#07-04: 始まるのよ、マリー。覚悟を決めて――提督はそう仰った

 一瞬だった。随伴してきていたアーシュオンの艦隊が断末魔を遺して沈んでいく。強烈な声に、私たちは思わず——まるで意味はなかったけれど。ネーミア提督はたったの一人で、セイレーンEM-AZ一隻で、アーシュオンの三個艦隊を撃滅した。わずか数分の出来事だった。それほどまでに、ネーミア提督の怒りはすさまじかった。畏怖すべき美しき鉄槌が、凪の夜海に振るわれ、赫々かくかくとした爆炎で大気を彩っていく。


『生首歌姫の断末魔、こいつは、強力だな!』

「やめてください、提督! もう、もう!」


 私は叫んでいた。泣き叫んでいたかもしれない。生首の歌姫たちの断末魔は、私たちの視界を極彩色に彩り、意識を攪拌かくはんした。不愉快極まりない感触、限界を超えた苦痛、そんなものがぜになって私を押し潰そうとする。


「あっ……!?」


 それが限度を超えた時、私は一層の恐怖を覚えた。得体の知れない、知りたくもない感覚。それが私の中にねじ込まれてくる。なんだろう、この気持ち悪いの。理性をかなぐり捨てた後に残る


 そう、快感だ。快感のようなもの。脳が完全に思考を放棄して、何も考えられなくなって、その先にようやく辿り着ける――だ。それが心の奥底、そのさらに奥にまでじり込まれてくる――。


 その時、私はと思いだした。対セイレネスの防御手段、オルペウスの存在を。今までは敵方が一方的に使うものだった。だけど今は、相手がセイレネス。オルペウスであらがうしかない。


「オルペウス、発動アトラクト!」


 その瞬間、意識が明瞭になった。刺さりに刺さっていた快感の槍が一つずつ抜けていく。私は一度強引にセイレネスからログアウトし、額から流れ落ちる汗を乱暴に拭いた。汗が全身を濡らしている。


『マリー、リログ急いで』

「は、はいっ」


 私は急かされるままに再びセイレネスへとログインする。


『始まるのよ、マリー。覚悟を決めて』


 旗艦ウラニアの巨大な主砲が一斉に横を向く。水平線の彼方のセイレーンEM-AZもまた、主砲をウラニアに向けている。他の第一艦隊の艦艇もまた、戦闘隊形を取っていた。


 もう、どうしようもないのか――。


 そう思った瞬間、セイレーンEM-AZ他、五十隻にも上る艦艇が一斉に砲撃を行った。セイレネスによる、圧倒的な力が乗った攻撃だった。


『マリー、耐えて。他、全艦後退! エディタ、指揮を頼みます!』

『了解、全艦下がります』


 ウラニアと、私のアキレウスだけを残し、重巡や駆逐艦が後退する。その間にもセイレネスで形作られた光の槍が襲い掛かってくる。


『マリー! 単艦で反撃を!』

「わ……わかりました」


 わかってなんていないけど。でも、考えている余裕なんてない。


『全火器管制、そっちに渡してますよ、上級少尉』


 ダウェル艦長の通信。私は「アイハヴ」と応答する。


「セイレネス発動アトラクト! 艦首PPC粒子ビーム砲展開!」


 アキレウスの前部装甲が開く。巨大な砲門が出現し、エネルギーを蓄積していく。セイレーンEM-AZに搭載されている主砲群をも凌ぐ威力を持つエネルギー砲。それが私の眼下で夜の海を引き裂いた。


 その輝きは輪形陣を敷いていた艦艇の先鋒、コルベットやフリゲート、駆逐艦を一息で蒸発させた。あまりにあっけない結末に、私は恐怖を覚えた。たったの一撃で何百人もが消えたのだ。つい一か月前までは共に過ごしていた歌姫セイレーンや海軍の兵士たちが。


 そして飛来してきていた光の槍は雲散霧消していた。私がやったのかどうかは、わからない。


『……さすがはマリオン。だけど、わたしの艦隊は簡単には崩せない』


 主砲の斉射が来る。


「提督、これは……!」


 私は悲鳴を上げていた。四十を超える艦艇からの攻撃。その全てを無力化するのは……ましてセイレーンEM-AZすらそこに加わっている。


『マリー、大丈夫。しっかり目を開けて』

「アーメリング提督!」


 ウラニアから放たれた薄緑色の輝きが、まるでバリアのような役目を果たす。海水が蒸発し、艦隊のシルエットが揺らぐ。彼我の距離は約十キロ。もはや極至近距離。直接照準でも撃てば当たる。


『来るかい、ベッキー』


 ネーミア提督の言葉に、「ええ、行くわ」と応じるアーメリング提督。


 そこからは二人の戦いだった。私たちの誰もが手を出せない。誰も撃たない。ただ、ウラニアとセイレーンEM-AZだけが、互いの顔が見えるのではないかというような距離で撃ち合っていた。大口径口径可変砲が火を噴き、電磁投射砲レールキャノンが互いを刺そうと撃ち込まれる。


『ベッキー、きみはわたしを倒す気がないようだね。守るだけで何かが変わるとでも思っている? いまだに?』

『私は――』

『まだ迷いがあるっていうのかい。わたしたちの賭けは、どうやらわたしの勝ちのようだ。わたしの狂気がきみの正義を殺す』

『待って! 私たちは……どうしても殺し合わなければならないの!? そこまでしなくたって、もう十分――』

『ベッキー』


 ネーミア提督のその声は、静かで深かった。


『わたしはもう、んだよ』


 その言葉はアーメリング提督の訴えを全て拒否していた。そこまでかたくなな想いが、ネーミア提督にはある。私には突き崩せそうにもない、赫奕かくえきたる想いが。


『……私もね、イズー。はいそうですかと殺されてあげるわけにはいかない。あの子たちのためにも』

『ははははは、部下思いだね。良いことだと思う』

『マリー!』


 突如呼びかけられた私は、どこかぼんやりしてしまっていた自分を正す。


『今すぐ退却! 第二艦隊を率いて! エディタ、マリーを助けて!』

『て、提督!?』


 レスコ中佐の動揺した声が聞こえてくる。中佐も共にいたのだ。ただ沈黙して。


『急いで、マリー、エディタ。命令です』


 その直後、ついにウラニアの防御が貫かれた。第一主砲塔が根こそぎ吹き飛ばされていた。夜海に映える白銀の艦体が、血色に燃えている。


『私が全てを引き受けます。大丈夫、もう一人のソリストも無事なのです。大丈夫です』

「しかし――」

『マリアに全てを託しています。早く! あなたたちが喪われるべき時ではないわ』


 有無を言わせぬその圧力の前に、私たちは粛々と艦首を返す。逃げるほかに、何ができただろう。イザベラ・ネーミア、否、ヴェーラ・グリエールとレベッカ・アーメリング、二人の親友同士が殺し合おうという時に、そしてそれを止める力もない私に、いったい何ができたというのだろう。


 私は多分泣いていた。周りの歌姫セイレーンたちもだ。その感情がダイレクトに伝わってくる。無力感と、怒りと、悲しみと……とにかくそういった負の感情が全てぐちゃぐちゃに混ぜ合わされて、胃の奥へと突っ込まれた。そんな具合にどうしようもない、つらさがあった。


『イズー、私にはあなたの暴走を止める義務がある。国家国民を守る義務が』

『ベッキー、私にも義務がある。国家国民の目を覚まさせる義務がね』


 相容れない二人の主張がぶつかり合っている。私たちは泣きながら、しかし沈黙して耳を澄ます。聞こえる限り聞いていたい。聞こえる限り聞かなければならない。大好きな二人の、憧れの人の言葉を。理解しなければならない。


『これはね、わたしにしかできないことなんだ。だから、わたしがやらねばならない。きみはまだ迷っているよね。いまだに――』

『あたりまえよ! あなただって、本当はッ!』

『ははは、本音を言うとそうなるよね。でもね、わたしは遠からず死ぬ。それについては、わたしはこれっぽっちも、芥子けしの粒一つほどの迷いもない』


 あまりに強い言葉を受けて、私はただ沈黙する。アーメリング提督も忸怩じくじたる思いを噛み締めている――のがわかった。


『ベッキー、きみは死ぬのが怖いのかい?』

『怖くない。といえば、嘘よ』

『はははは、それはそうか。わたしだって


 ネーミア提督の声は静かだが、確実に深い。底なしの沼の奥からの囁きにも似る。


『私はあなたほどには強くはないわ、イズー。だから、死ぬのも死なせるのも、怖い』

『今になってそんなことを告白されてもね。でもね、わたしはね、ベッキー。きみを倒さなくちゃならないんだ。さもなくば、わたしはもうこれ以上飛べなくなってしまう』

『私もあなたに倒されるわけにはいかない。あなたの反乱は多くの人に冷や水を浴びせたわ。だからもう、十分――』

『いいや、まだだよ』


 その声はどこまでも昏い。まるで永遠の闇の中に放り込まれたような、そんな孤独を感じさせられる声だ。


『彼らはね、知るべきなんだ。自分たちの頭上に抜かれた剣があって、それがいつだって落ちかかってくる可能性があるということを。彼らは自ら知ろうとはしない。認めることもない。だからわたしはそれを思い知らせる必要があるんだ。完全に、抜け目なくね』

『でも多くの人の――』

『冗談はよしてくれ。わたしは一般市民を巻き込むようなテロリズムは認めない。わたしの目的は愉悦に慣れ切り、思考を放棄した人々への、危機意識の啓蒙なんだよ』

『でも!』

『きみはさ』


 ネーミア提督は静かに言った。


『きみの言うことは、することは、綺麗事なんだ。綺麗であることは素直に賞賛するよ。でもね、きみの綺麗さなんてのは、わたしのような汚穢おわいがあって、初めて成立するものなんだ』


 誰も何も言えない。もはや私は感情を失ってしまったのかもしれない。少なくとも、ネーミア提督の言葉に温度を感じることはない。


『さぁ、きみはどうするんだい、ベッキー。わたしという汚穢をこそぎ取り、自らの綺麗さをも失うかい? それとも、わたしという汚穢に飲まれ、わたしのためのいしずえとなるのかい?』

『選ぶ権利なんてない。戦うほかには。違う?』


 ウラニアがセイレーンEM-AZの艦橋に筒先を向けた。


『始めましょう、イズー』

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