勘違いの死者たち

  クリーブ・ウォーター(著)

  徳間源治(訳)

  ミュンヒハウゼン文庫


  1972年六月、ノルウェー・オスロ市役所に、当時三十三歳だったエルドギニング・エルガーという男が青い顔をして訪れました。彼の話した状況説明と要望は、同役所のベテラン窓口係も、この三十年で一件も経験したことが無かった程の奇想天外なものでした。


  自分は当日朝に死亡しているため、死亡手続きを受理して欲しいというのです。

  エルガーによると、その日の朝、朝食を口にしていたとき、突然彼の頭の中に天啓のような電撃が差し込んだそうです。それは「自分がすでに死んでいる」という実感でした。すぐさま病院で診察してもらいましたが心拍数、脈拍ともに正常、全くの健康体であると判定されたのですが、それでも彼は「自分が死んでいる」という判断を捨てられませんでした。理屈やデータではなく、「自分が人間である」という事柄が疑いの余地もないのと同じレベルで、「自分が死んでいる」という実感が訪れたため、とにかく死者として遇される必要があるのだという強迫観念に打たれて役所を訪れたとのことでした。


 当初、この話題は一年に一回くらいはどの国、どの地方でも現われる、変わり者の話として一笑に付されて終わっただけでした。しかしこの事例に興味を抱いたのが本書の著者、クリーブ・ウォーターでした。米国在住のウォーターは以前にも、同様のニュースを耳にした記憶がありました。過去の新聞を調べたところ、ここ数十年の間に世界各地で「死亡の実感」を訴える人間が少なくとも千五百例は見受けられることを知ったのです。


 これらの変わり者たちには、共通点が見られました。

 ・全員、一般的な精神病の兆候は見られず、健康体である。

 ・全員、ある日突然「天啓のように」自分が死んでいるという実感に襲われている。

 ・全員が男性。

 ・全員、主張を始めた年齢は三十代前半


  ウォーターはこうした症例――厳密には症状とはいえないものですが――の事例を収集、その後の経過をまとめたのが本書です。

  ウォーターによって「プレ・タナトス」と命名されたこれらの患者(?)たちは、その後も自分の死を主張し続けました。本書をきっかけに連絡を取り合い、「死を容認させる」集団裁判を起こしたグループも存在したそうです。


  2019年現在、ウォーターが見つけ出したプレ・タナトスの内、半数近くはすでに老衰で世を去っていますが、その後も新規の患者がコンスタントに出現しているため、総数は相変わらず千五百名前後で推移しているとのこと。共通点があることから何らかの要因がもたらす現象であることは間違いないと思われますが、現時点でも因子は見つかっていません。

 なお奇妙なことに、どのプレ・タナトスも、高齢になると「やっぱり自分は生きている」と思い直すようになり、その直後に亡くなっているとのこと。


(このレビューは妄想に基づくものです)

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