のようなパイロット同士の関係では、ありえないだろう。

 隊長の僚機りょうきであることもできない。

 リッカを守ることもできない。

 それ以上に、空を飛べない立場になってしまったなら、薄花桜うすはなさくらと再会することは絶望的だ。


「俺も、全てを知っているわけではない。だが、確実にお前は俺の部下から外される。それが、わかる。お前の目なら生き残れるだろう、ユキ」


「私は、バーグ少佐の部下で無くなっても、飛べますか?」


「お前の腕はお前のものだ。犬養。誰が上官だとかいう些細ささいなことで揺らぐようでは、パイロット失格だ」


「飛行不適になってしまったと判断されたわけでは、ないのですね」


 バーグは深くうなずく。


「飛行不適の方が、俺にはマシだ。グセイノフそっくりの飛び方をする奴だとは思っていたが……いっそのこと戦死のリスクは上がるが、矯正きょうせいした方が良かったのか……」


 バーグは心の底から後悔している、という感情を隠しもせず、両拳を握りしめ、かすかに肩を震わせていた。ユキは胸をなでおろした。


「私、まだ、飛べるんですね」


「当たり前だ」


 飛行不適でないのなら一安心だ。バーグ少佐の様子からすると、自分はとんでもないものに接触してしまったようだ。配置換えされるほどの。

 だが、翼は奪われないようだ。ユキの中で希望がよみがえってきた。


「バーグ少佐は」


「なんだ」


 隊長、ではなくバーグ少佐、とユキは名前を呼ぶ。バーグは顔を上げる。


「私に生きていてほしいんですね」


「当たり前だ」


「私は、低い可能性であっても、出会いたい人……人なのかさえ、わからないですけど、そういう存在がいるんです」


「人探しなら探偵に頼め」


「探偵に頼めるようなものじゃ、ないですよ」


 ユキを助けた空色の飛行機。

 名前をたずねると、そんなものはないとこたえた。

 だからユキは、ソレに薄花桜うすはなさくらという名前をつけた。

 まともな人間ではないのだ。

 自律型無人機、というのが薄花桜うすはなさくらを形容するにふさわしい言葉だ。

 だが、いくら調べても薄花桜うすはなさくらのような飛行機は、民間にも、海洋都市同盟軍にも、ビエン軍にも存在しないという検索結果やレファレンス結果が戻ってくるばかり。

 この様子から、ユキは薄花桜うすはなさくらが自分の妄想の産物なのではないかと疑ったこともある。

 だが、ユキは間違いなく、オーシマ島から100キロメートル以上離れた、ニューポートの人気がないいそで保護されたのだ。

 100キロメートルは幼い少女には泳げない距離であり、その磯は遠浅のため、船も近寄れない。救助ヘリが人を下ろすには、陸の部分もせますぎる。

 薄花桜うすはなさくらは、実在するのだ。

 そうなると、どこにいるのだろうか。ユキは、薄花桜うすはなさくらの機械的な物言いから、薄花桜うすはなさくらは軍の秘密兵器で、オーシマ島がテロリストに襲撃されるという緊急事態に対応するために出動したのだろう、と見当をつけた。

 だからユキは空軍に入隊したのだ。


「なんなんだ、そいつは」


「空にしか手がかりがないんです。だって私の命を救ってくれたのは、空色セルリアンの――」


 ユキが空色cerulean、と聞いた瞬間、バーグは目を見開いた。

 ぎしり、という音とともにドアが開いた。

 ユキはとっさに口をつぐむ。

 紫色のサイドテールと、愛らしい少女のような顔がひょっこりと姿をあらわす。

 ユキとバーグははじかれたように立ち上がり、司令に向かって敬礼。

 司令は鷹揚おうように答礼。


「バーグ少佐。ご苦労だった。帰りたまえ」


「……ラジャ」


 悔しそうに口をひき結んでバーグはもう一度敬礼。


「犬養少尉に、何か言っておきたいことはあるか?」


「……空にわれるんじゃないぞ、犬養。必ず生き残れ。アレは、機体の反応やパイロット補助AIのぬいぬいよりも、犬養自身の感覚で対応しなければ、死ぬぞ。見張りを充分に行え」


「ラジャ」


 ユキは敬礼。バーグ少佐も答礼。こめかみから手を下ろすときに、バーグが目尻から光るものを弾き飛ばしたように見えたのは見間違いだろうか?

 ユキが何も言えないうちに、バーグは回れ右をしてブリーフィングルームを閉める。

 キイ、微かな蝶番ちょうつがいの悲鳴がして、扉に見慣れた背中が隠されていく。


「犬養少尉、チェレステceleste、という言葉を帰投中に聞いたのは、本当なのかい?」


「その通りです、司令」


「……新兵にこんなことを言いたくはないけど、チェレステの存在を知った以上は後戻りはできないよ?」


鋭く光を放つ紫水晶むらさきすいしょいの視線が、ユキを見上げる。


「もしも、嫌だと言ったら?」


「犬養ちゃんは訓練中に不幸な墜落事故ついらくじこで死亡、だよ。パイロット補助AIも完膚かんぷなきまでに破壊される」


「わかりました。やりましょう」


 何をするのかはわからない。脅し同然の言葉でもあった。それでも、ユキは自然体で覚悟を決めていた。

 司令はユキに座るよう指示し、口を開く。

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