#03-02: 十字架を引き受ける
それから数週間後――二〇九六年は衝撃的なニュースで幕を開けた。
ヴェーラ・グリエール提督の、ディーヴァの、死去である。
ずっと意識不明の状態が続いていることはもちろん知っていた。だけど、私を含めて国民の多くは、ヴェーラの復帰を願っていた――いろんな理由はあるにしてもそれは間違いない。
その衝撃のニュースを目にした時、私とアルマは抱き合って泣いた。あの時に感じた、強烈な負のエネルギー。あらゆるネガティヴを凝縮したような、しかし圧倒的に強烈なエネルギー。その発信主が、こんなにあっけなくもこの世から消え去ってしまったという事に、私たち四期生は全員が全員腑抜けたようになってしまった。あまりにもあっけない幕切れだったと言わざるを得ない。
「どうなっちゃうんだろ」
私は三人分のコーヒーを
「はい、コーヒー」
「ありがと」
アルマがようやく口を開いた。その顔には表情がない。ヴェーラという偉大な歌姫を
「レニー先輩も」
「……ありがとう」
レニー先輩はさっそくカップを取り上げて、目を閉じてその香りを吸い込んだ。そして寂しげな表情を見せて、「落ち着くね」と言った。私もソファに腰を下ろして、コーヒーに口をつける。それはいつもより少し苦かった。元日の昼間に飲むコーヒーとしては悪くはないなと、妙な感想を持ちもした。
「なんか――」
アルマがコーヒーにミルクを入れながら言う。
「実感が湧かない」
「そう、ね」
レニー先輩が間髪入れずに相槌を打つ。私も頷いた。レニー先輩がぼんやりとした表情で言った。
「まるで家族を失った時みたい」
レニー先輩も私たちと同じ、二〇八四年の大空襲で故郷を失った一人だ。レニー先輩の出身地は、最も被害の大きかったセプテントリオだったはずだ。当時先輩は六歳。四歳だった私たちよりも、その記憶は鮮明なはずだった。
というよりも、そんな傷心の私たちを癒したのが、ヴェーラとレベッカ、二人の
歌姫の能力があると言われ、この士官学校に入るまでは「政治の世界」なんてまるで無縁だと思っていたけれど、実際には切っても切れない関係だったんだと、私は改めて悟る。テレビもネットも、やっぱりヴェーラのことしか言っていない。追悼番組という奴が、この先数日のうちに何十と作られる事だろう。そんなことをしても、ヴェーラは二度と国民を救ってはくれないのに。
私はコーヒーの黒い水面を見ながら思わず言った。
「その一方で、アーメリング提督は査問会」
先日の戦闘で、あれほどの損耗を受けた経緯を調査しているのだという。ASAと呼ばれる反歌姫連盟と呼ばれる過激派集団的な何かは、さっそく「レベッカ・アーメリングの処罰」とやらを求めてがなりたてている。曰く、過日の被害は「怠慢」によるものだそうだ。年末に彼らのシュプレヒコールをたまたま目にした私は、帰ってくるなり悔しくて泣いた。ひたすら、悔しかったのだ。その時のことを思い出すだけで、思わず視界が揺れる。
「酷い話だな、マリー」
そう言うアルマの言葉すら、私への皮肉に聞こえてしまう。私は唇を噛む。痛かった。
「マリー、アルマ」
「レニー先輩……?」
私とアルマの声が重なる。レニー先輩は私たちを見回して、コーヒーカップをソーサーに置いた。そして、言う。
「これは終わりじゃないわ」
どういうこと? 私は掠れた声で訊いた。レニー先輩はすごく切ない表情を見せた。微笑んでいたのか、悲しんでいたのか、それともいろんなものが
「ディーヴァの時代はまだ続く。少なくとも、あと数年は、きっと」
「数年……?」
「マリー」
レニー先輩は立ち上がり、私を見下ろした。ポニーテールが少しだけ揺れる。
「私たちが、時代を終わらせるのよ」
「時代を? ど、どういう、意味?」
「私たちソリストが、ディーヴァたちの時代を終わらせるの。あの方たちの十字架を引き受けるのよ」
レニー先輩に似つかわしくない、決然としたその佇まいに、私たちは言葉を見失う。アルマをちらりと窺うと、彼女も私に視線を送ってきていた。浮かんでいたのは戸惑いの表情だった。
「レニー先輩、もしかして、何か知ってるの?」
「……いいえ」
レニー先輩は私を見つめて、しばらくしてから首を振った。ある意味、それが答えだった。レニー先輩は何かを知っているのだ。アルマが詰問口調で訊いた。
「年末に呼び出されて慌てて出ていったことがありましたよね」
「ええ」
「あの時、何か?」
「……いいえ」
レニー先輩は分かり易く隠し事があるという事を示してくれた。何かがあったが、それは言えない――そういう意思表示でもある。そうされてしまうと、私たちもそれ以上は訊くことができないのだ。
「でも、私たちはヴェーラとレベッカが背負ってきた十字架を引き受けなければならないの。一刻も、早く」
「でもあたしたちには、まだその能力がない」
アルマが爪を噛んでいる。その表情はとても険しくて、まるで飢えた山猫のようだった。
「だからこそ。私たちは提督を知り、理解し、そして同じ未来を見なければならないわ」
「繰り返すだけじゃないですか、それじゃ」
私は思わず言った。レニー先輩は静かに頷いた。
「ごめんなさい、マリー、アルマ。私には、それ以上の未来が描けない。でもあなたたちが、それを超える未来を描けるんだというのなら、私は喜んでその
「レニー先輩……なんか変ですよ」
「……変ね。そう、変よ。変にならずにいられないもの」
レニー先輩はそう言うと、ソファに深く座りなおして腕を組んで目を閉じた。
思えばレニー先輩はこの時すでに、何もかもを知らされていたんだ――レベッカ・アーメリングによって。
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