崇拝中毒
ラゴン・ピント(著)
螺子文雄(訳)
八十年の人生で、信仰する神を34回変えた男の自伝です。
著者、ラゴン・ピントはタイ・バンコクの高級住宅地出身。資産家の両親の元で何不自由なく育ち、成年した後は高級官僚の試験に合格してタイ外務省で辣腕をふるいました。大使館付きとして、日本に一年間程滞在したこともあります。
三十歳の頃、世の無常を感じた著者は、突如、職を投げ打って出家しました。タイでは大小の寺院が国中で出家者を受け入れており、ラゴンのようなエリートが突然、仏道を志すことも珍しい例ではありません。大体は数年経つと修行三昧の日々に疲れ果て、俗世に戻って来る――ラゴンも大むね同じような経過をたどり、五年後には還俗しています。ただし他の人たちと異なっていたのは、それから数ヶ月で別の宗教に帰依したという部分でした。
ラゴンが仏教寺院の次に身を投じたのは、当時バンコクで急速に信者を集めていたトリアノハ習俗教でした。この宗教は仏教とは対照的に、人間の欲望を肯定する教義を基に成り立っており、暴飲暴食・乱交を推奨していました。この教団で一年間、酒池肉林の日々を満喫したラゴンでしたが、突然夢から醒めたようにバンコクを後にします。タイを去った著者は、インドに赴き、ガンジス川の畔で信望の高かった聖者に師事して苦行三昧の日々を送りました。
二年後、今後は日本に渡り、高野山と比叡山で計・三年間の修行を行っています。その後はヨーロッパのキリスト教教会、アメリカのモルモン教……という
ように、目まぐるしく信仰を変え続け、最終的にタイに戻って生涯を終えました。本書は、死の一ヶ月前に記されたものです。
「私はおそらく、一種のマゾヒストなのだと思う」
巻末で、ラゴンはそのように語っています。
「どのような宗教であれ、道を追及することである種の神聖さに包まれる境地に辿りつく。しかしその場所に留まっていると、ふいに幻滅を感じ、聖域から放
り出されてしまう。その瞬間の心細さ、寄る辺なさは、母親に置いてけぼりにされた気持ちを数千倍・数億倍強化したような強烈なものだ。私はこの感情こそを愉しんでいた。求めていた神聖な存在に裏切られる快楽。それを味わうために新しい信仰の対象を探し続けたのだ」
本書に感銘を受けた苦行者も少なからず存在しました。そのため異常な悦楽を得るために様々な宗教を渡り歩く求道者のことを、現在の宗教学では「ラゴニスト」と呼んでいます。
(このレビューは妄想に基づくものです)
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