#08-06: 背明のセイレーン

 二〇九九年一月一日、夜明け前――。私たちはイザベラ・ネーミアの艦隊とわずか二十五キロという至近距離で邂逅した。向うにはこちらが見えていたのだろう。だが、こちらからは見えなかった。セイレネスの目はおろか、偵察機や哨戒艦の目すら欺かれていたのだ。電探レーダーなんてはなから当てにならない。セイレーンEM-AZには、否、イザベラ・ネーミアにしてみれば、私たちを欺くなど、子どもの喧嘩相手をするより簡単だろう。


 旧第一艦隊グリームニルは、私たちが第七艦隊やエウロス飛行隊を呼ぶ暇さえ与えてくれなかった。もっとも、他の艦隊や四風飛行隊は、その全てが反乱軍捜索のために随所に出向いていたから、どのみち孤立無援で戦う事にはなったのだろう。


 私とアルマはレオンやレスコ中佐を後ろに下げ、二人で前に出た。数では二倍。圧倒的に有利。しかし、相手はあのディーヴァ、イザベラ・ネーミア。たとえ全員で集中攻撃を浴びせることが出来たとしても、倒せる保証はどこにもない。イザベラ・ネーミアとセイレーンEM-AZは、現状考え得る最強の組み合わせだろう。先のアーメリング提督との戦闘で多少のダメージは受けていたものの、そんなものは考慮に値しない。


 セイレネスにログオンした状態で、私たちは相手の出方を窺った。しかし、朝日を背にするセイレーンEM-AZは、雄弁に沈黙を語り、ただじっと佇んでいた。


『ヴェーラ・グリエール!』


 目視で十分に砲撃が当てられる距離に至った頃になってようやく、アルマがを呼んだ。私はその間に、アルマとの間にPTC完全調律コーラスが張られていることを確認する。レオンを中心として後ろに待機している重巡洋艦五隻もまた、同調シンゼシスを果たしていた。


 アルマは一呼吸を置いてから叫ぶように言った。


『あなたの怒りはあたしにも分かる! そんな気がしています! それは実態のほんのわずかなものかもしれない、些末些細なものかもしれない。でも! 理解は、できる! できていると思うんです!』


 私の眼下には、私のアキレウス、アルマのパトロクロスがいる。レオンたちから離れること五キロ。誤差みたいな距離かもしれないが、それでも下手な混戦になるよりはいい。現在はセイレーンEM-AZから発される干渉によって、電子照準の類がほぼ無力化されている。互いに目視で撃ち合うというのなら、この距離はそれなりには有効に作用するだろう。


『……で?』


 ネーミア提督が応じた。息を飲むほど冷たい声だった。


『で、ですから。あたしたちは、あなたのその想いに対して戦うことはできません。でも——』

『でも?』

『レニー先輩を殺したこと。アーメリング提督を殺したこと。あなたの怒りのために、C級クワイアたちをも巻き込んだこと! 私には、それが、赦せない!』

『……そうか』


 ネーミア提督は静かに、そして艦体をも凍らせる微風に波打つ、この冬の海のような声で言った。


『わたしは自分の、この身勝手な戦いセルフィッシュ・スタンドのために、多くを犠牲にした。きみたちだって被害者だ』


 凍てついたその声には、以前の気さくさはない。ひたすらに冷徹な女神の声だ。


『しかし! わたしには他に手段がなかった。わたしたち歌姫セイレーンと名付けられて利用される消耗品たちの未来のために、我々もまた自らの肉体と、自らの言葉を持つ――そんな簡単な事実を、にすら理解できるように証明してみせねばならなかった!』


 風が完全に止んだ。海は鏡のように輝き、時間が止まる。遠く浮かぶ朝焼けの雲の峰が粛々と夜明けの時を告げる。背明に浮かぶセイレーンEM-AZは、直視の出来ないシルエットとなって私たちに覆いかぶさってくる。圧倒的なプレッシャーが、私たちを押し潰そうとしてくる。


『言葉。わたしたちは努力はしたさ! どれほど努力したのか、どれほど苦悩したのか。この身を焼くほどの激情を理解できるか。命を捨てる覚悟を、きみたちはどれほど理解できるか。そして、忘れるな。我々歌姫セイレーンの痛みを理解できる者は、歌姫セイレーン以外にはないということを! は自分たちに都合の良いようにしか物事を見ることはない。できんのだ。力を見せつけたところで、その力がいつ自分たちに落ちかかってくるのか、そこに思い至ることができない! そうである限り、わたしたちは彼らにとって都合の良い道具。いや、違う。快楽を得るための玩具にすぎないのだ!』


 断罪——。


 世界の全てを咎人とがびととして、今まさにイザベラ・ネーミアはその罪咎ざいきゅうを言い渡した。私は何も言えない。だけど、アルマは私の隣で強烈な気配を放っていた。


『だからと言って、ヤーグベルテをこんな方法で脅迫するなんて! どうしてあたしたちがこんな風にならなきゃいけないことがわかってながら、こんなことをしたんです!』

『きみたちさ』


 その言葉には一種の諦めのようなものを感じた。


『きみたちので、わたしはこの行為おこないへの決意を固めることができたんだ』

「えっ……?」

『わたしもベッキーも、こんな日が来るのを何年も待っていたのさ。わたしはその前に一度死んだけど、でもそれでよかったんだ。わたしはようやく本当の自分を手に入れた。偽らなくても良い自分というものをね』


 仮面を被り、そして心の仮面を捨てた……? いや、でも……。


『だけど、ベッキーは真面目だったんだ。違ったのさ。わたしほど無責任でもなければ、逃げることもまた望まなかった。だけど、ベッキーは知ってたんだ。全てを。そのうえでのさ、

『そんな、じゃぁ……あたしの、パトロクロスが故障したのも』

『もちろん、ベッキーは承知していたさ。この反乱自体がね、今だから言うけど、わたしとベッキーが仕組んだ、命を賭けた茶番みたいなものなのさ』


 そんな……。じゃぁ、レニー先輩はなぜ……?


『レニーについては完全に誤算だった。あの時なぜ第七艦隊があんな所にいたのか。どうしてああも都合よく隠れていたのか。アルマの艦が故障するのを知っていたかのようにね。当初の計画では、レニーもまたベッキーと共に動いてもらうつもりだったんだ』

「じゃぁ、でも、どうして、レニー先輩を殺したんですか、ネーミア……いえ、グリエール提督」

『あの子を殺したのは私ではない』

「でも、私は見ました」

『あんなチャチなニュースの映像に騙されたのか。リテラシーを疑うレベルだけど、まぁ、そう言われても仕方ない。いまさらわたしが否定したところで誰も聞きやしない。思い至らなかったのか。マスコミお得意の捏造だったってことに。ニュースやね、彼らのうそぶく世論的なものなんて、所詮は彼らの主張に合致するように練り上げられた創作物に過ぎないんだ。彼らはわたしを完全なる悪とし、わたしの退路を断つことに血道をあげたんだ」


 私はもはや何も言えない。何が正しいのか、もう判断できない。憧れの人、ヴェーラ・グリエールを信じたい。信じたいのに、信じきれない。そんな自分が悔しくて、私は意識の中で首を振った。


『さて、はじめるとしようか』

「待って、ヴェーラ! どうしても、どうしてもやらなくちゃいけないんですか!? 茶番だって、さっきおっしゃっていたじゃないですか! きっともう、理解してくれた人は増えた。サムだって理解者じゃないですか。一人いるなら二人、二人いるなら三人……私たちへの理解者は確実にいるんです!」

『ははははは!』


 ヴェーラは笑った。悟ったような、感情のない笑声だった。


『きみは純粋だ。実に、純粋なんだね。だけどね、それこそが妄想なんだ。妄言なんだ。わたしたち歌姫セイレーンがその名と顔で生きられるようになるためには、今ここで! 見せつけるしかないんだ! わたしたちの化け物モンスターとしての顔をね!』

化け物モンスターだなんて!」

『はは! わたしのこの姿を見ても、国民は、はわたしをディーヴァだと思えるかな? 伝説ともなってしまった、わたしこと、ヴェーラ・グリエールがこんな醜悪な姿で、こんなエゴだらけの反乱を引き起こしたと知った時、彼らの中の歌姫という名の幻想、いや、その偶像アイドライズドはどうなると思う? あの自称崇拝者アイドレイターたちは何を思うかな?』


 そう言うなり、サレットを脱ぎ捨てる。その姿は見えなかったが、私は確かに感じた。その姿は中継回線にはしっかりと流されている事だろう。ヴェーラ・グリエールの真の姿。変わり果てたその焼け爛れた顔は、分かっていても正視にえない。マスメディアは数分以内にはこの映像をネットに垂れ流すに違いなかった。


『ははは! これでの記憶には永遠に残る。最も醜い歌姫、ヴェーラ・グリエールの真の姿と共にな!』


 わたしたちの罪は、わたしが背負う。きみたちの背負う呪詛も、苦悩も、その全てをわたしが引き受ける――ふと記憶にその言葉が蘇る。思えばあの時には、提督方は全てを決めていたんだ。気付かなかった自分を、私は強烈に恨んだ。いや、気付いたところで何もできなかった無力な自分を恨んだのかもしれない。


『そろそろいいだろう! さぁ、行くぞ。きみたちでこのどうにもならない、この現今を変えることができるのか! 愚昧ぐまいに見せつける何かを創り出せるのか! 這い寄る混沌どもを薙ぎ払えるのか! 見せてみろ! わたしの期待に応えてみせろ! きみたちのセイレネスの歌を、わたしに聴かせてみせるがいい!』


 セイレーンEM-AZの艦首部装甲が展開し、巨大な三連装誘導砲身が展開する。主砲塔も動き始め、安定器スタビライザ代わりの艦尾装甲が翼を広げる。


「私は! あなたを! 連れ帰る!」


 血を吐くんじゃないか――私はそう思いながら言葉を吐き出した。


『ならば、行くぞ、マリオン・シン・ブラック!』


 ヴェーラ・グリエールの声が夜明けの空に響き渡る。


『第一艦隊グリームニル! 恍惚に酔え! セイレネスの輪舞ロンドを始めるぞ!』


 手遅れ――とは思いたくない。


 私は唇を噛み締めながら、アルマと共に艦を進めた。まっすぐに。

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