癇に障る美談

 ジリジリと音を立てながら男の肉体を蝕む炎。その風穴からは、男が被さり隠されてしまっていた、室内の向こう側の景色を覗かせる。ロロネーは然程驚くこともなく、自らの身に起きた出来事を確認する。


 小さく口を開けたその顔を下に向け、炎がまるで命ある生き物のように、その胸に空いた穴を徐々に蝕む。弦を引いた手を下ろすチン・シー。男までの距離に、火球が走った跡が残る。


 ロロネーを捕らえ、同時にその身体を支えていた炎のロープが解け、足に自身の体重が再び戻る。前に後ろにと、フラフラと立つ男が風穴を空けた女の方を見て、不適に笑い始める。


 「おぉ・・・こんな大きな穴空けやがって・・・。死んじまうじゃぁ・・・ねぇか、ひでぇ女だ・・・」


 男の身体が徐々に白く変わっていく。その様子を目の当たりにして、チン・シーは何かに気づいたかのように、手にした弓矢を再び構え、指の間に挟んだ三本の矢を足元の炎に潜らせ、火矢を撃ち放つ。


 チン・シーの放った火矢は男の足と腰、そして頭に命中するが、その時には既にロロネーの身体は白く濁った霧状のものへと変わり、濃い煙を撃ち抜いたかのように、火矢の通った部分に穴を空ける。


 彼女の脳裏に、精鋭達の斬撃が命中したかのように見えた時の光景が蘇る。あの時は流れるように一瞬の出来事で見逃してしまったが、今回はハッキリとその目に写している。男の身体は霧で出来ている。


 ダメージがあるかどうか分からない。だが、男は再び何処からか現れる筈。逃げられる前に仕留めようとしたが、恐らく彼女の矢は間に合わなかった。霧に変わって移動したのなら、現れる時もその場に霧が生じる筈と、忙しなく頭を動かし視線を辺りに散らす。


 すると、彼女の死角を突くように薄っすら霧が発生し、剣を振りかざす人の腕を型取り、その首を刎ねようとしていた。視界の端に煙のような揺らめく線を捉え、チン・シーは瞬時に前に転がり、後方へ弓矢を構える。


 そこには、振り下ろされた剣を受け止めるフーファンの姿があった。だが、少女の力では抑え切ることが出来ず、刃は少女の肩口に当たりその身体を赤い血が流れ滴っていた。


 「フーファンッ!!」


 「ご無事・・・ですか?・・・良かったです・・・」


 チン・シーは腕の次に現れるであろうロロネーの頭部を狙っていたが、標的を剣を握る腕に変え、矢を放つ。少女が短剣で受け止めている剣。それを握る男の指を、チン・シーが放った矢が擦っていく。


 指は霧に変わり、握っていた剣を手放す。痛みを堪えながら剣を受け止めていた少女を解放し、チン・シーは直様少女の元へ駆け寄り、その身体を支える。血に染まる小さく細い少女の腕は、限界を越えて耐えていたのか、小刻みに震えている。


 「馬鹿者ッ!あの程度の攻撃、妾なら受け止められる。それを・・・」


 ロロネーが煙へと変わり、チン・シーの矢を受けて姿を消した後、フーファンの位置からは主人の背後に漂う煙のようなモノが見えていた。言葉を掛け注意を促そうとも思ったが、それによりロロネーの狙いが変わるのを恐れ、フーファンはその場に炎で作った陽炎の身を残し、チン・シーにすら気づかれることなく、彼女の背後に回り込んでいた。


 「力になりたかったですよ・・・。みんなが命懸けで戦っているのに・・・私も何かしないとって・・・」


 息が荒くなる少女の肩を抱き、やっとの思いで絞り出したフーファンの言葉に耳を傾けるチン・シー。二人はリンクで繋がっている。チン・シーに少女の傷を癒すことは出来ない。だが、リンクの能力を使い、痛みやダメージを分けることは出来る。


 フーファンの受けた傷を自らの身体にリンクさせ、その傷とダメージの大半を受け負うチン・シー。少女の傷はみるみる浅くなり、呼吸や表情も普段と変わらないものへと回復していった。逆にチン・シーは肩に傷を負い、血を流す。


 だが、子供と大人の身体では傷の痛みもダメージも変わってくるもの。フーファンにとって重い一撃であったとしても、大人であるチン・シーからすれば、大したことはなくなる。


 「子供がそんなことを心配するものじゃない・・・。よいか、フーファン。お前の力が必要なのだ。もう無茶はよせ・・・」


 具合の良くなったフーファンが彼女の方を見ると、その肩に血が滲んでいるのを目にする。自身の傷を、チン・シーがリンクの能力で肩代わりしてくれたのだと直ぐに分かった。真っ白なキャンパスのように、美しいその肌に伝う血ですらアクセントとなり、絵になる。


 同時に、自分のしてしまったことによる自責の念に、心を痛めるフーファゆっくり手を動かすと、血に染まるチン・シーの肩に優しく触れる。


 「ごめんなさい・・・、私・・・なんてことを・・・」


 触れているか触れていないか分からないほどの力で触れるフーファンの手を握り、首を横に振ると、大事な絵画を汚してしまったかのように落ち込む少女を励ます言葉を掛ける。


 「これくらい傷の内にも入らん。仲間が共有するものは、何も良いものだけではない」


 自身を励ます主人の気遣いに、一雫の涙を零す少女。小さく頷くと起き上がり、自分の足で立ち上がる。そこへ、既に姿を現していたロロネーが、主人であるチン・シーの身を守るために下した判断を賞賛するような、皮肉の篭った言葉を投げ掛ける。


 「声を発することなく、自ら主人の盾になるか・・・。俺やチン・シーに動きを気取らせない為か?良い判断だったな。おかげでもう少し時間が掛かっちまいそうだぜぇ・・・」


 ロロネーにとっても、あの一撃をチン・シーに入れられなかったのは、芳しくないことだった。あまり手の内を晒せば、チン・シーを手に入れるという道のりが険しくなる。


 二人の戦いが長引けば長引くほど、彼女の目が肥え、対策を講じられてしまう。そうなれば手に入れるどころではなくなり、ハオランすら失い兼ねない。練りに練った自身の作戦が、音を立てて崩れる様ほど、ロロネーの癇に障ることはない。

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