『空書』すべてはそこから始まった
アルゴア・アルゴー(著)
鯛原一明(訳)
ミュンヒハウゼン新書
本コラムは実在しない図書のレビューを連ねるという企画ですが、このような試みはこれが最初ではありません。
1971年にポーランドのSF作家、スタニスワフ・レムが発表した『完全なる真空』を代表作として、世界中で数多くの「架空の書評」が書面やホームページを
飾っています。(『完全なる真空』は単なる架空の書評以上の意味合いを持つ文学作品ですが)
こうした実在しない書籍が存在するかのような見せ掛けをとる現象、あるいはその書籍自体を「空書」と名付けたのが、アルバニアの書誌学研究家であるアルゴア・アルゴーでした。アルゴーは、空書は書籍が誕生して以来、世界史のあらゆる時代に存在したものであると推測を立てています。
さらに最新の論説では持論を推し進めて、「空書こそが原初の書物だった」という珍説まで唱えているのです。
「最初の記録……粘土板に記号を書き留めるという行為が誕生したのは、おそらく人類史の中では ごく最近のことである。最古の原文字が確認されているのが紀元前7千年頃、一方、ホモ・サピエンスの誕生は、その十倍以上昔なのだから。その歴史の中で、人類は基本的には重要事項を口頭による伝達のみに頼っていたが、ある時点で媒体に書付けを行うようになった」(本書30頁)
「原初の人類にとって、『記憶や口頭伝達によらず、情報を報告できる』というシステムは現在の我々が思う以上に凄まじい利便性を持っていた。このことはつまり、粘土板を所有する者がそうでない者に対して、絶対的なアドバンテージを有したことを意味する。それゆえ権力者たちは、粘土板の所有数を誇るようになり、それ自体が権力の源泉となった」 (本書72頁)
「あらゆる権力には嵩上げと虚勢がつきものである。それゆえ権力者たちは、情報が書き留められているわけでもない素の粘土板をも積み上げ、情報収集能力を実情の何倍にも見せかけた。粘土板のまとまり……すなわち最初の『書物』はそういうものだった」(本書165頁)
「書物」の定義をどういうものにするかは意見の分かれるところでしょうが、アルゴーの考える定義は、「一定量の記録のまとまり」というもの。
その場合、一枚の粘土板では定義に届かず、粘土板が集積されてはじめて書物と呼ぶに足りることになります。
要するに、原始時代の権力者たちが何も書かれていない粘土板を積み上げた「虚勢のまとまり」が最初の書物だと結論付けているのです。
アルゴーの論説は一聴には値するものとして発表当時の書誌学会で注目を浴びましたが、内容的に実証は困難であると見なされ、現在の書誌学では隅に追いやられています。
(このレビューは妄想に基づくものです)
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