暗雲に射す光明の手
黒く塗りつぶされたソレは彼女の声に反応するも、立ち上がろうとはしなかった。だが確かにその影は、自身の名を呼ばれたかのような動きを見せた。他に当てなど無い。
その広大な景色に孤立してしまっていては、見つかるものも見つからない。その影がハオランであってもなくても、今はその真相を確かめる他に歩みを進める方法はないのだ。
チン・シーがその影に近づこうとすると、周囲に飛び交っていた魂達が獲物を見つけたハイエナのように群がる。彼の中では実体の時とは違い、宙を自在に舞える。そのおかげもあり、彼から教わった武術にてソレらを追い払うが、余りの数に終わりが見えない。
魂が自身の身体を離れ過ぎると、元の場所に戻れなくなる。チン・シーのリンクにおいても同じことが言える。感情の共有は素晴らしく便利なものである反面、意志や信念が弱いと干渉する対象に飲み込まれてしまい、返ってこれなくなってしまうのだ。
「くッ・・・!こんなところで時間を食っている暇はないというのに・・・。このままでは後にも先にも進めぬぞ」
彼女がハオランの身体の中に蔓延る魂に苦戦していると、チン・シーの他にも、何者かが彼の意識の中へと入り込んで来ていた。その何者かの手によるものなのか、チン・シーへ群がっていた魂達を、更に黒い影で縛り上げ動きを鈍らせていた。
誰のものかは分からぬが、ハオランと思しき人影に近づくには絶好のチャンス。彼女は最短距離を真っ直ぐ進み、邪魔な魂を屠って進む。
チン・シーの活路を開いた黒い影。それはシンの新たに身につけたスキル“操影“によるものだった。彼は影でハオランを縛りながら、再びハオランの中へ自身の影を送り込み、彼の中にいるであろうチン・シーを探しながらサポートしていたのだった。
シンにとっては、頼みの綱であったチン・シーの容態の悪化がそのまま彼らの生存にも直結するという緊急事態。魔力の残量など気にしている場合ではなかった。一刻も早く彼女の状態を把握し、死んでしまっているのなら別の方法を模索しなければならない切迫した心境だった。
だが、一度目の“操影“でハオランの身体の中起きている事情を知っていたシンは、先行して潜り込んだチン・シーの後を追う形となったのだが、その深層に渦巻く魂の多さに、進行を阻まれてしまう。
中の状況が見える訳ではなかったシンだが、そこではちょうどチン・シーが魂の軍勢の中を、ハオランの魂らしき影に向けて進行しようとしていたところだった。奇しくもタイミングよく現れたシンの影に救われ、遂に彼女は小舟で蹲る人影に触れる。
直接その影に触れることで、彼女の中の感が確信へと変わった。これは間違いなくハオランの魂だ。一体どれだけ長い時間、こんなにも精神を削られ疲労する空間にいたのだろうか。
実際彼がロロネーにより囚われてからは、それ程時間は経っていない。だが、僅かな時間でもハオランのいる同じ空間に入ったシンやチン・シーは、体力を失い精神を削られ気を失うほどのものだった。
辛く厳しい時間というものは、通常の時間の進みとは全く体感が違うものだ。よく言われるように、楽しい時間と辛い時間では時間の進み方が違うように感じるのと同じこと。
例え外では短時間であっても、必死に抗おうと戦い続けていた肉体と精神、双方で強靭に鍛えられていたハオランを蝕み、堕とすには十分な時間だっただろう。それに魂である奴らには固定された姿というものはなく、入り込んだ対象にとって最も深い心の傷を抉ぐる容姿や声色に変わり、衰弱させていた。
間接的に攻撃を受けたシンやチン・シーには、そういった姿を見せることはなかったが、彼はずっと真っ暗で荒んだ世界の中で、自我を保とうと孤独に戦い続けていた。しかし、それも漸く終わりを告げる。
誰のものかも分からぬ差し伸べられた手。だがどこか懐かしくも暖かさを感じるその手に、思わず手を伸ばさずにはいられなかった。彼女がハオランに触れて誰か分かったように、彼もまたその手に触れて、それが本物のチン・シーであることを悟る。
「ぁ・・・主人・・・。我が主人よ・・・」
「何をやっておる、馬鹿者ッ・・・。さぁ、帰るぞ」
その瞬間、彼を取り巻いていた黒影が剥がれ本来の姿を現すと、周囲にいた魂達が離れ、荒れていた海が穏やかになり、黒々としていた空が一気に晴れ渡った。
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