陰謀と別れ
その夜、ケツァルは冒険者の用意した宿屋で寝ていた。夜中にトイレへ向かおうと目を覚ますと、一緒の部屋に泊まっていた筈の冒険者の姿がなくなっていた。
何処か別の場所で寝ているのかと、宿屋の部屋を探し回ったケツァルだったが、冒険者の姿は見当たらなかった。何処か外に用事でもあって出掛けたのだろうとトイレに向かおうとしたところ、扉に一枚の紙が挟まっているのに気がつく。
何かと思い手に取って読んでみると、そこには衝撃の事実が書き記されていた。寝起きであった事もあり、その時のケツァルにはどこまでが本当の事でどこまでが夢なのか。そもそもそこに記されていることが事実なのかさえ理解出来ていなかったが、冒険者を信頼していたケツァルはただそこにあった指示に従い、行動に移した。
その紙にはこう記されていた。
先程ケツァルに振る舞った薬の店に再び訪れた冒険者は、そこでとある会話を聞いてしまったのだという。店の奥から現れた店主の手に握られていた様々な色をした薬品は、その時に冒険者から説明のあった通り、ステータスの基礎値を上げる薬で間違いなかった。
だが、そのような貴重な品が揃っている事に違和感を覚えた冒険者は、街が寝静まった頃にもう一度店を訪れ、店主にどうやって薬を揃えたのかを問おうとしたところ、中から何者かとの通話の声らしきものが聞こえた。
声に耳を傾けていると、どうやらその薬は正規のルートから調達したものではないことが分かった。本来モンスターから手に入る貴重な素材と、同じく貴重な薬を調合して作られる物なのだが、会話の内容からすると何処かでその素材となる物を大量に仕入れていたようだった。
聞こえてくる単語の中には、実験や研究といったものが含まれており、魔力を大量に保有する被検体と呼ばれる何かを手に入れたとあった。
そこで冒険者が考察したのは、獣人族との会話の中にあった言葉から、彼らが魔法を習得させる為に影武者のケツァルを自分に寄越し、その魔法を本来習得させるべき対象に教えさせるのだと考えていた。
実際、冒険者の考えは的中していたのだが、ここでとあるハプニングが起こる。それはその獣人族の間に誕生した、類稀なる魔力量を持って生まれた獣人の誘拐で、その犯人が冒険者の行きつけの店の店主と取引していた謎の人物であった。
窓の隙間から店内を除いた冒険者は、その棚にいくつもの薬品が並んでいたのを目にする。通常であればその様な数の薬を手に入れるなど、数年は掛かるような量だった。
実験や研究といった単語から、この世であるまじき人徳を無視した非道なやり方で入手したと思われる事柄に、これ以上首を突っ込む訳にはいかないと判断した彼は、事態の状況を確認する為、獣人族と取引をした森へと向かう。
真っ暗な森は不気味な静けさの中に、気配を殺した何者かの動きが読み取れた。気付かれぬよう様子を伺うと、森を駆け回っていたのはケツァルを冒険者に預けた獣人達だった。
殺気立った表情で何かを探すように駆け回る彼らは、仕切りにケツァルの名前を口にしていた。その事から冒険者が察したのは、誘拐の犯人が自分であると勘違いされているのではないかという事だった。
これ以上この場所にはいられない。冒険者は森からも街からも離れる決断をし、まるで夜逃げでもするかのように身支度をして去っていった。獣人族の様子から誤解を解く事は不可能と判断し、ケツァルへは自分の使っていた魔法の書物や魔法自体を封印したスクロールを幾つか残していき、それを一族の元へ持ち帰れと記されていた。
そして、森へ帰る際は出来るだけ身体を土や泥で汚し、必死に逃げてきた様子を演出するようにと書かれていた。人間に連れられて訪れた街の店で良からぬ会話を耳にし、命の危機を悟って魔法のアイテムを出来るだけ持ち出し逃げて来たのだと一族に伝えるようにと。
冒険者は自身を悪党とにし、ケツァルを被害者にすることで一族の元へ帰りやすい口実とさせたのだ。追われる身となってしまった彼に真相を突き止めることは出来ない。故にそれらしいヒントが彼の行きつけの店にある事だけを匂わせ、ここでケツァルと別れる事を決断する。
一族から良いように使われているケツァルを見て、きっと酷い扱いを受けていたのだろうと思っていた冒険者は、ケツァルを連れて共に逃げる事も脳裏を過ったが、功績を持ち帰らせる事でケツァルの立場を少しでも良くしてやろうと思ったのだ。
帰る場所もなく、当てのない旅に出ることがケツァルの幸せとは思わなかった。どんな事情があるにしろ、ケツァルが成長するには同じ一族の元で暮らすのが最も彼の為になると。
ケツァルは生まれてこの方、受けたことのない愛情を見ず知らずの名前すら知らない冒険者に与えられ、その上で何の取り柄もなかった彼に功績という手土産まで渡して送り出してくれた。
冒険者と過ごした数日のおかげで、ケツァルは魔力を身につける事も出来た。これなら獣人族の中でも、嘗てのような酷い扱いはされないだろう。
ケツァルは冒険者の残した多くのアイテムを布に包み、彼との僅かに過ごした日々に思いを馳せながら、涙をこぼして真夜中の森を走り抜ける。
彼に命じられた最後の指示をより忠実に再現する為に、木々の枝で自らの身体を傷付けながら、さながら酷い扱いを受け殺されそうにでもなったかのような容姿を作り上げ、森を駆け回る獣人族の元へと帰っていった。
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