#08-07: 平和という戯言の下で、私たちは向かい合う

 セイレーンEM-AZの前に出てきたコルベットや駆逐艦は、一瞬で粉砕された。私たちの意志とはもはや無関係に、セイレネスは踊っていた。私たちのPTC完全調律コーラスの前では、C級クワイアたちなど敵ではなかった。一方的な——殺戮。私はアルマの嗚咽を感じながら、ただ機械的に前に進む。


「もうやめさせてください、ヴェーラ・グリエール!」

『それはね、できない相談なんだよ、マリー』


 主砲弾が飛んでくる。一瞬で到達するそれを、私は片手で弾き返した。何をしたのか、何が起きたのか。それは自分でも信じられなかった。


「あなたの歌ったあの歌は、セルフィッシュ・スタンドは、痛みのある歌だった。哀しくて、つらくて、でも、全部そういうのを認めた歌だった。その無念さを、苦しさを、みんなに共感させられる歌だったじゃないですか!」

『ははは、痛み、か。うん、確かにそうだな。わたしはあれを通じて、わたしを理解して欲しいと願ったんだ。確かにあれはね、わたしも驚くほどに。しかしね――血に染まったわたしのこの手は。に彩られたこの身体は。あの歌とは結びつけられることはなかったんだ。わたしが願ったのは、ただの万人の幸福だった。戦争のない世界だった。冬の果てに常春ティルナノーグが来ると思っていた。冬来たりなば春遠からじ。西風に寄せてそう思いながら、わたしは耐えた。いや、は耐えた。その艱難かんなんの末に生まれたのが、わたしとマリアが描いたのが、あの景色だった!』


 悠然たる、そして悲愴なる演説。私はまるで身を切られてでもいるかのように、心が痛んで痛んでどうしようもなくなった。


『わたしはね、実は何一つ変わってはいないのさ。ただ美しい顔でさえずるのをやめただけ。にとって耳当たりの良い言葉を連ねるのをやめただけ、なのさ。優しく聞こえるだけの言葉を捨てた。それだけだ。見てみろ。そして振り返れ。わたしはただ仮面を被っただけだったのに、は気付かなかったじゃないか。あまつさえ、きみたちすら! わたしがヴェーラ・グリエールであるということに!』


 そうなのだ。理由はどうとでもつけられる。軍や政府に騙されていたと訴えたって勝てるだろう。だけど、そうじゃない。私たちはただ、ヴェーラの訴追を受け止める以外に何もできないのだ。


『わたしたちが十数年も苦労して、そして何一つ成果を上げられなかった。なのに、わたしがこの剣をに向けたその途端に社会は変わり始めた。激変しただろう? 人々は歌姫セイレーン、いや、ちがうな。きみたちだ。きみたちに尻尾を振り始めた。これにはほんとうに落胆させられた。わたしたちの十数年、わたしの味わった苦痛はなんだったんだろうかってね』


 これは希望でもあるけれど――ヴェーラは言う。


『国民は知っただろう。我々はただの人間にすぎないのだと、理解しただろう。わたしの行為おこないによって、彼らは歌姫セイレーンの何たるかにようやく思い至った。きみたちを見て、ほんのわずかなれど現実を知ったことだろう』


 朗々たる演説は続く。


『わかるか、マリー、アルマ。彼らはいつ襲ってくるかもしれぬ恐怖に陥ってやっと、そこに至ることが出来たんだ。それまでと思っていた庇護が失われる可能性があることに気が付いてようやく! それも、いとも簡単にね! アルマ、これが意味することは理解できるね』

『理解しようとさえ、してこなかったから……』

『そうだ、よくできたね、アルマ。その通りなんだ』


 ヴェーラは静かに、しかし少しだけ体温を感じる声で言った。


には変われる余地も機会もあった。なのに、彼らは享楽に浸り、その現状が永続的なものだと信じ込み、わたしたちをかて——生贄とした!』

「でも! だって、そうじゃないですか!」


 私だった。私は思わず叫んでいた。


「不幸にならなきゃ、誰もがそれまで自分が幸福だったことになんて気付きやしません。失わなかったら、それが本当に大切なものだったかどうか判断なんてつかない。それは甘いのかもしれません。苦しんでる人から見れば、たとえばあなたから見れば、本当に苦々しいのかもしれない。でも、それは私たちだって、歌姫セイレーンだって同じじゃないですか。私たちだって特殊でも特別でもない。と同じ。セイレネスを扱う能力が偶然にもあって、偶然にもこんなことになっている。だからたまたまの浅薄さとかそういうのが目につくだけだと、私は思うんです」

『そんなことはわかっているさ』


 ヴェーラのイントネーションの乏しい反応がある。


『でもね、違う。は時間をかけすぎた。そして黙っていれば永遠にそのままだっただろう。だからわたしは動いた。わたしの次の世代に苦しみを遺さないために! こんな酷く惨めな時代を招いてしまったのは、ある意味わたしとベッキーの責任だ。だから、わたしが始末をつけねばならないんだってね!』


 音圧が一気に上がり、私の意識は軽くクラッシュした。その無茶苦茶な、支離滅裂な音の群れは、やがてひとつのに昇華されていく。それは言うまでもない。セルフィッシュ・スタンドだ。聴き慣れ過ぎたそのメロディを捕まえ、思わずその一節を口ずさんでしまう。つらい、苦しい歌だ。


『わかります、提督』


 アルマの涙声が聞こえた。


『あなたの理想、言いたいこと、したいこと。その理由も。でも! だめです! 時間がかかるとか、理解されないとか、責任がどうのとか! そんなことでてちゃダメなんです。武器で言うことを聞かせようとしたってダメなんです!』

『きみは何故泣くんだい、アルマ』


 ヴェーラは静かに応じた。


『理解しているからだろう? そんなものは幻想の中でしか実現できないんだっていうことを。そうだ、なんかでは、平和というものを実現することはできやしないんだ』


 一枚岩モノリスのように隙の無い言葉の群れに、私は何も言えない。ヴェーラはそっと、しかし畳みかけるように続けた。


『誰かが犠牲になるか、あるいは、誰かを犠牲にするか。世のなんていう戯言ざれごとは、そうして実現されてきたんだ。歴史を見てみるんだよ。世界中の人々が、一つの争いもなく平和に過ごしていた時代なんてあったかい? 誰かに哀しみを背負わせることなく、そして共苦し、共栄することが出来ていた時代なんて、あったかい?』

「でも、そんな、でも——」


 私にはそんな戯言しか吐けない。


『ならばね、犠牲が必要だと言うのなら、世界が生贄を欲すると言うのであれば。強引にでもをねじ込んでやるべきではないか。時代に差し出される生贄たちの想いのためにも、ほんの数年であったとしても、たとえその根本が歪みねじ曲がったものであったとしても、だ。万人が平和だったと思える時代を築けるのならば築くのが正義なのではないか。わたしはそう考えた』


 反論が……できない。未熟な私には、何も言えない。


『人類がなんて複合語を開発してから、いったい何百年が経った? それを開発した連中の言い及ぶとはどの範囲だ? 目に見える所? いやいや、それすら怪しい。自分の住む町の片隅で何が起きているのかさえ明々白々に語れない連中が、それに目をやり想いを馳せることもできない連中が、だのなんだのと大風呂敷を広げるありさまは、まさに笑止の至りだよ』


 誰も何も言わない。指先一本動かせない。セイレネスは渺漠びょうばくな沈黙を垂れ流す。


『聖人はいた。確かにいた。だがね、非暴力を貫いたかの聖人も、ついには凶弾に倒されたじゃないか。その後、かの国はどうなった。彼の意志を継いだ人々は皆、力の行使を自重できたか? 否だ。その後幾多の試練を経ていくらかの平和を手に入れたかの国のその結果は、非暴力のゆえじゃない。不条理な支配と、力による抵抗の連鎖があったからだ。痛みによって人々が、自らのあやまちに気が付いたからに他ならない――』

『でも!』


 アルマが割り込んだ。


『そんなことしたら、力があるからって、それでを脅かすなんてことしてしまったら! あたしたちの歌はただの暴力装置になってしまう!』

は……」


 私は意を決する。今言わなければ後悔する。今しか伝えられない。


「あなたがあのセルフィッシュ・スタンドを歌った時のように、その時に込めた祈りのように、平和のためにあるんです、歌は! 祈るための道具なんです、歌は! 戦争の道具じゃない。戦争をするための道具じゃない。戦争をしないで済むようにするための手段。そして、いたみを癒すためのものなんです」

『きれいごとだよ、それは』


 ばっさりと、私は切って捨てられた。


『きみたちも十年経てばわかるだろう。そんな思いは無駄だと。幻なんだと。兵器はしょせん、どうあがこうが、どう転ぼうが、兵器なんだ。兵器以上でも、兵器以外でもないし、なれない。核は戦争を抑止するから平和のための兵器なんだって言われていた時代もあっただろう? 確かに、核を使った戦争は抑止できただろうさ。でもそれだけだったよね。核以外の手段が発達しただけだった。核を持つことで国際的発言力を得ようとした国だってあった。だけど、その過程で、結果で、いったいどうなったと思う? 結局は多くの死を生み出しただけだった。この虚しさ、理解できるかい』

「私たちは核兵器みたいなものって……?」


 衝撃が大きすぎて目が回る。


『圧倒的にクリーンで、しかも依存性というまで備えた戦略兵器だ。アーシュオンは量産に乗り出したし、他国もその流れに乗るだろう。ヤーグベルテが生首歌姫を作る日が来ないなんて都合のいい未来は考えるべきじゃない。戦争の形は変わるかもしれない。だが、なくならない。決してね。だからきみたちは考えろ。選べ。兵器であるべきか、人であるべきか』

『あたしたちは人間ですから』


 震える声でアルマは言う。


『あたしたちは諦めない。決して。言葉は捨てない! 兵器でも消耗品でもないって、訴え続ける。諦めない』

『そうか』


 ヴェーラは静かに頷いた……と、思う。


『それなら、それで良いんだ』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます