第9話:強敵とアリンコ

 仲間になって知ったんだけど、魔物というのは意外と働き者揃いらしい。

 魔王様の掛け声ひとつであれだけ居た魔物たちがあっという間に作業へと出払ってしまい、部屋にはあたしと魔王様だけが残された。


「さて、余もそろそろ行きたいのだが……」


 魔王様は困ったようにあたしを見下ろしてくる。


「キィよ、いい加減震えて抱きつくのをやめてくれないだろうか?」


 あたしは魔王様を見上げながら「無理デス」と顔をぷるぷる横に振った。


 だってね、この魔王様、さっき何て言ったと思う?

 ドラゴンと戦うって、しれっと言ったんだよ。

 しかも自分ひとりじゃなく、あろうことかあたしまで巻き込んで!


 ドラゴン、それはこれまた魔王と同じく、普通の人間なんかでは手に負えない伝説上の生き物。

 翼を羽ばたかせるだけで人は軽く吹き飛び、口から火を放てば周囲はたちまち火の海と化すなんて言われている。


 ええ、確かにこのダンジョンに来たのは、ドラゴンを退治するのが目的でしたよ。

 でも、そんな大物が街から二日ほどしか離れていないダンジョンに棲み付いているなんて、信じるわけないじゃん。せいぜいいてもワイバーンでしょ、だったら何とかなるなるって感じだったんだ。

 

 まぁ、繰り返すけど、あたしは戦闘では何の役にも立たないけれどさ。


 ところが、ダンジョンには何故か魔王様がいたわけで。

 おまけにその魔王様が戦うなんて言う以上、ドラゴンもまた本当にここにいるのだろう。

 そのドラゴンと戦えだなんて……プルプル震えるのも仕方ないじゃん!


 なのに魔王様はちっとも分かってくれなくて、軽く溜息をつくのだった。


「分からんな。余と戦った時はあれほど堂々としておったのに。どうして相手がドラゴンだとこうも震えるのだ?」

「だって、魔王様と戦った時は、途中まで相手が魔王だなんて思ってもいなかったんだもん!」


 いきなり魔王と相対するなんて知っていたら、いくらあたしたちでもこのダンジョンには近付かなかっただろう。あのバカ勇者様でも、それぐらいの分別は出来るはずだ……多分(自信なし)。


「そもそもどうして魔王様ともあろう方がダンジョン入ってすぐの大広間にいたりしたんですか? 普通、ボスはダンジョンの最奥にいるものでしょう?」

「仕方なかろう。このダンジョンは余のものではなく、なにより余は方向音痴なのだ」

「はい?」

「なんせ己の城の中ですら道に迷うほどでな。いざ、ドラゴンと話をすべく遠征したのは良いが、そんな余にダンジョン探索なんぞさせられん、ヤツの居場所が分かるまで動かないでくれと部下達が言うので、仕方なく入り口の門番に回されたわけだ」


 門番に回されたって……魔王様、ちょっとナサケナイ。


「しかし、なかなかどうして、余が門番を務めるというのはナイスアイデアであろう? なんせお前ら人間どもはモンスターだろうが魔族だろうが関係なく殺しまくる。しかし、余が門番だと部下たちに手出しも出来ぬし、これぞ適材適所、天職と言うもののではなかろうかと思っていたところだ」


 おまけにドヤ顔で話し始めるし。魔王様の天職が門番ってどうよ?


「まぁ、しかし。ドラゴンが見つかった今となっては門番生活も終わりではあるがな。おおっ!?」


 ごおおおおおおおおおおっ!


 魔王様のセリフに呼応するかのごとく、ダンジョンが例の地震で激しく揺れて、天井からぱらぱらと小さな石粒が落ちてくる。


「くっくっく、ヤツめ、余との邂逅に興奮していると見える」

「え? それはどういう……」


 意味が分からないと頭を傾げていると、さらに激しく洞窟が揺れた。あたしは思わず抱きつく腕に力を込める。

 そして魔王様の胸の中で確かに聞いた。

 洞窟全体を震わせるほど、圧倒的な質量を持った獰猛な雄叫びを。


「え、ウソ? これって地震じゃなくて、もしかして……」

「うむ。ドラゴンの咆哮だ。おおかた我らへの威嚇であろう」


 しれっと答える魔王様。

 自分の正体を明かした時といい、ドラゴンと戦うと宣言した時といい、どうしてこの人はトンデモナイことをさらっと言ってのけるのだろう。さすがは魔王様、器が違う。


 でも、あたしは単なる人間なわけで。

 しかも勇者様に無理矢理冒険に付き合わされた普通のメイドなわけで。

 さらに言うなら、得物は『はたき』なわけで!


 そんなあたしだから、地震だとばかり思いこんでいた地響きが実はドラゴンの雄叫びだと知って、さらに震えが止まらなくなってしまった。


「あわわわ、無理。絶対ムリですよぉ~。こんな叫び声一つで洞窟全体を震えさせる相手なんて、どう考えても勝てっこないじゃないですかぁ」

「ほう、それはどうしてだ?」

「アリンコは人間に勝てないでしょー! そりゃあ魔王様はいいでしょうよ。強いし、きっとドラゴンと対等に戦えるんでしょ? でも、あたしは普通の人間です。普通の人間なんて、ドラゴンの前ではアリンコと同じようなものじゃないですか。ぷちっと踏み潰されて死んじゃうよぉ」


 ぶっちゃけ、泣き言だと思う。だけどあたしだって死にたくないんだもん。いくらみっともなくても、必死になるってもんだ。


「ふむ、なるほど」


 あたしの必死の抵抗が伝わったのか、魔王様は興味深そうに頷く。そして


「ところでキィにまた質問がある。人間は馬鹿なのか?」


 って、いきなりなんだ、その質問は?


「余は多くの人間と戦ってきた。だが、満足できる戦いとなったのはほんのわずかしかない。何故だか分かるか?」


 あたしは涙目で頭を左右に振る。

 そんなあたしから視線を外し、魔王様はどこか昔話をするかのように遠くを見つめながら言葉を紡いでいく。


「奴らのほとんどが戦闘中だというのに、絶望に飲み込まれたからだ。華麗な剣技で余を苦しめた者が突如半狂乱になって剣を振り回す無様な姿を晒し、百戦錬磨であろう魔法使いが当たるはずもない魔法を連発し、中には呆然と立ち尽くす者、やってられるかと諦めの言葉を吐くだけの者もいた。皆、最初は勇ましく余に挑んできたにも関わらず、だ」


 あたしは魔王様の横顔を見ていた。表情はなんとも複雑で読み取れなかった。


「人間は愚かだ。自らを高める鍛錬にはどの種族をもはるかに凌駕する忍耐力と情熱を持つのに、何故かここぞという時に己が身に付けた力を信じることが出来ない。自ら流した汗と、内に宿した想いを、最後の最後に自分自身で裏切る。哀しくも愚かだとは思わないか、キィよ」


 黙って聞いていた。

 魔王様の言いたいことは分かる。おそらく魔王様の圧倒的な力を前に、多くの冒険者が恐怖にかられて、本当の力を発揮できないまま敗れ去ったのだろう。そんな人間の姿に失望し、愚かで情けない奴らだと魔王様が思うのも、悔しいけれど頷ける。


 分からないのは、人間を愚弄する言葉を紡ぐ魔王様がどこか寂しそうに見えることだった。


 人間を「臆病風に吹かれる馬鹿な存在よのぅ」と嗤うのならば分かる。

 だけど、時折見せる表情は嘲りではなくて失望で、それが何故だかあたしの気持ちを強く揺さぶった。


「で、でも、中には最後まで立派に戦った人だっていたんですよね?」

「うむ、いたな」

「その人たちも愚かだと思うんですか、魔王様は?」

「いや、そやつらは尊敬に値する。よくぞ肉体を鍛え上げ、研鑽の果てに様々な技を習得し、最後まで屈せぬ精神を見事磨き上げたと賛辞を送ろう」

「で、ですよねっ!」

「だが」


 魔王様があたしを見つめる。蒼玉のような瞳には、さっきと同じ色合いが濃く滲んでいた。


「ようやく巡り逢えたと思った強敵ライバルが、実のところ単なるアリと変わらないと知った時の失望は計り知れぬ」


 あたしは再び黙り込んで、魔王様を見つめた。

 瞳に浮かぶ失望、その意味、あたしの気持ちを揺さぶるわけが、やっと分かった。


「キィよ、汝に問う。お前は我が強敵か? それともアリか?」


 思わず俯いてしまいそうになる。

 でも、魔王様がそれを許さない。

 細くて、だけど力強く、それでいてどこか優しい指が、あたしの顎を持ち上げる。

 だったら目線を外そう……と思ったけど、何故か魔王様の瞳から目が離せられなかった。


「あ、あたしは……」


 口を開いたものの、なかなか続きが出てこなかった。

 頭の中でふたりのあたしが激しく自己主張していた。

 

 あたしは強敵か、アリンコか?

 

 私は魔王様に相応しい強敵です、って答えたらきっと魔王様は喜ぶだろう。

 どうやらそんな相手が出てくるのを待ち侘びていたようだから。

 でも、そうしたらきっとドラゴンと戦わなきゃいけないことになるんだろうなぁ。余の強敵であるお前なら、ドラゴンぐらい容易い相手だとかなんとか言われて。


 反対にあたしはアリンコですって答えたら、魔王様はきっと失望すると思う。

 

 それを考えて初めてあたしは、まだ出会って数時間しか経ってなくて、一度は殺されそうになった相手なのに、いつの間にか魔王様に嫌われたくないと思っているのに気付いた。


 だって嬉しかったんだ。

 あたしの話をあんなに親身になって聞いてくれたこと。

 そして何よりこんなあたしを認めてくれていること。

 勇者様に面白半分で育成されて、戦闘ではまったく役立たずだったあたし。でも魔王様との戦いでひそかに培われてきた能力が開花し、そんなあたしをあろうことか強敵だと言ってくれている。


 あたしが魔王様の強敵?

 そんな馬鹿な、と思いつつも悪い気はしない。いや、とんでもない過剰評価だと思うよ? 絶対何か勘違いしてると思うよ、うん。

 でも、嬉しいんだ。

 誰かに自分を認めてもらえることは、とても。

 だからその評価を覆すのはとても怖い。

 魔王様を失望させて、つまらないヤツだと蔑まれて、挙句の果てには「ならばアリならアリらしく、余の野望の礎になるがよい」とか言われて無理矢理ドラゴンと戦わされて……。


 ってアレ? これってどっちを答えても結局ドラゴンと戦うことになるんじゃないのっ!?


 ぎゃー、ハメられたーとあたしは恨めしい気持ちで魔王様を見つめ返す。

 でも、魔王様の琥珀色の瞳はただ綺麗に煌めいて、眉を顰めるあたしを映し出しだすだけ。

 そこにあたしが邪知するようなものは何も見えなかった。


「あたしは自分のことをアリンコだと思ってました」


 心臓がバクバク言って飛び出しそうになるのをぐっと堪え、心を決めて言葉を搾り出す。

 魔王様の瞳の色が少し濃くなったような気がした


「だってあたし、本当にただのメイドです。勇者様に無理矢理連れまわされただけで、戦闘でも何の役にも立たなくて、魔王様の攻撃を避けられたのだってホントただの偶然と言うか、超ラッキーが確変大当たりって言うか」


 ああっ、真面目に話しているのに確変大当たりって何を言ってるんだか、あたし。

 いつものノリになりそうなのを我慢して、再びシリアスに戻る。


「だから、魔王様の強敵なんて器じゃないと思ってます。でも、魔王様がそう思ってくれるのは純粋に嬉しいし、魔王様が信じてくれるのならあたし……」


 魔王様は変わらず、真剣な表情であたしを覗き込んでいた。

 その瞳は、純粋にあたしが魔王様の求める人材に相応しいか否かを見極めようとしている。でもその奥にどこか期待の感情を感じてしまうのは、あたしの勝手な思い込みだろうか。


「こんなあたしでもアリンコじゃない、魔王様が信頼してくれるキィ・ハレスプールとして頑張れるような気がします」


 きっぱり言った。

 言ってしまった。

 でも、いいんだ。あたしは本当の自分の気持ちを話しただけ。

 魔王様の真剣な表情に、あたしも真面目に答えなきゃいけないと思ったから話しただけだ。


「そうか。ならば、改めて余は我が奴隷にして強敵、強敵にして盟友であるキィに願い頼む」


 魔王様が一瞬嬉しそうに目尻を下げた後、再び真面目な表情に戻って言葉を紡ぐ。


「余は、ドラゴンが隠せし世界のことわりを聞き出せねばならぬ。故にドラゴンとの戦闘は免れまい。いまだ相見えぬ故に力量は推し量れぬが、お前の助力があれば、余の魔力でかの暴君を屈することが出来よう。お前は余の奴隷であるが、同時に仲間でもある。ドラゴン退治は危険ではあるものの、決してお前を殺させはせぬと我が名誉に賭けて誓おう。だからどうか、今一度勇気を持って、余を助けてはくれぬか?」


 どうか頼むと魔王様は頭を下げた。

 やっぱり、魔王様は不思議な方だ。

 世界を手中にするほどの力を持つのに、あたしなんかに頭を下げる。


 これまでのあたしは命令されるだけで、頭を下げて頼まれたことなんてない。

 あれをやれ。これをやれ。つべこべ言うな早くやれ。それが当たり前だった。


 勇者様と冒険に出た時だって、あたしはなんとか回避しようともっともらしい理由を並べたけれど、聞き入れてもらえるとはこれっぽっちも思ってもいなかった。

 所詮、あたしは命令される側の人間。いくら「無理です」と正論を並べたとしても、命令されたら逆らうことなんて出来ない。


 そして命令を下す者は、あたしたちがそういう人種であるのを知っているのだ。

 どんな無理難題でも、命令に背くことはない。だからお願いなんてしない。するのは命令だけだ。


 命令しかしない人間と、頭を下げてお願いする魔王様。

 メイドだからとこき使う人間と、あたしを信頼してくれる魔王様


 神様陰謀説といい、あたしが今まで見ていたモノは、どこかの狂った誰かが描いた歪んだ世界だったのかもしれない。


「……が、ないなぁ」


 あたしはポツリとつぶやく。

 魔王様は首をかしげて、聴き取れないとゼスチャーした。


「しょうがないなぁ。分かりましたよ、手伝いますよ。でも、本当にあたし、STR3なんですからね、期待しないでくださいよ」


 魔王様の胸に頭を押し付けた。そうすれば、まだかすかに残る震えも止まるような気がしたからだ。

 魔王様は気を配ってくれたのだろうか、あたしが離れるまで何もせず、ただ「そうか、礼を言う」と感謝の言葉を紡ぐだけだった。

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