本体
反動で足を痛めたアズールは、すぐに男を仕留めんと飛び掛かろうという気持ちを持ちながらも、動かぬ身体に歯がゆさを感じながら、その場に留まっていた。
視線の先の男と、そこへ向かって強引に飛び込んで行ったシン。彼は絡みついた百足と足の間に出来た影を利用し、拘束をすり抜けていた。勢いをつけたまま距離を詰めたシンは、迫る百足の触手を華麗な身のこなしで躱し、後退る男の身体に触れる。
「くッ・・・!すばしっこい奴め」
だが、シンは男の心臓に手を触れただけで特にアクションを起こす事もなく、その後に男の身体から生えた百足によって振り払われてしまう。
「・・・?何をした?何故何も起こらない?」
シンの触れた部位を見ながら、何も起こらぬことに疑問を抱く男。ただ接触する為だけにわざわざここまでやって来たという事などあり得ない。何かしらのカラクリがあるだろうと疑っていた男は、自身の身に起こる変化に備えるも男にはそれを自覚することすら出来なかった。
既に男の中にダマスクは入り込んでいた。アズールやガレウスの意識の中へ入り込んだように、シンによって小瓶の封印を解かれたダマスクは彼の腕を伝い、直接男の中へと入り込む。
そしてシンに言われた通り、男の意識の乗っ取りを試みる。いつものように、真っ暗な記憶の海に本人の体験した出来事が映し出される絵画が浮かび上がる筈だった。
だが、いくら奥へ進もうとも一向に男の深層心理に到達することはなく、記憶の絵画が現れることもなかった。
「こりゃぁどういう事だ・・・?確実に野郎の中には入った筈だ。だがこれはまるで・・・」
これ以上奥へ進んでも時間の無駄だと判断したダマスクは、当初の作戦であった男の意識の乗っ取り、或いは妨害を中断し脱出を試みる。男の意識の中へは入り込むことも抜け出すことも容易だった。
それはまるでセキュリティーの掛かっていない空き家へ入り込むかのように簡単で、意識の中から去ろうとするダマスクを食い止める気配もしない。男の中身は空っぽのただの入れ物のようだった。
意識の外では、男の身体からいくつも伸びる百足姿の触手を躱しながらダマスクの帰還を待つシンが戦っていた。わざわざ自分から封印されていた小瓶へ戻るのは癪だったが、変に誰かの意識の中へ潜り込むより安全かもしれないと、ダマスクは素直にシンの元へと戻っていった。
「おい、聞こえるか?」
「ッ!?どうした、意識を乗っ取れなかったのか?」
「違う、そうじゃない。悪い知らせだ・・・ありゃぁ奴の“本体“じゃないぜ」
「どういう事だ!?」
ダマスクが言うには、彼の意識の中へ入り込む能力というものはその生物の意識や記憶の中へ入り込み、自我を失わせることで入れ物の身体と意識を隔離して乗っ取るのだという。
だが、意志を持たぬ者にそれは通用しない。また、本体の指示により動く分身や分裂した個体には効果が無いのだそうだ。
つまり、男の中へ入り込んだ際に何も見つける事が出来なかったのは、これが男の本体ではないという事になる。どこか別の場所に、シン達が目にしている男を操る本体がいるのだとダマスクは語った。
「あれが本体ではない・・・?このリフトの何処かに潜んでいるのか?」
「さぁな、そこまでは分からない。だが妙に精巧に作られた偽装体だな。生き物の気配も感じられれば魔力も持っている。おまけに完全に自立しながら意思を持って動いているようにも見える。コイツと本体を繋ぐものが強固である証拠だ。遠くに居たんじゃ、こんな芸当はできねぇ」
ダマスクの言葉を信用するなら、目の前の男の本体は限りなく直ぐ側にいる事になる。ダマスクのように何か別の入れ物に入り、男に持たせているのか。或いはシンの憶測通り、一行の乗る地下へ向かうリフトに潜んでいるのか。
思惑の外れたシンは、男から距離をとり拘束から解放されたアズールと合流する。
「人間、お前は何をしていた?何故無謀な真似を・・・」
「ダマスクに奴の意識を乗っ取りに行ってもらったんだ」
「意識を?俺やガレウスのようにか?」
「あぁ、だが出来なかった。奴は“本体“ではないらしい」
シンはアズールにこの話を伝えることで、獣人としての気配探知や嗅覚などによる人間では不可能な本体の探索を期待していた。本体が何処か近くにいるという話を聞いたアズールは、すぐに目に映るモノ以外の気配を探り始める。
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