感情の制御、託された思い
未知の薬の投与という共通の境遇を経て、ケツァルはシンの様子に嘗ての自分の話をした。どんな効果のある薬かも分からぬ物を、種族の違う者が作り出し投与されるという不安は抱いて当然。
ケツァル自身も、自分の経験からそれは分かっていた。だが、境遇自体は少し違い、ケツァルの場合はそれを受け入れざるを得なかった。魔力を持たず、武術の才能もなかった彼は、生きていく為に冒険者の提示する話を信じ、出された薬をただただ口にするしかなかった。
しかし今にして思えば、ケツァルが他の種族の生き物に信頼を寄せられるようになったキッカケとも言えるのだ。今の獣人族は人間を警戒し、嘗ての行動から恨みや憎しみを抱き、信用することができなくなってしまっている。
それは人間という種族に対してだけではなく、他の種族も信用できないという警戒心を皆の心に植え付けてしまう。同族以外は信用するな。それが彼らの現状。
だが、その考え方が内部に亀裂を生み、危機的状況に陥った際に、少数の種族となってしまったアズールらの獣人族は、助けを乞う相手もいなくなってしまう。
そうならない為の他種族との架け橋は、ケツァルによって水面下で着実に掛けられていた。その甲斐もあり、今獣によってアジトの崩壊を迎えようとしていた獣人族は、エルフ族や人間によって窮地を脱することに成功した。
人間を信じるキッカケをくれた見ず知らずの冒険者との話を聞き、その後のケツァルがどうやって獣人族の中での地位を確立していったのか。シンは注射への不安を忘れたいのか質問を続ける。
「その後はどうしたんだ?彼の道具を持って一族の元に帰って。皆は素直に信用したのか?」
「驚かれはしたな。騒動の最中でそれどころではなかったようだし、とっくに始末されていたとでも思ったんだろう」
ケツァルは当時の様子を笑いながら語る。冒険者に言われた通り、わざと傷だらけになり身体を汚した事でその必死さが伝わり、無事に獣人族に保護された彼は、持ち帰った魔法の書物やスクロールと魔力を身につけた功績により、族長を支える血筋の家系へ戻ることが出来たのだという。
しかし、当然ながら一度は自分のことを捨てた家系の掌返しに、ケツァルはいい気はしていなかったのだと語る。それでも様々な思いから彼の心を制御していたのは、見ず知らずの人間であり全く関わりのなかった無力な自分に力と愛情をを教えてくれた冒険者の存在だった。
「恨んだりはしなかったのか?・・・自分を捨てた奴らだったんだろ?」
「全くないと言ったら嘘になるが、その当時の俺は彼から言い渡された事と、彼が俺に残してくれた物が全てだったからな・・・。それを水に流してまで叶えたい思いや欲望かと問われれば、その時の些細な感情など天秤にかけるまでもない」
まだ幼かった筈のケツァルが、自分の感情に振り回される事なく冒険者の言いつけを守り、彼の望むように一族への帰還を成し遂げたのが、シンには想像もできない事だった。
酷い仕打ちをしてきた者達の中へ戻り、自分の意思を殺してまで日々を過ごす事。シンはもし自分ならと考えた時、例え恩人の願いとは言えども戻りたくはないし、その恩人を悪人のように恨みや怒りの矛先にしている連中を許さなかったと思った。
ケツァルの過去と当時の覚悟に思いを巡らせてる内に、獣の力を制御する注射が終わっており、シンの身体の自由を奪っていた枷が徐々に外れていくのを感じていた。
「さぁ、終わったぞ。時期に身体も自由に動かせるようになる筈だ」
「おぉ!分かる、分かるぞ!さっきまで重かった身体が動くようになってる!」
自分の力だけで立ち上がり、どこにも寄りかかる事なく立てる事に些細な喜びを感じているシンに、自分達が薬を投与された時との違いについて口を挟む。
「そんなにすぐに効果が出るもんなのか?即効性があるなら、アタシらの時もそれでよかったんじゃねぇのか?」
「アンタ達の場合、気を失っていたからな。身体に負担のない薬を選んだだけだろう。その方が都合も良かった筈だしな」
ケツァルの口にした都合とは、まだ信頼できる者達であるかどうか分からないミア達の身体の自由を奪った獣の力。それを解除し、暴れられる危険性を少しでも減らしたかったのだろう。
「都合ねぇ、まぁ信じられねぇ連中をみすみす強化するってのもおかしな話だがな」
「そう言わんでやってくれ。俺達も慎重だっただけだ。なんせ仲間でさえ裏で何をしているか、何を考えているか分からない状況だったんだ」
シンの身体を蝕んでいた獣の力は、ケツァルの打ち込んだ薬によって彼らの力となる。気配を探ったり消したりと、シー・ギャングの幹部であるダラーヒムでさえも出し抜く程気配を殺せる獣人族の能力の一部を引き出すことができるようになった。
丁度その頃、獣達の襲撃から守った筈の街が再び騒がしくなる。既にリナムルには例の獣達の気配はない。何事かと窓から外を覗いたケツァルは、その目に飛び込んできた光景に眼球を見開いて驚き、言葉を失った。
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