#03-03: イザベラの処女戦、傷は深く、されど。

 ヴェーラ・グリエールが亡くなってから二ヶ月少々が経過した時、軍から突如発表があった。


 新たなD級ディーヴァが現れた――そんな突拍子もない発表だ。


 その人はヴェーラとは似ても似つかない人だった。というよりも、顔が分からなかった。サレットと呼ばれる顔の上半分を覆うような兜のようなものを被っていたからだ。背中まで伸ばされた髪は栗色で、瞳の色はよくわからなかった。そこまでならあるいはヴェーラではないかと思えないではなかったが、声がまるきり別人だった。ヴェーラの声よりも単純にちょうど二音低いし、声質もまるで違っていた。同じ人物がここまで違う声を出し続けられるはずがない。


 それに以前のヴェーラがしなやかな鞭であるとするならば、このディーヴァ、イザベラ・ネーミアは鋼鉄の剣のような剛直さの持ち主だった。その纏うオーラのようなものの性質がまるで違っていたのだ。だから、私たちは、この有り得ないタイミングでの新ディーヴァの登壇を、受け入れないわけにはいかなかった。そして、ヴェーラ・グリエールが本当にいなくなってしまったのだと認めないわけにはいかなくなったのだ。


「イザベラ・ネーミア、か」


 ヴェーラの死と入れ替わるようにして現れ、突如少将として迎え入れられたディーヴァ。あからさまに状況は怪しいにも関わらず、国民の誰も、そのことに言及しようとはしなかった。うそぶく大手マスメディアも、ネットの裏側で活動する人々も、誰もその件を追求しようとはしなかった。


 そしてそれは私たち歌姫養成科の候補生たちも同様だった。個人レベルで話をすることはあっても、集団の中ではその話題は禁忌タブー視されていて、一ヶ月も経つ頃には誰もその話題を口にしようとはしなくなった。レニー先輩は相変わらずどこか調子を乱していたし、アルマは思いつめたようにテレビを眺めていることが多くなった。私はといえば、携帯端末でニュースばかりを追っていた。


「冬が来たというのなら、春がそう遠くにいるなんてことがあるだろうか」


 アルマが頬杖を突きつつテレビを見ながら、そう呟いた。どこかで聞いたフレーズだな、と私は記憶を検索する。そんな私をちらっと見やり、アルマはまたぼそぼそと言った。


「シェリーの詩だよ。西風に寄せて」

「ああ、あれか」

「そう、それ」


 気のない返事をして、アルマは続けた。


「ヴェーラが冬だとしたら、ネーミア提督は春なのか」

「どうだろうね?」


 私は素直に疑問符をつける。

 

「ネーミア提督は、正直言って、内面が全く見えないんだよ。哀しみも怒りも喜びも見えない。ただ、そうだな……くらい」

「昏い?」

「うん」


 頷いて、私はソファから立ち上がる。そしてキッチンへ行ってインスタントコーヒーの粉を適当にカップに入れて、お湯を注ぐ。


「あたしにもちょうだい」

「はいよ」


 言われた時にはもう、アルマの分も用意済みだった。そう言えばレニー先輩は今朝方から姿を見ていない。七時前に出て行ったきり、午後三時を迎えた現在に至るまで戻ってきていなかったし連絡もなかった。別に珍しいことじゃないけど。


 私はコーヒーの香りを吸い込んでから、アルマを見る。


「私たちが初めて会ったあの日、ヴェーラとレベッカから受けたエネルギーにはすさまじいとしか表現できない力があった」

「うん、間違いない」

「でも今は、レベッカも……アーメリング提督も変わってしまわれた。鋭すぎる刃みたいな、そんな印象」

「だな。ネーミア提督にしてもしかりだ」

「だよね」


 二人のディーヴァは、いわば鋭利すぎる刃物だった。ネーミア提督のはまだ誰も知らない。だけど、そこから感じるエネルギーは確かにディーヴァのそれだった。なぜかわかる。その姿を目にし、声を聴くたびに、私の内側が恐怖に震えるからだ。それはアーメリング提督も同様だった。冷徹冷酷に振るわれる力と、味方をも切り捨てる戦い方に、私たち歌姫候補生たちは揃って怯えていた――たとえその理念信念を理解できていたとしても。


 その時、私の後頭部あたりがチリっと痛んだ。思わず眉間に縦皺が寄るレベルの痛みだった。アルマを見ると、彼女もまた何かを感じたようだった。アルマは額に手をやりながら首を振った。


「……なんか」

「うん」


 感じた。それは不吉な、そしてたまらなく不愉快な感覚だった。ぞっとするような、のようなもので夢から叩き出された時のような。心臓と胃を同時に冷たい手で鷲掴みにされたかのような、吐き気さえもよおすような気持の悪さだった。


 テレビから警告音のようなものが聞こえてくる。私は反射的に画面を睨んだ。半立体映像が平面に切り替わる。臨時ニュースだ。


「いよいよか」


 アルマが呟いた。私の不快感は消えていない。アルマの表情も険しい。私は画面の端々に昇る黒い煙に気が付いた


「いや、違うみたいだ」

「もう始まっていた……?」


 戦闘は生中継されるのが常だった。なぜなら、歌姫セイレーンたちが戦闘中に歌うこそ、ヤーグベルテ国民にとって最大の娯楽エンターテインメントだったからだ。麻薬のようなその歌声は、国民を酔わせる。国民はもはやそれなしでは満足できなくなっていたし、戦いがあって初めて得られるその音色を、ほとんどすべての国民は底なしに求めていた。


 画面の右下に小さく映っているニュースキャスターが、能面のような表情で言った。


Vヴォーカリスト歌姫セイレーン、トリーネ・ヴィーケネス中尉が戦死したとのしらせが飛び込んできました』


 ……は?


 私は耳を疑う。アルマも鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、私を見る。C級歌姫クワイアが戦死したところで最早ニュースになんてならない。今やとして発表されるだけだ。だが、それがわずか四名しかいないV級ともなれば話は別だった。テレビの中が慌ただしくなっているのを感じる。テロップもアナウンスもめちゃくちゃだった。キャスターだけが淡々とした声音で、原稿を読み上げている。何が起きたのか、未だ彼女自身把握できていないに違いなかった。


「嘘でしょ……」


 私は思わずそう呟いていた。アルマは口を小さく開けた状態で、テレビを睨みつけている。


 トリーネ・ヴィーケネスといえば、九十二年四天王ナンバー2。実力も人気もエディタ・レスコ大尉に次ぐ人物で、今や押しも押されぬ国民的スターの一人だった。レニー先輩も、私たちに彼女らのことを話してくれることが度々あったが、その話題の中心にいるのは大抵がトリーネだった。レニー先輩曰く、指揮官としてはエディタ、カリスマとしてはトリーネ――そういう力関係だったし、ステージに立つ四人の姿を見ても、確かにそうだと思った。


「どうして、V級が……」

「わからないが」


 アルマはようやく声を絞り出した。そして私を凝視する。


「さっきの不快感って、まさか、これか?」

「あ……」


 そうかもしれない。あれは、トリーネのだった……?


 私は唾を飲む。喉がひどく痛かった。


 テレビの中のキャスターは喋り続ける。


『マーナガルム飛行隊を含む敵航空部隊は、率いるエウロス飛行隊により撃滅。アーシュオン三個艦隊は潰走しました。しかしながら、敵の新型ナイアーラトテップによって、我が国の貴重な歌姫トリーネ・ヴィーケネスを、重巡レグルスもろともに喪失しました』


 どうやら情報に間違いはないらしい。参謀部発の情報であるというテロップがついている。この後、参謀部第六課――歌姫主幹――による記者会見が行われるらしい。


「イザベラ・ネーミア提督の処女戦だけど……この結果は……」

「でも、アルマ」


 私は腕を組んだ。正直言って、頭がガンガンする。


「敵は三個艦隊いたんだ。それを実質一個艦隊と少しの戦力でほとんど殲滅してる。敵の航空部隊だって一割も残らなかったはずだよ」

「大戦果……」

「そういうことになると思う」


 私はなぜか冷静だった。衝撃が大きすぎて、脳のどこかが壊れたのかもしれなかった。アルマは「ああ、クソッ」と吐き捨てながら、その三色の髪の毛をかきむしる。


「アーシュオンにはもうまともな通常艦隊は残ってない。ナイアーラトテップ頼みの戦術になってきているのは目に見えてる」


 ニュースのテロップによれば、確認されたナイアーラトテップは、新型が一隻、M量産型が十五隻もいたという。それをクララ・リカーリ中尉とテレサ・ファルナ中尉が二人で撃破殲滅したのだと、ニュースキャスターは幾分か誇らしげに言っていた。確かにM型十五隻の撃滅は大戦果だ。週刊ナイアーラトテップと呼ばれるペースで建造されているという噂もあったが、それにしたってこの大損害はそう簡単には補填できまい。一個艦隊級以上の建造費が灰塵かいじんに帰したわけだ。


「新型のナイアーラトテップが、とんでもないやつだったってことか」


 アルマの歯軋りと同時に、画面が切り替わる。参謀部第六課統括、アレキサンドラ・ハーディ中佐が、颯爽さっそうと入室してくる。カメラのフラッシュを受けて、鋭角的な眼鏡のレンズがギラっと輝いた。テレビでは何度も見た顔だが、何度見ても慣れない。その視線はまるで蛇のように無感情で、喋る声にもおよそ体温というものを感じられない人だったからだ。


 ハーディ中佐着任以前の統括は、「逃がし屋」エディット・ルフェーブル大佐で、顔に酷い火傷の痕はあったし、決して温かい雰囲気の人ではなかったけれども、まだ親しみは持てた。美しかったであろう容姿を再建することなく、歌姫たちのために奔走したその姿は、私たちディーヴァの支持者たちの間でもかなりの人気があったのだ。だが、ハーディ中佐は違う。ルフェーブル大佐を暗殺したのがハーディ中佐であるという噂すらある――統括のその地位欲しさにだ。これは噂でしかないが、その後の軍の無関心ぶりを考えるに、あながちハズレてもいないんじゃないだろうか……なんて思う。




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