Sorty.16 水とデブリーフィング

 戦闘機は敵を殺すための道具。

 訓練学校で耳にタコができるほど聞いたフレーズだった。理解しているつもりだった。


「う、うう……」


 もはや吐く気力もなく床にへたり込む。掃除直後でタイルが比較的清潔だったのが幸運、といえば幸運だった。

 ポタポタと塩辛いしずくがタイルとフライトスーツに水玉を作る。


 ――大丈夫。戦闘機は敵を殺すための道具。それは、誰よりもわかっているから。


 どの口が言った、そんなこと。


「ぜんっぜん、大丈夫なんかじゃないじゃん」


 空軍に入る前、人を殺す仕事だが本当にいいのか、と周囲の人間に散々聞かれた。

 生まれる前からだらだらと30年間ずっと繰り返すビエンと海洋都市同盟の小競り合い。決して少なくはない人間が戦いで命を落としている。

 そんなことは知っていた。

 自分でもなんども自問自答して、答えも出していた。

 訓練通りやれば相手をやっつけられる自信もあった。

 死にたくも殺したくもないが、いざという時があると、入隊した時から覚悟していた。

 その、つもりだった。


 ユキは立ち上がって再び蛇口をひねり、顔を洗う。

 ビンタするように、激しく自分のほっぺたを強く打つ。鏡の中の自分に言う。


「戦闘機は敵を殺すための道具。それは、誰よりもわかっているから」


 何度も聞いたフレーズだ。

 だが、今日体感して自分のものになった気がした。

 顔を洗って水滴を払い落とし、ユキは女子トイレを出る。

 女子トイレから出てすぐのところに、だれか立っていた。

 ユキを待っていたのは、見慣れた顔だった。

 ダークブロンドの短髪に、強化プラスチック一体成形の透明なメガネ。

 バーグ少佐だ。

 ユキは無言で敬礼。彼は何かをユキに差し出してきた。


「飲め」


 ミネラルウォーターのペットボトルだ。ありがたく頂戴して飲む。胃酸で焼けた喉に冷たい水が心地いい。


「落ち着いたか?」


 ユキはこくこくと首を縦に振った。


「訓練って、このためにやってたんですよね」


「ああ」


「全然、わかってませんでした。ファイターパイロットって、なんなのか」


「俺も、初撃墜の後は、こうだった」


「吐いたんですか」


「ああ。ヴィラールは『訓練通りやっただけですワ』とケロッとしていたがな」


「ヴィラール少佐らしいです」


「胸を張れ。ユキ。めそめそしたやつに殺されたんじゃあ、敵も浮かばれん」


「でも……確かに私は、悪い事をしました。軍人じゃなかったら、刑務所に確実に入れられるくらい」


「軍人だからだ。罪を悔いる代わりに敵を屠った武勲を名誉として誇れ。それが、俺たちの祈りかただ」


「そう……ですか」


 そう。乗り越えてきたのだ。取り返しのつかないことを。バーグ少佐も、ヴィラール少佐も。

 空で生き残るとは、そういうことなのだ。

 自分の名誉や誇りは、殺した他人に対するとむらい、という事はしっくりこなかったが、今まで以上にバーグ少佐の思考の深いところに触れられ、ユキはなんだかあたたかい気持ちになった。


「お水、ありがとうございました」


「おう。さっさと装具を脱いでデブリーフィング、行くぞ!」


「ラジャー!」


 ユキは勢いよく返事し、デブリーフィングへ向かった。

 デブリーフィングでユキは、敵を深追いしようとしたことに対してブリーフィング担当士官とバーグに4時間かけてこってりしぼられた。

 いざとなればパイロットの生命を優先して機体を捨てろとは教えたが、機体は高価であり、できる限り機体とともに帰投できるように行動することーーなどなど。

 気づけば4時間が過ぎ、午後3時のおやつどきになっていた。

 おなかへった。昼ごはんも食べてない。げんなりしてユキはブリーフィングルームを出た。

 人を殺してもお腹はすくんだ。体は正直なものだとユキは思う。

 ユキの前で、バーグがポツリといった。


「ユキの目はたかの目だ。絶対に獲物をとらえるひとみをしている。今日の戦闘で、確信できた」


「教官、ありがとうございました」


「なんだ、急に。あと、今は隊長だ」


「隊長の指導があったからこそ、帰ってこれました」


 ユキが言うと、バーグはユキの頭にポンと手を置いた。

 そのままわしゃわしゃ荒っぽくユキの頭をでる。


「わっ! 人前でやめてくださいよ! 私、子供じゃないんですよ!」


「この時間なら、基本的に誰もいない」


 抗議して上目遣いにユキはバーグを見上げる。視線を動かした時、ちらりと何かがみえた。

 廊下の先に、人がいる。しかも、軍事基地に相応しくない服の。


「あの……あの子、ここにいていいんでしょうか?」


 鮮やかな紫色に髪を染めたサイドテールの少女が二人を待ち受けていた。

 彼女の背丈はユキより、少し低い。

 ライムグリーンの半袖ウエスト丈のライダースジャケットの下は、胸元を強調した白いチューブトップ。

 平たい胸と胸の間には、V字に扇情的せんじょうてきな黒レースの装飾。すべらかに引き締まった下腹部に収まっているヘソを隠すものはない。

 その下に骨盤を隠すマットな黒いデニム生地ショートパンツ。

 すらりと長い足は、オーバーニーのつややかな黒エナメルのロングブーツに包まれている。

 軍事基地により、ファッションショーのランウェイにいる方がふさわしい姿だ。


「……大丈夫だ」


 教官は右腕を上げようとした。少女はその動作を見て、ひらひらと片手を振った。茶色の航空機整備用革手袋をはめている。整備員なのかな? とユキは思う。それにしても変な格好。


「いいよいいよ。ボクは今非番だし。制服も着てないしね。バーグ少佐、犬養少尉を借りて行っていいかな?」


 低く落ち着いた、アルトの声。男声のテノールの方が近いような、落ち着く声だった。


「……構いません」


 バーグの表情は硬い。少女はぱっと花のように笑う。


「じゃあ、外出も?」


「手続きは、そちらでお願いします」


 あれよあれよという間にユキは少女に手を引かれて基地を連れ出され、ニューポート市街へと連れ出された。

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