故郷の香り

 シンとイデアールに一時‬の別れを告げ、その後にリーベの部屋の前まで訪ねてきたミアは、部屋の扉の横に立っている侍女に事情を話すと、快くリーベの元へと案内してくれた。


 まだ昼間ということもあり、室内には人工的な照明器具による明かりは灯されておらず、窓から射し込む陽の光だけでも十分に室内を見渡すことができる。


 リーベの侍女はミアが室内に入ると、まるで精巧に作られたガラス細工でも触るかのように、細心の注意を払って入ってきた扉を、音を立てないよう閉じる。


 その後侍女はミアの前に出ると、室内を静かに歩き始め、ミアもまた彼女の慎重な態度を見て、静かにその後を追って進む。


 リーベの部屋はとても整頓されており、彼女の清廉潔白な様子や大人びた態度を表すかのような観葉植物や、緑の多い植物を模した装飾が、ところどころに散りばめられている。


 それは彼女が嘗て森で暮らし、狩人として育っていた頃の自然を忘れない様にしているのだろうかという印象を受ける。


 そしてそれらが高貴な上品さを醸し出すように配置され、手入れされているのが何とも彼女らしい。


 間も無くして侍女が別の扉の前で止まると、中にいるであろうリーベに在室の確認を取るため、四度扉をノックした。


 閑散とした室内に、乾いた木製の心地良い音が響き渡る。


 しかし、侍女の鳴らしたノック音に続くものはなく、部屋からはリーベの返答が返ってくることはなかった。


 中からの返事を待つまでもなく、侍女は扉に向かって声をかける。


 「リーベ様、ミア様がお見えになられました」


 だが、先のノックからある程度予想できる通り、中からは侍女の呼びかけに応える声は返ってこない。


 侍女はまるで分かっていたことの様に、特に慌てたり取り乱すこともなく平然とミアの方へ向き直すと、リーベの承諾を得るまでも無くミアに告げる。


 「リーベ様はこちらに・・・。 それでは私は外に戻りますので、何かございましたらお呼び出し下さい」


 そのまま去ろうとする侍女を呼び止め、本当にこの部屋の中にリーベがいるのか確認を取る。


 「返事がなかったようだが・・・? 本当にこの扉の向こうにリーベはいるのか?」


 ミアが侍女に尋ねると、彼女は足を止める。


 「リーベ様は間違いなくこの部屋にいらっしゃいます。 ですが、起きていてもその瞳は何を映しているのか、その耳は何を聴いているのか、最早私共ではわかりません・・・」


 侍女は振り返ると、彼女も何か思うところがあるのだろう、取り乱すことこそなかったものの、藁にもすがるような思いで、リーベのことをミアに任せるかのように頭を下げた。


 「リーベ様は身体こそここにあれど、心ここにあらずといった状態で・・・。 このままではいつか、ふと居なくなってしまうのではないかと心配で・・・。 ここ最近でリーベ様の心に影響を与えたのは他ならぬ貴方です。 ミア様・・・どうかリーベ様のこと、宜しくお願い致します」


 イデアールといい、この侍女といい、何故自分にここまで期待するのか、ミアには理解できなかった。


 それ故ミアは、彼女の期待を突っぱねるように冷たく現実を見せる。


 「私は医者でもカウンセラーでもない。 どんな状態か知らんが、私がリーベにしてやれることなど、アンタ達がしてきたことと大差はないだろうし、何も変わらないかもしれない」


 しかし、ミアはそこでリーベを見捨てられる程人でなしではない。 俯く侍女に、ミアは更に言葉を続ける。


 「だが・・・」


 ミアの口から発せられる言葉の続きに、思わず顔をあげる侍女。


 「まぁ・・・出来る限りのことはしてみるよ」


 「ありがとうございます・・・、ありがとう・・・」


 このままでは部屋に入りづらいと、ミアは侍女の頭を上げさせて、持ち場に戻るように促した。


 彼女は入ってきた扉から外に出ると、再び自分の持ち場へと戻り、静けさを取り戻した室内には、部屋にいるであろうリーベを除いてミア一人となった。


 改めて植物を基調とした彼女の部屋に一人になると、その清涼感とは別に、森に迷い込んだかのような寂しさと不安感がミアを包み込んだ。


 それはまるで、今のリーベの気持ちが室内に反映されているかの様に。


 緊張した面持ちで扉の前に立つミアは、一度だけ大きく深呼吸すると、中のリーベへ声をかける。


 「ミアだ・・・、入るぞ」


 普段はそんなこと考えたこともなかったミアは、木製の扉からは想像も出来ない程の冷たさをドアノブから感じると、一時‬は手を止めるも臆することなく一気に扉を開ける。


 するとそこには、車椅子に座り窓から外を見つめる、戦っていたときとはまるで別人のようなリーベの姿があった。

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