第16話 少女の主



 「だ、誰か、居ませんかー! ……お姉ちゃーん! ラウラさーん! クロエさーん!」


 弱々しく叫ぶ声は、誰にも届かない。

 いつの間にか路地の奥深くまで来てしまった私は、どっちが表通りに続く道かもわからなくなっていた。


 「うぅ……一番後ろに居るんじゃなかった……」


 私はそう言って後悔する。4人で走っている時は、私が一番後ろだったのだ。

 そりゃ、仕方ないとは思うけど、今に思えば、一番足が遅い私が後ろにいたら、ついていけないということぐらい分かりそうなものだ。


 その結果、クロエさんに声をかけるまもなく離され、当てもなくさまよっているうちに奥深くまで来てしまったようだ。


 体の調子も万全ではない。お腹も減ってる。更に知らない街で、今は何だかよく分からないけど緊急事態。

 運が無いとしか言いようがない。


 そして、不幸というのは一つあると、幾つも重なるものだ。


 「───ひっ!?」


 それは先ほどと同じように、いつからそこにいたのか分からなかった。

 建物の壁にくっつくように居たその魔物は、私に気がついたのかこちらに顔を向ける。


 こちらを睨む、幾つもの赤い眼がある。それと目が合った時、私はもう目の前の魔物の目標ターゲットにされてしまったことを悟った。

 

 『キシャァァァ!!』

 「あ……いや………」


 ストンと、腰が抜ける。魔物から向けられる殺気は、私が耐えることの出来ないものだった。

 

 カサカサと、複数の脚を動かして体の向きをこちらに合わせるその魔物は、蜘蛛。

 さっきの魔物ように背中から腕が生えているなんてことこそ無いが、その姿に全身の毛がゾワリと波立つような恐怖を感じる。


 生理的嫌悪感を催し、死への恐怖がそれを増幅させる。


 私が動けないことを理解したのか、魔物は建物からゆっくりと降りて、こちらに向かってこようとしていた。


 「い、いやっ!!」


 パッと、恐怖が私の体を支配する前に動き出そうとするが、既に遅かったらしい。

 脚には全く力が入らず、ガクガクと震えるばかり。言うことを聞かない脚を動かすことは出来ず、座ったまま、腕の力で少しずつ後ずさることしか出来なかった。


 『キシャッ!!』

 「きゃぁっ!? 何!?」


 私が逃げようとしたのを目ざとく察知したのか、魔物はお尻の方を持ち上げると、その先端からピュッと糸をこちらに飛ばしてきた。


 それは寸分の狂いもなく私に降りかかり、ものの数秒で地面へと私を縫い付ける。


 「い、いやぁ! 離してっ!!」

 

 粘性のある糸は、どんなに身体を動かしても振り切れない。


 その間にも、魔物はゆったりとした動作でこちらに向かってきている。

 動けない私を殺すことなど簡単なはずなのに、直ぐには近づいてこないで、私が怖がるのを楽しんでいるように見える。


 ガチガチと触れ合う歯の音は、私のものか、魔物のものか。

 すぐ目の前まで来た魔物は、その複眼で私の顔をのぞき込む。


 赤い眼に反射して見える私の顔は、恐怖一色に染まっていた。

 

 魔物は私のその顔を見て満足したのか、前側の脚4本で、器用に私の体を糸ごと持ち上げた。

 

 「い、いや……」


 地面から2m程の高さまで持ち上げられ、まるで磔状態のように、腕を真横に伸ばされる。

 食べ方でも吟味しているのか、蜘蛛は前4本の脚で私の身体の角度を変えつつ、自身も残った4本の脚で食べやすい位置に移動している。


 「やめて……やめてよ……」


 ほぼ意味をなさないような、抵抗の声。いつまでも居座る死への恐怖は、既に精神の許容量の限界に達していた。


 直ぐに殺されない。それは生きる時間が伸びると同時に、その分だけ長く大きい恐怖を味あわなければならない。


 それは、耐え難い苦痛だ。

 

 『キシャ………』

 「いや、いや……」


 とうとう猶予は無くなり、魔物は私の頭を口へと近付ける。

 

 抵抗しようにも、私の体は糸に絡まれたまま。力も入らず、逃げられない残酷な現実を前に、恐怖から涙が流れる。

 前を向かされている私では、今どの位置にいるのかわからないが、感覚で、魔物の口がすぐ近くにあるのが理解出来る。


 「お姉ちゃん、ラウラさん、クロエさん───」


 零れた言葉。頭では無理だとわかっていながら、心ではそれでも一縷の望みにただ賭けるしかできない。

 

 私は、死にたくない。


 「誰か、助けて───」


 まるで、それが合言葉キーとなったかのように。

 願いを口にした瞬間、魔物の脚に支えられていたはずの私の体は、重力に引かれるように地面に落ち始めた。


 「きゃっ!?」


 思わず目を閉じると、今度は落下の感覚がなくなり、浮遊感のような、フワリという感覚と、誰かに抱かれているような感触が伝わってくる。


 「……え?」


 目を開けると、真っ先に飛び込んできたのは、男の人の顔。

 金髪碧眼のその人は、私を抱いた状態なのにも関わらず、一切衝撃を感じさせずに地面へと着地した。


 そこでようやく、私はその人にお姫様抱っこをされていたことに気がついた。


 「~~~っ……」

 

 顔があまりにも近くて、ガチガチに体が固まった状態で、私は声にならない悲鳴のようなものを出す。

 男の人に、それもこんな体勢でなんて、体験したことあるわけない。

 思考が真っ白になりかける。すると、混乱した私を見たその人は、優しくて穏やかな笑みをこちらに向けた。

 

 それは、私の恐怖をぬぐい取るような、無条件に安心をもたらしてくれるような笑み。

 初めて会ったという気がしない。前に見たことがあるような、そしてとても気を許せるような仲だったような、そんな不思議な感じがした。

 そんなはずはないのに、何故か。


 「あ……」


 私は地面へとゆっくりと降ろされる。それが何となく残念に思えて、すぐに『何を考えているの私!?』と頭を振る。

 その人は、そんな私の挙動を見て、クスリと笑う。ただ、今度は可笑しくて笑われているように思える。


 「ゴメン、面白かったら、ついね」

 「い、いえ……」


 (あれ? この声どこかで………)


 ふと、既視感を感じた。その声や口調に。

 どこかで聞いたことがある。それに確信を持つ前に、その人が、私の身体に手を伸ばしてきた。


 「え、なに……?」


 もしかして変なことをする気? と一瞬警戒したのもつかの間、その人の手が私を拘束していた糸に触れると、触れた部分から糸が綺麗さっぱり消え始めた。


 「ミレディ〃〃〃〃、災難だったね。でも、もう大丈夫だよ」


 ポンっと、自然に頭に手を乗せられ、撫でられる。

 知らない人に撫でられているだけなのに、何だかとてもこそばゆい。

 家族に、大切な人に撫でられているようにすら感じるそれに、異様な嬉しさが込み上げてくる。


 「あ、でも、私の名前……」

 「わかるよ。だって俺は君の、君たちのご主人様だからね」


 ────あぁ、そうなんだ。

 

 私は理解した。この人が、お姉ちゃんが言っていた『ご主人様』であることを。

 クロエさんやラウラさんが言っていた、『トウヤさん』という人物であることを。


 聞けば聞くほど不思議な印象だったけど、実際に会って確かにわかった。


 この人は……とても不思議で、だけど凄い優しい人。

 ただ少しの言葉だけで、私はそれを感じた。


 「さて、少しここで待ってて。片付けてくるから」

 「え? か、片付けてくるって……」


 何を、という言葉を放つ前に、その人は蜘蛛の魔物を見据えながら言った。


 「もちろん、身内〃〃を傷つけた不届き者をだよ」

 

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