厄日、です。

「げっ」


 建物の中に入った途端に、そんな言葉が漏れた。

 立食パーティーでも出来てしまいそうな広さの玄関ホール。その大理石の床の上に、総勢五十人近い黒いスーツを着た男達が転がっている。ある者は白目を向き、またある者は苦痛に呻いている。

 はっきりと惨状と言える。

 だが「げっ」等と滅多に出ない言葉が出たのは、その惨状が理由ではない。その理由は玄関ホールの中心に立つ二人組を目にしたからである。

 黒いパンツスーツを着た二人の女性。ベリーショートの金髪とロングヘアの赤髪をした二人を、僕はよく知っている。

 そして分かってしまう──この惨状を生み出したのはこの二人だ。

 本物でもない新人類がこの二人を相手にするには、五十人程度では足りない。本気でこの二人と戦いたいのなら、あと三倍は欲しいところだろう。


「ん?」


 ベリーショートの金髪女性──マチルダ=バアトルが僕の存在に気づいてしまった。その金色の瞳に僕を捉えて、軽く右手を挙げる。


「久しぶりだね。お疲れさん」


 少し低めの良く通る声。


「あ、えっと、お疲れ様です。マチさん」

「あら、要じゃない」


 今ようやく僕の存在に気づいたロングヘアの赤髪女性──=クリシーズが、真っ赤な瞳に僕を捉える。

 三白眼で少し吊り気味の目。初めて会う人には少し怖がられるのが、彼女の悩みであったりする。


「お久しぶりです。ルダさん」


 マチルダコンビ。

 金髪のマチさんと赤髪のルダさんが、惨状の中心で小さな笑みを浮かべた。

 何とも言えない光景である。

 と言うか、何で二人がここにいるのだろう?


「あんたもクレスの手伝いかい?」


 マチさんの言葉が、僕の疑問に答えをくれた。

 つまり二人も、クレスさんの仕事のお手伝いなのだろう。


「はい、そうです。マチさん達もですか?」


 僕と同じ何でも屋をこなすマチさん達は、その界隈ではよく名の知れた二人組である。

『金狼』マチルダ=バアトルと『赤の女王』マチルダ=クリシーズ。その名を聞いただけで白旗を上げる者も少なくない。


「ああそうさ。二ヶ月に渡る長期のお手伝いさ」

「二ヶ月ですか?」

「そっ。私達の仕事はこのレリックの用心棒として雇われるとこから始まったわけさ」

「用心棒ですか?」

「用心棒としてこいつらに雇われて、こいつらの言動をクレスに伝える。それが私達の仕事の一つ目さ」


 と言う事は、今日ここで違法薬物取引が行われる事は、マチさん達からクレスさんに伝えられたのだろう。

 僕とマチさんの話に全く興味がないのであろうルダさんは、自身の赤毛を弄んでいる。


「で、これが二つ目の仕事」


 床に転がる男達を指差しながらにかっと笑うマチさんは何となく男らしい。

 女性が恋してしまう女性。マチさんのイメージはそんな感じである。


「まっ、弱過ぎて準備運動にもならなかったけどね」

「ねぇマチ、そんな事よりもクレスの手伝いをしましょうよ」

「クレスが必要ないって言ってただろう。私達の仕事はここまでさ」

「嫌よ。私はクレスを手伝いたい」

「じゃああんた一人で行きな。私は行かないよ」

「構わないわ」


 ルダさんはクレスさんが好きだ。その気持ちは愛などと言う言葉では足りない。それはすでに信仰の域に達している。クレスさんが白と言うならば、ルダさんの中では黒さえ白になる。

 クレスさん信者──ルダさんを知る人ならば、皆知っている。

 本当に残念な美人さんである。


「だけどその前に」


 悪戯を思いついた少年の様な表情を浮かべて、マチさんが僕を見た。

 何だか嫌な予感しかしない。


「そこの坊主を倒していきな」


 はい?

 えっと、そこの坊主って僕の事ですか?


「要を? 何で?」

「クレスが言ってたじゃないか。『ここにいる』男共を死なない程度によろしくって」


 いやいやいやいや、それは流石におかしいですよ?


「……そうね。確かにそうだわ」

「いやいやいやいや! おかしいですから! その考えは完全におかしいですから!」


 背筋を冷や汗が伝うのを感じる。

 何としても、ルダさんとやり合うだなんて大仕事は回避しなくては!


「僕だってクレスさんの味方なんですよ!? ルダさんだってよくわかってるじゃないですか!?」

「……そうね。確かにそれもそうだわ」

「いや、待てルダ。私達は今回風見鶏がここに来るなんて聞いてない。もしかすると要は別の組織に雇われて、クレスの邪魔をしに来たのかもしれない」

「……一理あるわ」

「一理もありませんから!」


 マチさんが完全に笑いを堪えて喋っている。さっきからその手がぷるぷる震えているのを、遠目からでも見逃さない。


「ルダ……怪しきは」

「罰するべし」

「何なんですかその阿吽の呼吸は!?」


 意を決した様に──と言うか完全に意を決したルダさんが僕を見据える。


「要、クレスの為に死になさい」


『死なない程度に』は何処に旅に出ちゃったんですか!?


「ちょルダさん」


「待って」と言うより早く、ルダさんが僕を目掛けて走り出す。

 その後ろで、マチさんが右手をひらひら振って笑っていた。


「ああもう、全く!」


 戦闘型ヒュアミスの相手だけでもそこそこ大変な仕事だったと言うのに、加えてルダさんの相手までしないとならないとは、なんてハードな仕事だろう。

 よし決めた。今回の報酬は上乗せさせてもらおう。クレスさんがなんと言おうと上乗せしよう。もう決めた。そうでもしないと割に合わない。


「今日は厄日だ」


 超越者トランセンダー──ランクA。赤の女王マチルダ=クリシーズ。

 その相手をするには、僕では少し力不足ではないだろうか?

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