#04-04: 雨の墓地にて、カワセ大佐とハーディ中佐が睨み合った

 カワセ大佐の車の後部座席にはすでに、レオンが乗っていた。大佐は自らハンドルを握っている。


「なんでレオンがいるの」

「レオナだ」

「別にいいじゃん」

「良くない!」


 栗色の瞳を見開きながら、レオナが怒鳴る。その声のすさまじさに、私の髪の毛は少なからず逆立っただろう。


「はいはい、レオナ、私の鼓膜を破るつもり?」

「あ、すみません、大佐」


 レオナは謝りつつ、席を詰める。そこにアルマが滑り込む。


「マリーは助手席に乗るといいわ」

「あ、はい」


 乗ろうと思っていた足を止めて、ぐるりと車の後ろから回り込む。助手席に座ってドアを閉めると、ロックが自動的にかかって、車は滑るように走り出した。


「あれ? 手動運転なんですか?」

「ええ」


 カワセ大佐は正面を見たまま肯定した。ハンドルなんてついてない自動車もたくさんあるのに、わざわざ自分で運転する人がいることに私は驚いた。もちろん、不測の事態を想定している戦闘用車両や護衛車両だったりするなら話は別だ。


「通話の時くらいは自動にするけど、基本的には自分でハンドル回してるわ」

「難しそうですね」


 私は後部座席の緊張した空気を感じつつ言った。カワセ大佐は「そうでもないわよ」と言いながらスピードを上げた。時速八十キロを超えているのだが、周囲の自動運転の車両たちも同じくらいの速度で走り回っているために、あまりスピード感はない。とはいえ、やっぱり手動運転は怖いなと思った。


「怖い?」

「え、いえ、あの」


 見透かされたように問われて、キョドる私。そんな私をちらりと見遣って、カワセ大佐はハンドルから手を離した。一瞬胸のあたりがヒヤッと冷たくなったが、いつの間にか自動運転に切り替えられていたらしい。


「私は自動運転の方がよほど怖いわ。アナクロニズムなのかもしれないけれど」

「でも自動運転の方が安全じゃないですか?」

「どうして?」

「えと、その、人が飛び出してきても勝手に止まるし、車同士でぶつかることもないじゃないですか?」


 私は車に関する知識は全然ない。目的地さえ入力すればあとは勝手に送り届けてくれるものが、自動車だ。免許なんていうファッションアイテムを敢えて取りに行く理由もわからない。


「手動でもそうよ?」

「え、そうなんですか」

「もちろん。だから安全性という意味では全くよ」


 なんだか釈然としないなと思う。


「しかし大佐。だったら自動運転でもいいはずです。なぜ手動運転に?」

「私、システムというものが嫌いなのよ」

「どうしてですか?」


 少なくとも私が物心ついた頃には、ありとあらゆるものがジークフリート隷下のシステムに統括されていた。それは今も変わらない。静かに確実に、ジークフリートは私たち人間を支配していっているのだ――そう主張する勇敢な社会学者もいる。もっとも、反ジークフリート勢力の発言力は弱い。それはあまりにも無謀な試みだから、誰も賛同はおろか、拡散さえしないからだ。私はといえば、ジークフリートはあって当然なものでしかないから、反対とか賛成とか、そういう感情は湧いては来ない。


「システムの運転だと、酔うのよ、私」

「そ、そうなんですか」

「それにに支配されている感触が良くないわ」

「でも、ジークフリートの統御システムは完璧でしょう? セイレネスだってそうですし」

「そうね」


 カワセ大佐は幾分微妙な表情を見せる。ハンドルを握り、再び手動運転に戻したようだ。


「でもね、完璧なシステムなんて存在しないわ」

「頭では理解できるんですが」


 でも実際、ジークフリートによる社会統御は成功している。システムは自動的に社会を繁栄させていく。トラブル一つにしても人間が解決することは少ない――人間同士のトラブルであったとしても。圧倒的に公平で正確な判断のできるシステムに、人間たちは思考思料の大半を委ねてしまったのだとも言えるのかもしれない。


「システムが公平で正確な判断ができる――あなた本気でそう思っている?」

「昔は人の手で一つ一つのシステムがって聞きますけど、今は基盤マトリクスはジークフリートがんですよね?」

「それは事実ね」

「なら」

「あなたの主張には大きな誤謬があるわ」

「間違えてますか?」


 私は幾分ムキになったかもしれない。カワセ大佐はほんのちょびっとだけ頷く。


「あなたの主張は、ことを前提にしているわ」

「でも間違えたりしたら社会が動かなくなるじゃないですか」

「社会が全部、正常に動いてるとでも思っているのかしら? あなたはこの社会が正常だとでも思っているのかしら?」

「それは……」


 私は言葉に詰まる。確かに言われてみればそうだ。この社会は完璧とは言い難い。完璧であるのなら、戦争も起きないはずだし、私みたいな孤児がつらい時間を過ごさなければならなかった理由もないはずだし、歌姫セイレーンたちの娯楽エンタメとしてたのしむなんてことも許されないはずだ。だけど――。


「それが答えよ、マリー」

「あの、カワセ大佐」

「何かしら?」

「ジークフリートって、なのですか?」


 私にしてみれば、ジークフリートとは、世界の基盤だ。ジークフリートなしに世界は存在できないし、人間の営みもありえない。もし仮に今ジークフリートを失ってしまったら、人はジークフリートの発生する文明レベルに逆戻りするんじゃないだろうかと想像したりもする。


「ジークフリートはね、一人の少年が開発したシステムなのよ」

「ジョルジュ・ベルリオーズ……」

「そう」


 カワセ大佐は今度はしっかりと頷いた。


「つまり、、というわけ」

「人の……」

「それは人の手を離れた人智を超えたもののように言い及ばれることがあるけれど、その実態は違うわ。未だにジークフリートは、ジョルジュ・ベルリオーズの掌の上にあるのよ」

「あのシステムを一人の開発者アーキテクトが?」


 私の問いに、大佐はまた頷く。後部座席の二人を窺うと、身を乗り出していた。いつの間にか、私たちの会話に注目していたのだろう。


「そう。あの天才はそれまでの世界の全てを塗り替えた。それも恣意的にね。ジークフリートは危険すぎる。それに付随するモジュール……つまり、セイレネスもね」

「でも——」

「そうよ、マリオン。今や世界はアレなしには立ち行かない。ありとあらゆるものがジークフリートによって守られ、搾取されている。でも、使わないわけにはいかないのよ。自分たちを守るためにね」


 そこで私はカワセ大佐の言いたいことが理解できた。


「それはセイレネスも同じ……」

「そう。セイレネスの音源のもたらす陶酔効果まで計算の埒内らちないだったかどうかは、知るよしもないけれどね」


 軍人墓地の敷地に入ると、カワセ大佐は少しスピードを落とした。車に乗った時にはそんなに感じなかったが、今現在、いつ雨が降り出してもおかしくないほどに空は黒かった。蒸し暑い夏の、真夜中の墓地の不気味さも相俟って、私たちは一様に緊張していた。


「誰のお墓に?」


 アルマがたまらず訊いた。カワセ大佐は「墓参りなんて実はどうでも良くてね」と本末転倒なことを言い出した。


「ここはエディット・ルフェーブル少将のお墓。ヴェーラ、レベッカたちの保護者よ」

「逃がし屋、ですね」


 レオンが言った。カワセ大佐は頷く。


「そう。彼女が暗殺された時に、ただでさえ危うかった均衡関係が、音を立てて崩れたのよ。その全てがヴェーラを……ああするために仕組まれていたと言っても良いわ」

「だれが」


 私たち三人の声が揃う。カワセ大佐は「そうね」と一拍置いてから、一言言った。


「運命よ」

「う、運命?」


 思わず訊き返したのは私だった。カワセ大佐は街灯から落ちる影の中に表情を沈め、小さく頷く。


「カティ・メラルティンの事件は知っている?」

「士官学校の?」

「いえ、そのずっと前」


 私たちはいっせいに考え始め、ほぼ同時に応えに辿り着く。代表して私が言う。


「漁村襲撃事件、ですか」

「そう。すべてはそこから始まった」


 カティ・メラルティン大佐の故郷は、大佐一人を残して皆殺しにされた。未だ犯人は不明だったが、その惨憺たるありさまは当時相当に大きなニュースで報道されたらしい。私が生まれるか生まれないかの頃の話だったはずだ。


「そこでルフェーブル少将はメラルティン大佐に出会い、メラルティン大佐は後に士官学校でヴェーラたちに出会う。そして三人の少女たちは――今や立派な大人だけど――、ルフェーブル少将の保護下に入った。これだけでも偶然と言える?」

「いえ……。しかし、なんのためにです?」


 私が訊くと、カワセ大佐は暗い空を見上げた。


「セイレネスはね、同調するの。その波が合えば高まる。高まり合わせるために、一つ所にまとめているのよ、あなたたち歌姫セイレーンを」

「そのためにレニー先輩も?」

「そうね。、よ」


 カワセ大佐はそう言うと、私たちの後ろに視線をやった。決して友好的な表情ではないなと、私は直感する。


「ハーディ中佐。来たんですね」

「ええ」


 カワセ大佐の問いに、ハーディ中佐は眼鏡のフレームを押し上げながら応えた。


「単刀直入に訊きます、大佐」

「なんでしょう?」

「あなたは、何者なのですか」

「それはどういう意味ですか」

「ホメロス社の社員であるという事は一応は事実でした。しかし、出向も受け入れも、私たちのデータベースには記録されていない」


 詰め寄るような口調だった。


「つまり、私は軍にいるべきではない、と」

「そうなります。あなたがここにいる合理的理由が見当たらない」

「アレキサンドラ・ハーディ中佐」


 カワセ大佐が毅然と名を読んだ。しかしハーディ中佐は腕を組んで微動だにしない。


「残念ながら、軍という組織は私の存在を認めている。私は非公式にこの立場にいる――それは事実。だけど、それは公にできない理由があるからなのよ」

「その理由とは」


 ハーディ中佐は今にも銃を抜かんとする姿勢だった。だが、抜いたらハーディは死ぬ――なぜか私には分かっていた。直感、というのだろうか。


「あなたに話す必要性は感じませんが、この子たちに伝えるです。お伝えしましょう」


 暗い墓地の中、二人の佐官が対峙する。ピリピリと張りつめた空気を感じて、私たち学生三人は身を寄せ合った。


「私はヴェーラ・グリエール、およびレベッカ・アーメリングをとするために、歌姫直轄の参謀部へ送り込まれました。いわば人間兵器を完成させるための手助けをしてこい、というわけです」

「しかし、それは失敗に終わった」

「どうかしら」


 カワセ大佐は目を細める。ハーディ中佐は怪訝な表情を見せる。カワセ大佐の表情は陰に隠れて良く見えなかったが、その双眸はぎらついているように見えた。


「歌姫計画はなおも進行中。中止されることはありえません。テラブレイク計画との統合も視野にあります」

「まさか。三課の管轄です、あれは」

「今やヤーグベルテは挙国一致の体制でなければ立ち行かない。なぜなら――」


 その時、突然稲光が周囲を照らしあげた。数秒と経たぬうちに、鼓膜を引き裂くのではないかというような雷鳴が響き渡る。それを合図にしたかのように、唐突に豪雨となり、私たちは一様に濡れた。


「いいでしょう」


 ハーディ中佐は首を振った。そして右手で前髪に絡み付いた水滴を払いのける。


「あなたもまた、当事者というわけですね、大佐」

「そうというのなら、そうでしょうね」


 カワセ大佐は顔に貼りついた髪を手で後ろにやりながら、凄絶な笑みを浮かべたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます