Sorty.29 最高の相棒

 ぐるぐるとユキはコマのように、愛機に振り回される。

 どうやら右主翼が失速しっそくしたらしい。

 ユキはそう気づいたが、正常に飛べなければ失速の回復もままならない。

 何より不安なのが、スピンに入ってからユキの相棒であるAI、ぬいぬいの応答がないことだ。ユキは叫ぶ。


「ぬいぬい! 生きてる? ねえ! 被弾ひだんの衝撃でやられるようなヤワなコンピュータじゃないでしょ!」


 ユキの声に応えるように、耳慣れた通知音が流れた。


〈計算完了! マスター、オートパイロットを入れてください!〉


「わかった。オートパイロット、作動」


〈ラジャ。姿勢制御システム、作動〉


 フライバイライトによって自動で動翼の角度が調整される。

 ユキにはとてもではないが操作も理解もできない動翼の角度や動き。だが今は、ぬいぬいを信じるしかない。

 コンピュータで計算された通りに機体は動き、失速した右の翼へ、適切な気流が当たる。

 揚力が戻ってきた。

 機体は水平飛行に入る。


〈姿勢制御補正、計算終了。マスター、普段通りに操縦してください!〉


「ありがとうぬいぬい! アイハブコントロール!」


 きりもみの不規則な動きが幸いして、ボーパルバニーはユキに狙いをつけることができなかったようだ。

 しかし、一瞬の水平飛行を見てとり、機銃を一斉射。

 だがもうそこにユキはいない。ユキは機体を横滑りさせ、回避。

 一瞬前ユキが存在した空間を空しく禍々まがまがしいオレンジ色の線の束が通過していく。

 ユキはアフターバーナーを点火。ハイレートクライムで速度と高度を取り戻す。

 高度と引きかえに速度を失うシャンデルを空戦で使うのは悪手だが、今はボーパルバニーと同等のエネルギー量を得ていないと逃げることも勝つこともできない。

 同じ高度を得て、再び戦闘が始まる。

 相手より有利な位置を取るべく、ボーパルバニーの直線的な軌道と、ユキが描く旋回せんかいの曲線が、翼端からペイパーを引きながら絡み合う。

 すれ違った瞬間、ユキの目に敵パイロットの顔が見えた。

 女だった。

 彼女はバイザーを上げていた。

 尾翼を失い、フラットスピンに入ったにもかかわらず回復し、飛び続けるユキに対し、驚愕きょうがくに見開かれた赤い瞳。

 ギラリと緑色に光る、コックピットに取り付けられた、ヘッドアップディスプレイ。

 その様は、身だしなみを整えるため、鏡を机に立てているかのよう。

 そして、機動のGで髪留めが切れたのか、フライトヘルメットから流れ出した長い黒髪。

 相手のキャノピに、雪の結晶と青色の桜が描かれたヘルメットと、吹雪のように白いポニーテールの人物が映り込む。

 顔はバイザーと酸素マスクに隠され、わからない。

 だが、その線の細さは、間違いなく女――ユキ自身だ。

 交錯こうさくは一瞬。

 しかし、相手の姿を記憶に刻みつけるには充分だった。

 もしかすると、毎日愛し合う恋人同士よりも鮮明に、二人はお互いの顔を脳裏に焼き付けたのかもしれない。

 お互いにミサイルは撃ち尽くしている。

 ガン攻撃が、互いの運命を決める。二人ともわかっている。

 相手の射程に入らないよう。自分の射程に相手を捉えるよう。

 どこまでも相手を観察し、一挙一動に細やかに応えていく。

 不意に、ボーパルバニーの飛行姿勢が

 チャンスだ。ユキはガン攻撃態勢へ。

 その時。


チェックシックス背後を確認せよ! 隙を見せるな!〉


 レシーバーから聞き慣れた怒鳴り声。

 ユキはとっさに振り返る。

 自分の後ろから敵機が火を噴いて降ってきていた。

 ブレイクして回避。

 火の玉と化した敵機の後ろから、バーグ機が滑空し、ユキの隣に並ぶ。

 2対1になった瞬間、ボーパルバニーは急降下した。

 不利を悟って逃げていったのだ。

 また取り逃がした。ユキは歯噛みする。でも今回は、あと少しでやれたはずだ。

 その一方で、ユキもやられていただろう。背後からやってきた敵によって。


〈獲物に夢中になっている時が一番やられやすいんだ! 気を付けろ!〉


「すみません!」


〈作戦行動は終了だ。しつこい奴も振り切った。帰投するぞ、スノーホワイト〉


「ラジャ」


 バーグと言い合いながら、ユキはバーグに合わせて上昇。

 ガルーダ2機は、燃料節約と敵の反撃を避けるため高高度を飛ぶ。

 ユキの眼下をちぎれ雲が流れる。

 その下の海は、もはや平べったい青いリノリウムの床か何かのようにしか見えない。

 頭上には青黒い鉄紺てつこんの空。

 その果ては宇宙へと繋がっている。

 ユキとバーグは旅客機の航路よりもはるか高みをゆく。

 ユキが蒼穹そうきゅうを見渡すと、地上から見上げる空色とは、全く違う光で満ちていた。

 地上から見える柔らかな空色とは似ても似つかない。あい色の、輝ける闇とでも表現するのが近いだろうか。

 地上に生きる、普通の人間が見ることのない光景。

 本来人間が生きるべきではない空の中。

 その場所をけることができるのは、ファイターパイロットの特権だ。

 薄花桜うすはなさくらのかなた。飛行機がゆける限界点。

 やっと来れた、とユキは思う。

 ゆるく雲海が足下で弧を描く。地球が丸いことが、はっきりとした実感をもってユキに迫ってくる。


《……チェレステ、出現せず。作戦目標の達成はできませんでした》


 何の前兆ぜんちょうもなく、不思議な声がユキの耳に届いた。


 細い女の声。初めて聞く声だった。


《チェレステの出現条件は満たしていたのだな?》


 低い男の声。女が応える。


《はい。重力異常状態でしたので、これ以上ない最高の条件でした。20年前のチェレステ出現時以上かと》


《そうか……ならば、何が足りなかった?》


《恐らくは……死者の数、では。オーシマ島と違い、地上部隊の投入が行われなかったため、地下シェルターに逃げ込んだ者は助かったようです》


 オーシマ島。20年前。もしかして。ユキは息が止まりそうだった。

 たしかに炎上する敵基地は、20年前にテロリストに襲われ、市街地全てが壊滅したオーシマ島に似ているとユキは思った。

 あの日。ただ、逃げることしかできなかった日。

 偶然ではなく、あえて似せていた者がいるとでもいうのか。

 ユキの耳に、不満げな男の声が聞こえる。知らない声だ。聞き覚えなど、ない。


《代替策はないのか? どうしても死者が必要なのか?》


《はい。市街地への空爆を行えば、間違いなくチェレステが出現するかと。チェレステは空の覇者です。拿捕だほに成功すれば、世界の制空権は我々のものです》


《駄目だ。兵士以外の人間を殺すとスポンサーからの出資が得られなくなる》


《承知しました》


 謎の声は聞こえ始めた時と同じように、唐突とうとつに消えた。


〈そろそろ基地だ。帰投ルートに入るぞ〉


「ラジャ」


 ちぎれ雲越しに半島が見えている。ユキはバーグに続いて、着陸のため高度を下げる。

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