チュートリアル・跳躍

 下水道から出て南の方角へ暫く進むと、街の端の方にある大きな雑居ビルに辿り着く。正面からは入らず、大きく外側を回り込んで非常階段の方へ向かうイヅツとシン。


 見上げるだけでも首が痛くなりそうなほどの高さがある。それを風が吹き抜ける鉄板の上を踏みしめて登っていくのかと思うと、少し気が引けた。


 しかし、イヅツは馬鹿正直に階段を登るつもりはないのだという。そもそも今の彼らの身体は、通常の人間のそれではない。跳躍力や握力、丈夫さまで落下を心配する要素などない。後は自身の精神の問題だった。


 「さて、待機所はこの上だ。アンタ現実世界で高所に登ったことは?」


 「いや、それが・・・」


 「大丈夫さ、それほど難しいことじゃない。問題は現実との身体の違いを意識しないことだ。何せ、普段の俺らでは到底出来ることじゃないんだからな。それじゃぁ、俺と同じようにやってみればいいさ。行くぞ!」


 そう言って彼はその場で大きく跳躍し、非常階段の鉄柵に飛びついた。片手で掴みながら、下にいるシンの方を見る。見上げるシンが一歩二歩と下がり、イヅツのいる位置を確認する。


 数回足に力を込め、軽く飛び跳ねながらイメージを膨らます。鉄柵は数メートル間隔で横に区切りの棒が組み込まれている。


 初めからイヅツの居る区切りまでは難しくとも、その一つ下の区切りまでであれば、ある程度余裕を持って挑める。それ程時を置かずして、シンはジャンプする決心をする。


 失敗や落下の恐怖に押し潰されなかったのは、WoFでの経験や現実に戻ってきてから体験した初めての戦闘らしい戦闘を経験し、僅かに自信がついていたのだ。


 もし落下しても、今の身体なら大した痛手にはならない。謂わばこれはチュートリアルなのだ。理想と実際の身体能力をチューニングする訓練なのだと割り切り、重く受け止めず軽い気持ちで臨めた。


 そして軽い助走をつけて跳躍すると、思ったよりも早い段階でイヅツの居る場所を飛び越え、一つ上の区切りまで到達した。慌てて手を伸ばし鉄柵を握ると、実際の肉体よりも明らかに軽い力でその場に止まることが出来た。


 「やっぱ戦闘経験がある奴は違うな。何の心配もなさそうだ」


 イヅツは鉄柵を掴んだまま膝を曲げると、その場で勢いをつけて飛び上がり、一つ区切りを飛び越して上へと登る。左右交互の手で掴んでいき、これを繰り返しながら上へと軽快に登っていく。


 見様見真似で勢いをつけるシン。自分の跳躍力の感覚に慣れ始めたのか、初めこそぎこちなかったものの、次第にコツを掴みどんどんと速度を上げていき、先を行くイヅツに置いて行かれぬようついて行く。


 違和感なく登れるようになった頃には、目的の屋上へと到達していた。


 柵を飛び越え、屋上を進むイヅツとシン。登ってくる音に気づいていたのだろう。どこからともなく、何者かの声が二人を包む。どんな仕掛けがあるのか、声は彼らの周りから均等に聞こえ、声の主がどこに潜んでいるのかまるで特定できない。


 「止まれ。イヅツ、その者は誰だ?部外者を連れてきたのか?」


 「まっ待ってくれ!コイツはWoFのユーザーだ。それに戦闘経験もあるようなんだ。きっと即戦力になる!」


 姿の見えぬ者と会話をするイヅツは、やや萎縮しているようにも見えた。恐らくこの声の主が、彼の上官にあたる人物なのだろう。


 「・・・拘束具も付けていないところを見ると、随分と協力的な奴なんだな・・・。事情は話したのか?」


 「勿論!彼も一体何が起きているのか分からない様子だった。ただモンスターと戦えているところを見ると、何度か死線は潜り抜けてきたようにも見える。話をしたら行く宛もないそうだ。同じ境遇にある誰かと一緒にいた方が安全だろと話したら、理解してくれた。そうだよな?」


 「あっあぁ、そうだ。ここに来れば、今よりは安全だと・・・」


 「・・・ふ〜ん・・・」


 品定めでもするかのような、鋭い視線を全身に感じる。まるで蛇に睨まれた蛙だった。身動き一つ取れない緊迫感の中、額から溢れる冷や汗の感覚だけが、異様に肌に伝わっていた。


 「まぁいいだろう。不審な動きを見せれば、お前もただじゃ済まないからな?イヅツぅ」


 「分かってるさ!それで?アンタ達の作戦とやらはまだ終わらないのか?」


 イヅツは自然な流れで話を逸らし、彼自身も気になっている上層部だけが知る組織の作戦について質問する。


 「さぁな。俺達の偵察範囲には異常ねぇ。他でも騒ぎが起きてねぇってことは、あまり収穫は期待できないだろうな」


 「なぁ、そろそろ話してくれてもいいんじゃないか?アンタらは東京で何しようって言うんだ?」


 「大したことじゃないさ。ただ、この辺りで不審な組織のようなものを見つけたと報告があったからな、それでだろ」


 男の言う組織とは、恐らくアサシンギルドのことだ。シンにはそれがすぐに分かった。襲撃をした男はこの男と同じく、この組織の上層部にあたる人物なのだろうか。


 報告をしたと言うのもその男で間違いない。やはり、都心部に潜む敵対者を炙り出そうとしているのか。しかし、それなら何故電力を落とす必要があるのか。


 電気が途絶えても、アジトが浮き彫りになる訳でもなく、簡単に姿を晒すとは考えづらいのではないだろうか。もしかしたら、他に目的があるのではないだろうか。シンは率直にそう思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る