実体の無い身体

 わざわざそんなことをハオランに話すということは、ロロネーの言う海の怪物、メデューズとクトゥルプスと言うのが、今濃霧の中でチン・シー海賊団に迫る脅威の正体とみて間違い無いだろう。


 確かにこの男の言う通り、本当に海のモンスターだと言うのであれば、海上戦において遅れを取るのは必至だろう。それでも、彼らは紛いなりにも海で生きる人種である海賊だ。


 苦戦はすれど、決して引けを取る相手ではない筈。海中は奴らの領域かもしれないが、海全てが奴らの独壇場でもあるまい。それにチン・シーやシュユー達もいるのだ。限界を悟れば戦況を読み、撤退することくらい出来るだろう。


 「まさか、逃げられるとでも思ったか?海を知らねぇ訳でもあるまいし、一度奴らが海中へ入れば船なんぞが逃げ切れる筈がねぇよ。それに・・・」


 すると、この間も拳や蹴りを打ち続けていたハオランの拳が、ロロネーの頬を掠る。僅かに伝わる接触した感触。男の頬からはマッチを擦ったかのような小さな煙が立っていた。


 「それにこの濃霧から出ることは出来ないぜぇ。どんなに真っ直ぐ進んでいるつもりでも、機材は航路を示さず、正しい方角すら見極めることは出来ん。方位磁針を持たず、森へ入るのと同じさ。まぁ、それだけじゃぁねぇんだがな」


 逃れられない霧の中をグルグルと周り、その中で狩人に狙われ続けるのだ。ただでさえ、自分達に起きている現象に混乱を引き起こし、その間も命を狙われ続ける恐怖が、彼らの消耗を更に加速させる。だが・・・。


 「それも・・・、貴様を始末すれば晴れるのだろう?」


 こんなにもロロネー海賊団に都合の良い、局地的濃霧など自然現象ではあり得ない。例え濃霧の発生を予測できたとしても、例えそれが丁度チン・シー海賊団の航路上に現れたとしても、決して抜け出せないことなどないのだから。


 ロロネーはハオランの返答に、憎たらしく両の手を打ち鳴らし賛辞を送る。その反応からも、何らかのスキルやアイテム、或いはフーファン達のように術に掛ける何かの装置があるという可能性が伺えた。


 だが、意外なことにロロネーはそれをあっさり認め、尚且つ濃霧を発現させているのは自分であると話し始めたのだ。


 「ご名答ッ!そう、全ては俺の準備したシナリオ通りに動いている!おもしれぇ程になぁッ!」


 そうと分かると、ハオランは有無を言わさず握りしめた拳をロロネーの身体に打ち込んだ。彼の飛び込むあまりの速さに、瞬間的に消えたかのようにその場から消え、遅れて音や周囲の物が散らばり出した。


 流石のロロネーも、その一撃には反応できず、ハオランの突き出した拳は彼の腹部を貫通し、反対側へと突き抜けていた。勝敗を期したかのような一撃の後にやって来たのは、緩やかに動く波の音がうるさいと思えるほどに静かな一時‬だった。


 しかし、彼のそんな一撃を経て、何が起こったのか分からず驚きの表情をしていたのは、ハオラン自身の方であった。それもその筈。人体を貫いたとあればそれ相応の現象が起こるものだ。だが彼の前に、その当たり前の光景はなく、仕留めたと思っていた男は平然と声を発していた。


 「流石はあの女の腹心。何故奴がお前を手放そうとしないのかが、よく分かるぜぇ・・。実際のところ、一番厄介に思っていたのはお前とあの女が一緒にいることだ」


 ロロネーを貫いた身体からは血が一滴も出ていない。それどころか、この男に触れている感覚すらハオランにはなかった。人間であればそんなことはあり得ない。しかし、ロロネーの戦闘スタイルに幻術や妖術の類を用いると言う噂は聞いたこともない。


 「何ッ・・・!?どういうことだッ!」


 異常な出来事に、直ぐにロロネーの身体から腕を引き抜き後退するハオラン。その腕に纏わり付く煙のようなものが見えた。そしてそれが熱を帯びていることに気がつくと、ハオランは拳を空気に打ちつけ、衝撃波で煙を払った。


 「・・・つまり、これが貴様のカラクリ・・・と、言うやつか」


 図星を突かれたのか、良い線を言い当てられたのか、口角を上げて頭を傾げて見せたロロネーは、その煙については話そうとしなかった。

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