Sorty.3 薄花桜へのスターティングポジション

 ユキはばね仕掛けの人形のように勢いよく立ち上がり、右手を伸ばしてこめかみに叩きつけた。

 人差し指がもろに生え際にクリーンヒットして痛い。

 仏頂面ぶっちょうづらのバーグ少佐の向こうで、ヴィラール少佐が口元を押さえて上品に笑っていた。


「みゃあ! ききき教官! おはようございます!」


「なーにがおはようございます、だ犬養! 時計を見ろ!」


「はい! 1248ヒトニヨンハチであります!」


「時間に合った挨拶あいさつもできんとは小学生以下だな!」


「人前でおじょうさんに恥をかかせるのは紳士としてあり得ないワ、バーグ少佐。二人だけの世界から戻ってらっしゃい」


 ぎゃいぎゃいと言い合う二人を、どうにか笑いをみ殺したヴィラール少佐がとりなす。食堂中から注がれる視線に耐えきれなくなったのか、バーグが気まずそうに一歩下がる。


「犬養少尉も……敬礼にあそこまでの躍動感やくどうかんは必要ないし、上官に対する悪口はめられたものではないワ。レディなら、もっと上品な話題を選ぶと、もっとお昼が美味おいしくなるわヨ?」


「はい……ヴィラール少佐」


 きっちりとユキにもくぎを刺し、ヴィラール少佐はバーグをうながして去っていった。


喧嘩両成敗けんかりょうせいばい、かあ……」


 ユキは残ったカレーを思い切りかきこんだ。なんとなく食堂にいたくなかった。リッカとトレーを返却し、外に出る。

 立ち並ぶ対爆格納庫たいばくかくのうこ越しに数機の戦闘機が離陸していく。

 轟音ごうおんを引き連れて晴れ上がった春の空に、灰色のやじりが舞い上がる。

 うららかな春の空に、ユキもリッカも心安らいだ。


天藍ティエンランがきれい……」


「ティ……なに?」


 ユキが聞き返すと、リッカはさらりと説明した。


「中国語で、スカイブルー。今日は、本当に藍色みたいな空だから、昔の人はこんな空を見て、天藍ティエンランって呼んだんだろうな、って思ったんだ」


「へー。リッカ、物知りだね」


「私のママ、中国系なんだ」


「えっ! 本当に?」


 リッカのこげ茶色の肌と、緑色の瞳をユキはまじまじと見た。どう見ても黒人系だ。リッカは照れたように黒い短髪をかきあげた。


「まー、見た目と姓はアメリカ系のパパ譲りだから仕方ないよ」


「初めて知った。たしかに、リッカ・スペンサーって名前のどこにアジア要素があるのよ、ってはなしよね」


 そう言われてみればリッカのさらさらした黒髪は黒人よりもアジア人に近い。ユキは肩を落とした。


「私、親友のこと、全然分かってなかった……」


「親友って言ってくれて嬉しいな。でも、隠してたわけじゃなくて、機会がなかっただけだから、気にしないで」


「機会?」


「ユキ、全然家族のことを話さない……というか、話したがらないじゃない? だからなかなか、機会がなくてさ」


「……なんか、ごめん。こんな見た目だけど、私は日系、だと思う。多分。苗字から考えると」


 銀髪に碧眼へきがん、色素の薄い肌。身長も線は細いが平均的なパイロットの範囲。西洋系の姿形だ。

 父母のどちらに似たんだっけ。ユキは思い出そうとしたが、できなかった。

 両親の顔は幼い記憶の彼方でぼやけている。まるで炎の上で揺らめく陽炎かげろうのように。


「あっ、気にしないで。ところでさ、今日みたいな空の色のこと、日本語ではどう呼ぶの?」


薄花桜うすはなざくら……かな」


「ウスハナサクラ? チェリーブロッサムの桜?」


「そうよ」


「桜って薄ピンク色じゃない。どうして青を桜と呼ぶの?」


「たしかに、薄ピンク色のことを薄花桜と呼ぶこともあるよ。青の方の薄花桜うすはなざくらの「花」は露草つゆくさっていう青い花を咲かせる植物に由来しているの。元々は薄花色うすはないろって呼ばれてたんだけど、花といえば昔の日本人にとっては桜だったから、桜がひっついたみたい」


「ユキ、詳しいね」


「最後に、おかあさんが教えてくれたことだから」


 もう一つ、薄花桜うすはなざくらという色の名を覚えている理由があったが、それは口にせず、ユキは天を仰いだ。

 明るく柔らかい、やや紫がかった春の空が、どこまでも広がっていた。

 明日も、そこを縦横無尽にけなければならない。

 それば、教官と顔を合わせるということだ。

 そう考えるとユキは気が重くなる。

 でも、私のやりたいことのためには、教官を乗り越えていかないと。

 過去の悲しみによって地上にしばられているわけにはいかない。あの色によって今の私はあるのだ。薄花桜うすはなざくらに手が届く日までーー。


 ▲


 翌日、訓練飛行にむけたブリーフィングが始まる。

 いつもながら話が長い。

 訓練空域の説明にどうしてここまでだらだらと続けられるのか、ユキはいつも不思議に思う。

 ブリーフィングを終え救命用具室へ。

 ユキは「犬養」と書かれたプレートがはめられたロッカーを開け、装具を身につけていく。

 まず、ユキは自分の太ももと腹にぐるりと耐Gスーツを巻く。

 次にフライトブーツを履き、つなぎ形状のフライトスーツをまとう。

 フライトスーツの上にはジャケットを着る。

 さらにその上にハーネスを装着。

 最後に、ヘルメットを過不足なく頭に固定して点検装置の前へ。

 きつく締めすぎると15分も経つ頃には頭の芯まで応える頭痛が起きてしまうし、ゆるすぎて耳とレシーバーの間に空間があると、猛烈なジェットエンジンの轟音が入り、無線が聞こえない。

 正しく装着されていることを確認し、点検装置に酸素マスクのホースと無線装置のプラグをつなぐ。

 酸素マスクを付けて数回呼吸し、不自由なく呼吸できるか、れがないかを確認。

 次は無線装置の確認だ。


「今日こそは勝ってやるぞ暴力教官ー!」


 士官は体罰が無いなんて大嘘だ。

 撃墜判定一回につき一発、バーグ少佐の鉄拳が脳天に降ってくる。

 脳震盪のうしんとうの可能性があるからパイロットを駄目にするだけではないかと上申したが、返答は鉄拳だった。

 バーグ曰く、Gより拳骨の方がぬるいから止める理由がないとのことだった。

 しかもバーグは敵機撃墜確実20オーバーの超エースだ。勲章までもらっている。

 5機落とせばエース認定だから、そんじょそこらのエース4人分の強さがあるせいで、他のパイロットは彼をとがめることができない。

 何か口答えすれば模擬空戦でコテンパンにやられて、新米の前で恥をかかされるからだ。


〈今日こそは勝ってやるぞ暴力教官ー!〉


 レシーバーから明瞭めいりょうに自分の声が聞こえる。異常なし。

 マスクを外し、接続を外し、ヘルメットを脱いで右手に持つ。

 その時、ユキは肩を叩かれた。


「犬養、期待してるからな」


 そっと耳元でささやかれる。振り返った時には、バーグはヘルメットの点検に入っていた。聞こえていた。

 真っ赤になってユキは救命装具室を出る。

 合計20キログラム以上の装具そうぐを身にまとい、ユキは列線エプロンへと歩きだした。

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