第16章 混沌への一歩

 電子音と共にドアが開き、白衣をなびかせて女史が姿を現す。

 研究員達は皆、一斉に彼女に頭を下げた。

 禿げ上がった頭の研究室長・ノマドは、相変わらずどもりながら必死に言葉を投げかける。


「お、おおお、おつかれさまです、リノア博士」

「おつかれ、ノマド。どう、二人の様子は?」

「いい依然として、か、変わりないです、はい。記憶についても、一向に戻らないみたいで……」


 申し訳なさそうなノマドに、リノアは「そう」と簡潔に告げた。

 そのまま迷うことなく、奥の強化ガラス壁に近付く。


 真っ白な正方形の部屋はこれまた内部をガラス壁で仕切られ、左右に分かれている。

 まばゆい純白に眼を細めるリノアに、部屋の中に隔離された二人が視線を向けていた。


 向かって右側にはハル。

 そして左側には連れ帰った少女・エリシオがいた。

 二人とも地面に座りこみ、どこかぐったりとした眼差しを向けている。


 先に声を上げるのは、あぐらをかいたハルだ。


「よう、長い会議は済んだのかい。んで? 何か有意義な決定でも持って帰ったか?」


 マイク越しに伝わる声に、リノアは困ったように笑みを浮かべる。


「ええ。何から何まで、重要事項だらけだったわ。考えすぎて、頭が痛くなりそうよ」

「へえ。あんたでも、知恵熱がでたりするもんなんだな。意外だよ」

「どれだけ勉強しても、脳の構造はそう変わりはしないからね。もともと、頭の出来自体は悪いんだと思うわ、私」


 よく言うぜ――と、苦笑して見せるハル。

 リノアも笑顔で返すが、すぐにうれいが覗く。


「ごめんなさい。やっぱりまだ、あなた達を解放はしてあげられないみたいなの。処遇は上の決定を待ってからってことらしいわ」

「なるほどね。ということは、やっぱり何かあったわけだ。他ならぬ“俺”について」


 深く頷くリノア。

 ハルも笑ってこそいるが、その目は真剣だ。

 二人のやりとりをエリシオは交互に、不安げに見つめていた。


「まず、ベネットが発見した情報について、一通りの説明があったわ。あなたの素性についてね。ノマド、これをモニターに映せるかしら? 彼らにも見えるようにしてちょうだい」


 腕に取り付けた端末を操作し、何やら情報を手渡すリノア。

 ノマドは戸惑いつつも、言われるがままそれをディスプレイに投影した。

 リノアとハル達をへだてる無色の壁に、一枚の画像が浮かび上がる。


 どうやらそれは、隊員の素性をまとめた経歴表のようなものらしい。

 右上には男の顔があり、正面を向いている。


 荒々しい黒い髪と、太めの眉毛。

 眼光は鋭く、なぜか口の端はかすかに緩んでいる。

 不敵に微笑ほほえむ青年の顔を、ハル、そしてエリシオもまじまじと見つめた。


 リノアは一呼吸置き、彼女が軍部から伝えられた事実を告げる。


「ハル=オレホン――DEUSデウス部隊の中でも“暗部”と呼ばれた裏の精鋭軍団・『ウォッチャー』の一員にして、リーダーを務めていた男よ」


 眼を見開き、息をのむハル。

 かすかにリノアを見たが、すぐに視線を戻す。


 この男が――モノクローム脱出時、ゼノから大まかな内容だけは伝えられていた。

 しかし、改めて直面すると、どうしてもうろたえてしまう。


 ずっと探し求めてきた自身の過去。

 霧の中、その後ろ姿だけを見ていた。

 声も聞こえず、ただ身振り手振りで、隊員達を湧き立たせる“彼”を。


 その男の素顔が、今まさに目の前にある。


 ディスプレイの「ハル」を見ながら、リノアは続けた。


「私も初耳な情報ばかりで、正直、参ったわ。どうやら『ウォッチャー』っていうのは、DEUSが過去に作り上げていた機密部隊の総称らしいのよね。人々の平和を守るという表向きの任務とは違い、命がけのシビアな仕事を、この『ウォッチャー』――もとい“暗部”の面々がこなしていたそうよ」


 次々に流れ込む情報に、溺れそうになってしまう。

 ハルは冷静に過去の記憶とそれらを照らし合わせていた。


 暗部――たしかに、霧の中で見たあの光景でも、同じ言葉が使われていた。

 となればやはり、あの後ろ姿こそ、今、目の前に映っている「ハル=オレホン」だったのだろう。


「『ウォッチャー』が結成された時期は、はっきりとは分かっていないの。データ上では、彼は20歳の時に入隊しているわ。そして2年後に隊長に就任。随分なスピード出世だったみたいね」

「随分と若いんだな――ああ、いや……若かったんだな、“俺”は」


 目の前の男と自分を同一に扱うということが、ひどく難しい。

 困惑する姿に、リノアが微かに笑ったのが見えた。


「そうよね。いきなり、『これは昔のあなたです』って言われても、きっと困っちゃうかもね。ただおそらく、“彼”とあなたが同一人物であるということは、ほぼ確実みたいなの。『ウォッチャー』は通常のDEUS隊員とは異なる兵装を用いていたみたいなんだけど、その時期に使われていた防護アーマーが、あなたが着ていたものと一致するのよね。あなたのものは損傷が激しかったから、はっきりと断定はできないんだけど」

「俺が倒れてた時に、着てたやつか……そんな特殊なものなのか、あれは?」

「ええ。技術班が解析したけど、合成物質の構造がかなり特徴的で、過去のデータに残されていた『ウォッチャー』のそれと一致したらしいの。軍関係者に『ハル=オレホン』って同姓同名はいなかったし、間違いないと思うわ」


 そうなれば、いよいよ可能性は高まってくる。

 何から何まで、この男が探し求めた「ハル」であると告げているようだ。


 しかしながら、やはりいまいちピンとこないというのも事実だ。

 あいにく、記憶の断片が戻ってくるわけでもない。

 今のハルにとって、画像の中の「ハル」はまるで別人のように見えてしまう。


 あぐらをかいたまま、後ろ頭を掻く。

 そんな彼の隣の部屋で、エリシオが声をあげた。


「これって、私と会った時のお兄ちゃんだね」


 ハル、リノアが目を見開いた。

 音声を録音している技術班達がざわつく。


 膝を抱えたまま座るエリシオに、ハルは恐る恐る問いかけた。


「今、なんて……君、この男を知ってるのか?」

「知ってるも何も、お兄ちゃんじゃない。私と出会ったばかりの時の」


 ごくり、とハルはつばを飲み込む。

 妙に喉が渇いて仕方がない。

 焦らないよう、冷静に少女の言葉を噛み砕いた。


「お兄ちゃん達があの街に来てすぐ、“ケモ“”に襲われてたの。だから私は、危ないと思って助けてあげたんだ。大人の人達は私のことを怖がってたけど、お兄ちゃんだけは優しくしてくれたよ」


 嬉しそうに、かつての思い出を語るエリシオ。

 だがあいにく、それを聞かされたハル達は唖然あぜんとするしかなかった。


 それはつまり、確定したということなのである。

 この写真の人物こそ、今こうして真っ白な肉体に変貌した「ハル」その人だと。


 しかし、最後にエリシオは「う~ん」と首をかしげ、画像を眺める。


「でも変なの。お兄ちゃん、こんな笑い方しないよ? 顔は一緒なんだけどなぁ」


 少女の言葉の真意は分からない。

 だがそれでも今のハル達は、大きな――とてつもなく大きな手掛かりを掴みつつあった。


 モノクロームから帰還してすぐ、エリシオとハルは揃ってこの隔離室に幽閉されていた。

 モノクロームを紐解く“鍵”となる者同士、軍部は丁重に――いや、厳重に取り扱いたかったのだろう。

 特にハルに関しても、その素性が明らかになったことで再度、警戒レベルを高めたようだ。


 あれからエリシオもDEUSの面々に色々と質問されていたが、結果はかんばしくない。

 彼女の記憶もまた断片的に抜け落ちており、出てくる内容はハルが今まで聞いていたものとそう変わりはなかった。


 もっとも、本格的な“尋問”はこの後、行われるらしい。

 それが済めばもう少し、あの街についての真実は見えてくるのかもしれないが。


 ふぅ、とリノアがため息をつく。

 改めてデータを見ながら、彼女は説明してくれる。


「彼は――ハル=オレホンは、随分と珍しいタイプの青年だったみたい。“暗部”にいながら、竹を割ったような性格でね。年齢や性別、階級に関係なく人と人を繋ぐことができる、柔らかい人間だったそうよ。人を笑わせることが好きで、ムードメイカーだったんですって」

「へえ、全然想像できないよ。俺が……笑わせるのが好きだって? 見当もつかないな……」


 なんだか、かつての自分は今とは妙にずれている部分がある。

 しかし、霧の中で見たあの光景は、リノアが語った人物像のそれと酷似していた。

 あれはきっと、「ハル」が隊員達を和ませていたシーンだったのだ。


「ただ、部隊自体はいつしか消息を絶って、そのまま自然消滅したらしいの。だから『ハル』を始め、部隊の面々がどこに消えたかは記録されていないわ。ただ、その子の言葉を信じるなら――あなたはきっと、誰よりも先にモノクロームにたどり着いていたのね」


 全員の眼差しがハルに注がれる。


 一瞬、自分の隣に座っているエリシオを見つめた。

 エメラルドの無垢な瞳と視線が交わるも、すぐに床へとそれを戻してしまう。

 歯噛みし、思わず拳に力がこもる。


「きっと、そうなんだろうな。けど――ダメだ、まるで思い出せない」


 記憶の残滓ざんしは蘇ってくれない。


 頭の中から抜け落ちたのか、はたまた奥底で眠ったままなのか。

 いずれにせよ、これだけの手がかりを前にしながら、ハルの記憶は復元される兆しすらみせてくれない。


「自分のことが分かれば、きっとその瞬間に、忘れてたあれこれが戻ってくると思ってたんだ。だけど、どうやらそんな簡単なことじゃあないらしい……どうやらよほど、俺の脳みそは鈍感で、頑固みたいだ」


 皮肉を投げてみるも、それがまるで虚しく自分の中で響く。

 何度睨みつけてみても、写真の奥で笑う「ハル」は答えてくれない。


 苛立つその姿を、エリシオがガラスに手を当てて見つめている。

 リノアもまた、たやすく慰めの言葉などはかけない。

 無責任に励ますということが、優しさにならないということを聰明そうめいな彼女は知っている。


 だからこそ、今彼女が知り得る“状況”をできる限りハル達に伝えてくれた。


「あなたは、霧の中で出会ったのよね。あの街の管理者――『魔王』に」


 ハル、そしてエリシオが視線を持ち上げる。

 リノアの眼差しに、いつになく真剣な色が覗いた。


「実は私も、あの時に出会っていたのよ。その『魔王』に」


 息をのむハル。

 エリシオは口を少し開け、じっとリノアを見つめていた。


「どういうことだ……あんたも『魔王』と――」

「あなたと同じよ。霧に包まれて皆と分断された後、しばらく出口を求めてさまよってたの。そしたら目の前にぽっと、ある“光景”が浮かび上がった」


 それはまさに、ハルが体験したそれと同じだ。

 ハルに降りかかった数々の異常現象は、すでにDEUSの面々にも共有済みである。


「見間違うわけないわ、あれは――私が昔、両親と一緒に住んでいたマンションよ。しかもあのシーンは、私が最後に父を見た瞬間」

「なんだって。ってことは、あんたの親父さんが失踪する直前の出来事だったのか」

「ええ。私がちょうど、ハイスクールの学生の時よ。父はあの時も、他国でのサミットがあるからって、家を空ける予定だったの。二週間ほどの別れだったけど、当初の私達からすれば、そのリズムには慣れてしまっていたわ。だから、あの時も同じ。いつもと変わらず、旅の無事を祈っていた。必ず父が帰ってくるものだと、信じていた。だけど――」


 帰ってはこなかったのだ。


 あらゆる分野を好奇心と探求欲で突き進む、そんな男だと聞いている。

 リノアの顔から、すでに笑みは消えていた。

 彼女は少しうつむき、微かな沈黙の後、告げる。


 彼女だけが知り得ていた、真実を。


「私の父はきっと――モノクロームにいるわ」


 録音されているということは、知っている。

 いや、むしろ最初から、DEUSの面々にも隠す気はなかった。

 この場にいるハルとエリシオだけが、今日までこの事実を知らずにいただけだ。


 ハルは言葉を返すことができない。


 じっとりと、握りしめた拳の中に汗が湧き出ていた。

 透明の防壁を一つ挟んだ先、そこにたたずむ女史を必死に見つめる。


「どういうことだ、それは。まさか、あんた――」

「そう。私があの街を調べているのは、興味を持ったからだけじゃあない。ずっと探してたのよ。あの街で消えた、父を」


 エリシオもまた、リノアの顔を唖然として見つめている。


「父が残していたノートに、書いてあったのよ。あの場所のことが――父が追い求め続けてきた超常的な存在のことが。そこに“街”があると知ったのは、私もDEUSから協力を要請されてからだけどね」

「なんてこった……そんなことが……」

「ノートの中身に、明確な手がかりは残っていなかったわ。ただ、ずっと父が研究し追い求めた結果が記されていたの。最終的に父が導き出したある“座標”は――あの街の場所と一致していた」


 それが、彼女がモノクロームを追いかける、本当の理由だった。


 さらに女史は、毅然とした眼差しのまま告げる。


「父のノートに記された“座標”と、突然出現した“街”。そこに繋がりがあるということは、ある種、私にとっての賭けだった。だけど、モノクロームが理解を超える存在であればあるほど、父が追い求めた“あるもの”との関連性が、私の中で強くなっていったの」


 あくまで全てを明白にはしない。

 それでもハル達にとって、この女史が今日まで突き進んできた、その確固たる目的”が随分と明らかになった。


 なぜそれを、ハル達に伝えたのか――彼女が霧の中で体験したことに、全ては繋がっている。


「霧の中で彼に――あれが『魔王』なんだと思う――何度も語りかけられたのよ。『いつまで、見つからない何かを追い求めるつもりだ』ってね」


 喋り方からして、間違いないだろう。

 リノアに語りかけたのは、ハルが遭遇した存在と同じものだ。


 モノクロームを支配する「魔王」――リノアはさらに続ける。


「必死に反論したわ。でも、全て相手に見透かされていた。私がここに来た理由も、追い求めているものも。全部分かった上で、徹底的に否定されたわ」


 リノアが視線を持ち上げる。

 どこかその瞳は、潤んでいるようにも見えた。

 だが、彼女の持つ凜とした光は失われていない。


「確信したのよ。私の父と、ハル、そしてその子と『魔王』――全てきっと、何か繋がりがあるんだって。全部、あのモノクロームの中で関係を持っている。きっとそれだけの何かが、過去にあったのよ」


 打ちのめされ、押しつぶされそうになっても、彼女は折れていない。

 絶望的かつ超常的な非日常の中ですら、前に進む足は止めない。


 彼女の心は、“父”から教わったあの言葉が支えている。


「今は相変わらず、分からないことだらけ。だけどやっぱり、あの街はあそこにある“意味”があるのよ。私たちだってそう。こうやって再会しただけの“意味”が、ね」


 その姿を見ていると、なんだか少しだけ不安が和らぐ。

 幼いエリシオの目にも、彼女が輝いて見えたのだろう。

 二人は揃って、ガラスの向こうに立つ女史を見つめていた。


 ふぅ、とため息をつくリノア。

 その顔に少しではあるが、いつも通りの明るさが戻ったような気がする。


「残された隊員を救援――とは言ってるけど、実のところ、しばらく街に突入することはないと思うわ。欠員も出てしまったし、今回の突入での負傷者も多い。だから意気込んでも、今はどうすることもできない、って感じかしら。お互い歯がゆいのは良く分かるけど、充電期間だと思って待ちましょう。疲れもしっかり取らないと、ね?」


 あっけらかんとした意見に、ハルは肩の力が抜けてしまう。

 微かに真剣な眼差しを残したまま、女史に問いかけた。


「なあ。なんでそんなこと、改めて教えてくれるんだ? あんたらからしたら、俺達はまだ半分、危険人物なわけだろう」


 それはもともと、この組織に関わってからずっと抱いていた疑問だった。

 ことリノアという女性に関しては、なぜここまでハルを信頼するのか、さっぱり分からない。


「言ったじゃないの。あなたを“良い人”だって、見込んでるからよ」

「いや、あの……その“良い人”ってのがいまいち分かんなくて。俺が仮に、この『ハル』だったとして、過去が全て分かったわけじゃないだろう?」

「もちろん、全部を信頼するほど、私も平和ボケしているってわけじゃあないわよ。だけど、あなたは行く先々で、いつも何かに“立ち向かって”くれてるじゃない。今回だって、あの街の住人――確か『ジョナ』って人を助けたんでしょ?」


 ハルは先日の出来事を思い返し、「ああ」と返す。

 その目が一瞬、ガラス壁の外にまとめて置かれた、自身の装備品に向けられた。

 技術長・ドクから授かったあの“刃持たぬ剣”が、トレーの中に鎮座している。


「あれはなりゆきで……ただ必死だっただけだよ。生き残れたのだって、奇跡に近い」

「そういう流れがあったとしても、だからといって人に手を差し伸べられるかは、簡単なことじゃあないわ。DEUSの隊員達については残念だけど、その人達だって救おうと頑張ったんでしょう?」


 ヴォイドの依代よりしろにされてしまった、あの男の事が思い出される。

 もし彼が無事に帰還できていたら、今頃は満腹になるまで、美味い食事を楽しめていたのだろうか。


「その行動力の源は、あなたを作り上げる根っこの部分なのよ。正しいことに進もうとする意思があるからこそ、迷わず行動できる。あなたが悪人だったとしたら、よっぽど人を騙すのが上手い“ペテン師”なんじゃあないかしらね」


 くすくすと笑う彼女を見ていると、またも脱力してしまう。

 とにもかくにも、食えない人物であることには変わりがない。


 ハルもため息をつき、気持ちをリセットする。

 ようやく自然体で、リノアに告げる事ができた。


「あの爺さんに、礼を言っといてくれよ。ドクがあのとんでも兵器をくれてなけりゃあ、今頃こうして話する事すらできなかったんだろうしな」


 苦笑して告げるハル。

 だがここで、なぜかリノアの表情が曇る。


「どうした?」

「いえ……実は、ちょっとだけ妙な事が起こっていてね」


 妙な事、と繰り返すハル。

 相変わらずエリシオは膝を抱えたまま、二人の会話を交互に眺めている。


「ドクなんだけど、なんでも急に本部の方へ帰っちゃったらしいのよね。私達がモノクロームに突入する、本当直前だったみたいよ」

「なんだ、随分と悪いタイミングだな。別の仕事でも入ったとか?」

「そうかしら……ただ、なぜか連絡が取れないのよ。ダイレクトメールも、直接通話もまるで繋がらないの。軍部の端末は個人個人が管理しているから、まさか置き忘れて行っちゃう事もないだろうしね」


 ハルも思わず顎に手を当てて、考えた。

 年齢とはかけ離れた勢いと、行動力を兼ね備えた彼だ。

 もしかしたら、なにか個人の思惑に突き動かされているのかもしれない。


 だが、連絡が取れないというのは確かに妙である。

 リノアは「まいったわ」と苦笑した。


「今回の件で、色々とドクの意見も聞きたかったのよ。だけど、こうも連絡がつかないんじゃあ、またの機会にするしかないわね」


 そんな言葉を最後に、リノアはため息をつく。

 ハルのそれとは違い、どこか彼女の吐息は陰鬱さが薄いような気がした。

 それはきっと、気持ちを切り替えるためのスイッチなのだろう。


「二人が、早く解放されることを願ってるわ。特に、お嬢ちゃんには迷惑かけるわね。もうちょっとの辛抱だから、ね?」


 彼女は最後に、エリシオに視線を合わせて苦笑した。

 銀髪の少女は相変わらず、どこか不信な眼差しで女史を見つめ返している。


 リノアはその言葉を最後に、すくと立ち上がった。


「それじゃあ、私はこの辺で失礼するわね。この後、再突入についてのブリーフィングがあるらしいの。長い会議になりそうだから、ちょっとうんざりよ」


 きびすを返し、歩き出すリノア。

 部屋を出ていく直前に、彼女は軽く振り返って手を振った。


 突然の真実にうろたえてしまったが、相変わらずの様子に少しだけ肩の力が抜ける。


 ドアが閉まり、ハルもまたため息をついてしまう。

 芯が強いというか、何というか――おもむろにエリシオを見ると、彼女はいまだに自動ドアをじっと見つめていた。

 少し微笑み、少女に告げる。


「心配しなくて良い。この軍団の中でも、話の分かる人間だからさ」

「不思議なお姉ちゃんだね」

「たしかにな。ああいう人間こそ、軍隊にはなかなかいないだろうさ」


 エリシオの一言に苦笑を浮かべる。

 しかし、少女は表情を変えずに告げた。


「だって、表情と心が“ばらばら”だよ。心は全然、笑ってなかった」


 えっ――と、目を見開いてしまうハル。

 思わず少女と同じように、部屋の入り口を見つめてしまう。


 当たり前だが、もはや女史の姿はない。

 静かにたたずむ、無機質なドアがあるのみだ。




 ***




 部屋の自動ドアをくぐると、センサーが感知し照明が起動する。

 飛び込んできた部屋の光景は、相変わらず乱雑を極めた。


 あいにく、このガラクタや資料まみれの部屋の主はいない。

 価値の分からない工具や発明品の隙間を縫いながら、奥へと進む。


 いつもならば、ここには技術長の老人・ドクがいるはずだった。

 ドアが開いた瞬間、あの少しけたたましい声が、体を叩いたはずである。


 薄暗く静かな部屋の中を見渡し、リノアは考える。


 おかしい――先程から、否、あの街を脱出してからずっと考えていた。

 昨晩も眠れず、夜明け前からずっと自室のベッドの上で悩んでいたくらいである。


 なにが、とは説明できない。

 しかし、直感がそう告げているのだ。

 なにかが、つじつまが合わない。


 それもこれも、全てリノアが“彼”に告げられた言葉が引き金となっていた。

 霧の中で出会った「魔王」は、彼女の行動や過去をあざけ笑い、リノアもまたそれに反論した。

 ここまで歩んできた日々を、どこの誰かも分からない謎の存在に、やすやすと否定されるのがしゃくでもあったのだ。


 そんなリノアに向かって「魔王」は、最後にこう告げた。


「“嘘つき”のそばにいながら、“真実”を得ようなど、滑稽だぞ」


 その意味するところが、ずっと引っかかっている。

 他愛のない、なんの根拠もない戯言ざれごとだと笑えるのかもしれない。

 こちらをかく乱させるための、世迷言とも取れるだろう。


 あれは違う――リノアの中で、妙にその一言は真実味を帯びて受け取れていた。

 根拠も何もない言の葉が、昨夜からぐるぐると脳内をめぐり、肉体まで支配しつつある。

 血管の中に不安が染み出し、細胞にまで伝達されたようだ。


 “嘘つき”とは誰だ。


 つくづく、自分の頭の出来が――いや、心の未熟さが嫌になる。


 ハルやDEUSの面々を信用しているというのは事実だ。

 だがそれでもなお、今回の作戦について不信感を抱いている自分がいる。

 どこの誰とも知れない「魔王」という存在の、たった一言で、だ。


 そんな不安の種があったからこそ、こうしてドクの作業場に意味もなく立ち寄ってみた。

 どうにも引っかかってしまうのだ。


 ドクという老人は確かに奔放だが、なぜ誰にも連絡もせず、突入前日にいなくなってしまうのか。

 確かに彼はことルールという枠組みを嫌い、そこに対する従順さを欠く性格ではあったが、それでも“スジ”は通す男である。


 一言でいえば、“らしくない”のだ。

 掴みどころのない性格ではあっても、仲間に対して不利益になることは嫌ったはずである。


 とはいえ、こうして散らかった部屋を眺めて、なにが分かるわけでもない。

 静けさの中に、自身の重いため息が嫌に響いた。


 無駄足だったわね――しっかりしようと視線を走らせ、部屋から出るべく一歩を踏み出した。


 視界の端で、何かが光る。

 そのかすかな輝きに足を止め、振り向いた。


 奥の部屋だ――ドアが開け放たれた小部屋の奥に、小さな赤色の光が見える。

 確かそこは、ドクが半ば“趣味”で集めた古いガジェットをしまっている部屋だ。

 無論、作戦に利用する発明品の材料という名目で、だが。


 近寄り、ガラクタをどけて光を放つ“それ”を取り出す。


 小さな携帯端末だが、幾分か古いタイプのものである。

 いわゆる“監視用GPSセンサー”というもので、大昔はこれを大事な品に付随させたり、時には子供の道具に取り付けることで、安否を気遣ったりしていたらしい。


 今となってはローテクの類で、すっかり廃れてしまった品だ。

 リノアも知見こそあるが、そもそも使ったことなどない。


 なんでこんなものが――おもむろにモニターを見ると、そこにはGPSの座標が明滅していた。

 この端末は監視側の装置であり、信号を発しているセンサー側は別にあるらしい。


 首をかしげていたが、おもむろに目が留まる。

 座標が指し示しているのは、リノアが立っているこの部屋から随分と“下”だ。

 おそらくそれは、地下を指し示しているのだろう。


 なんだか嫌な予感がする。

 もちろん、いまだにあの「魔王」の言葉が後を引いてはいた。

 しかし、偶然にも発見したこの謎の座標が、妙に彼女の中で気になる。


 おもむろに自身の端末で、時刻を確認する。

 会議まではまだ1時間と少しあった。


 モノクローム、魔王、ハル、父。

 そして去ってしまった技術長――気が付いた時には、リノアは自身の端末から基地内部の地図を開いていた。


 拾い上げたGPS端末とその図を照らし合わせ、歩き出す。

 胸騒ぎを必死に押さえ込み、今はただ前へと進んだ。

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