Sorty.4 飛行前点検

 フライトに必要な全てのものを身にまとい、救命装具室きゅうめいそうぐしつから一歩踏み出せば、ユキの頭は切り替わる。

 普通の女の子から戦闘機パイロットへ。

 友人との雑談を楽しむ若者から、獲物を待ちわびる荒鷲あらわしに。

 整備員とすれ違うも、どこまでも冷静な氷の殺気をまとうユキに話しかける者はいない。

 ユキは誘爆ゆうばくを防ぐため土手で区切られた列線エプロンを進み、ユキは愛機に歩み寄る。

 海洋都市同盟空軍の最新鋭機、VAヴァーユアビエーション-43ガルーダ。

 夕雲工廠ゆうぐもこうしょうとヴァーユアビエーションの共同設計機。

 さざなみひとつ立てない無念無想むねんむそうで、第六感も研ぎ澄ましてただそこにある愛機をユキは観察する。

 灰色の機体を一見すると、愛称の由来となった神話上の鳥より、地上に引き上げられた深海のさめを思わせる。

 直線的なインテークに、角度のついたV字双垂直尾翼そうすいちょくびよく

 ステルス性を考慮こうりょし、三角形に切りかれたデルタ翼。

 その翼のハードポイントには、翼の代わりにU字型の針金が取り付けられたミサイルのようなものが取り付けられている。

 訓練データ収集用装置だ。

 双発エンジンとコックピットと対空ミサイルを飲み込んだ機体は、ぬるりとすべらかな、魚を思わせる流線形。

 開かれたボムベイの扉は、さながら腹ビレだ。

 機体のあちこちで【REMOVE BEFORE FLIGHT】と白字で記された赤いタグが七夕の短冊のようにひらひらと揺れている。

 違和感はない。確認作業に取り掛かろう。

 ユキはヘルメットを翼の上に置く。

 自分を待っていた整備員から整備記録を受け取り、確認。水にれても消えることのないよう鉛筆書きされたアナログなものだ。

 補給した燃料の量から飛行中に示すくせまで網羅もうらされた事項を点検。無問題を確かめ、ユキはサインを記入。

 続いて、ユキは整備員とともに自分の目で愛機の外部点検を行う。

 直接自分の手で触れ、機首部分から時計回りに機体全体を観察する。

 タイヤ、車輪の支柱、ブレーキ、車輪収納室内にあるスイッチやレバー、インテークと排気孔はいきこうの中、主翼や胴体の状態、点検口を塞いでいるパネル、燃料注入口のふた

 ネジは所定の目印とIアイの字になるよう一直線に過不足なく締められているか。

 燃料が整備記録に記載されている通りに入っているか。

 100項目前後の点検箇所てんけんかしょを、リストを唱えながらユキは一つ一つ指で押さえていく。

 一つでも不具合を見逃したなら、死という形でむくいが返ってくる。

 空は苛烈かれつな場所なのだ。


「点検に異常なし」


 慎重かつ手早くユキは外部点検を終わらせる。操縦席へ。

 水平尾翼と胴体の上面に異常がないことを確認してから操縦席の中を目視。

 射出レバーや各種スイッチが正しい位置にあるか。車輪を出し入れするためのハンドルが下げ位置になっているか。

 全ての点検を終え、ユキは操縦席に腰を下ろす。

 キャノピー·リリースを射出座席のパラシュート·ハーネスと接続。

 身体を座席に固定する。

 ヘルメットについている酸素マスクを機体の酸素ホースにつなぎ、ヘルメットをかぶる。

 酸素マスクを顔にフィットさせ、一度深呼吸。酸素流動計の作動と、匂いも味もない酸素が呼吸できることを確認。

 空気に比べて冷たい感じのする酸素を吸い込むたび、ユキはやっと自分があるべき場所に来たという実感がわいてくる。

 空気より酸素を吸う方が、肺の活動が楽になったような気がするからかもしれない。

 座席の位置を調整。目の位置を、水平状態でも急旋回きゅうせんかい中でも狙いがつけやすい場所に持っていく。

 座る位置が決まると次は方向舵ほうこうだを操作するためのペダルの位置を自分の足に合わせた最適位置へ。

 右左へといっぱいに踏み込んで無理なく方向舵ほうこうだを最大の舵角だかくに動かせる場所へセット。

 ペダルの調整を終えると、スイッチや計器類を左後方から順次点検。

 右後方のエアコンディショナーの風量調節レバーまで触れて確認を終えると、整備員に合図。

 続いて電気で作動する警報システムを左から右へと点検していく。

 グラスコックピットの液晶をタッチ操作と音声操作の両方で問題なく切り替えられることを確認。

 仕上げに機体搭載AIを立ち上げる。液晶画面が発光し、電子音が流れた。


〈不知火ver.19、起動完了〉


「自己診断、開始」


〈了解〉


 液晶に文字列が流れる。5秒もしないうちに診断完了の通知音が鳴る。


〈システムオールグリーン。バグ、ウイルス、存在しません〉


「これより従事するミッションナンバ、行動内容について述べよ」


〈ミッションナンバ0201、アルファ・フライトによる模擬空戦もぎくうせん。自機はアルファ・ツー〉


「よし。ぬいぬい、行こう!」


〈行っちゃいましょう!〉


 ユキは無線機のスイッチを入れる。すぐにバーグから通信が入る。


〈アルファ・フライト、チェック・イン〉


「アルファ・ツー、レディ」


〈アルファ・フライト、スタート・エンジン〉


 ユキは整備員にエンジン始動の手信号を送る。安全な場所まで整備員が退避たいひしたのを確認し、無言でエンジンスタート。

 スタータースイッチを入れ、エンジンを回転。うおおん、と低くタービンがうなる。

 十分な回転を得たことを確認し、点火スイッチを押す。

 燃料に着火。低いうなりが鋭いハヤブサのさえずりのようなエンジンの吸気きゅうき音で塗りつぶされていく。

 液晶画面の排気温度計の数値が凄まじい勢いで上昇していく。

 夕雲工廠RD-410暁星シリウスエンジンが吠える。

 ユキはエンジンを過熱させないよう回転数を調節する。

 アイドル回転まで回転数が上がったところで、オイルの圧力や油圧装置ゆあつそうちの作動油の圧力、電流計等が正規の値になっているのを確認。

 ユキはスターターを回していた電源を切る。

 電源は自動的にエンジン始動の時の電源から、エンジンに取りつけられている発電機へ切り替わる。

 エンジンが推力すいりょくを発生しはじめる。

 滑走路へ向かって出発する前に、ユキは最後の確認事項を行う。

 フライトスティックを前後左右に動かして、機体を左右に傾斜けいしゃさせるために使う補助翼エルロンと、機首を上げ下げするために使う昇降舵 《エレベーター》の動きをしっかりと目で見て確認する。

 油圧装置ゆあつそうち異常なし。ユキはボムベイの蓋を閉じる。

 ユキの準備は整った。あとは命令を待つだけだ。

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