特別編
Before the moonlight
空は分厚い雲に覆われ、昼夜の判別がつかない。降り頻る大粒の牡丹雪がガラスに当たっては砕け、少しずつ窓の桟に積もっていく。白夜の始まる頃だというのに、今年の雪はまだまだ猛威を振るうようだ。
結露に曇り始めた窓の向こう、寒そうに背中を丸めて、足早に去っていく彼女の後ろ姿を指でなぞる。
『試験で忙しいからまた今度ね!』って言ってたから大人しく待っていたのに、また逃げられてしまったらしい。
「会いたいって言ったのにな……」
恨みがましく独りごちて、掌で乱暴に窓を拭いた。
ねぇ、セラ。
学院には慣れた?
友達できた?
試験はどうだった?
何か困っていることはない?
君をいやらしい目で見ている奴いない?
誰かに嫌がらせされていない?
何でも言ってほしい。どうか、僕を頼ってほしい。君が心安らかに居られるなら、僕は何だってするのに。
窓を背に、ズルズルと座り込んで抱えた膝に顔を伏せる。
連日の試験勉強の疲れか、それとも約束をすっぽかされた落胆か、室内の暖かさに気怠さが増す。ひそひそと窓に降り積もる雪の囁きを聞きながら、僕はそのまま寝入ってしまった。
どれくらい経っただろうか。フンフンフンと大音量の鼻息で起こされて、ハッと顔を上げると、僕の使い魔のオリオンとディアナが心配そうに顔を覗き込んでいた。
二匹の魔狼はブンブン尻尾を振って、湿った鼻で頭や頬をグリグリ押してくる。くすぐったくて顔をしかめると、オリオンはのっしと僕の膝に顎を乗せた。
『なげくな、きょうだいよ。おれの、はらをなでるか?』
オリオンはしゃがれた声で語りかけ、にゅるんと寝返りを打つとふわふわのお腹を見せた。仕方ないなぁと言いたげにフスンと大きく息を吐く。
「…………撫でる」
『うむ』
なんだかすごく偉そうな態度だけど、オリオンなりに気を使ってくれたらしい。
「君はいいな。
オリオンはディアナと顔を見合わせて、続く僕の言葉を待っている。安心しなよ。
それにしても、主人を差し置いてイチャイチャしやがって! と完全なる八つ当たりでオリオンのお腹をわしわし撫でながら、僕はまた長いため息をついた。
『君は自分では気付いていないみたいだけど、彼女を見る時の目がヤバイ。完全に捕食者の目。僕だって怖い!』老若男女問わず無駄にモテる
別にとって食うわけじゃないし、そんな目で見た覚えは無いけれど、どういうわけかセラは僕の視線を敏感に察知して逃げ出してしまう。
かくなる上は実家から双眼鏡か望遠レンズを取り寄せるべきだろうか。いや、せっかく同じ学院に居るのだから、肉眼で上から下からじっくり見たいし、万が一バレた時に説明に困る。
いっそ開き直って『構ってください!』とか言ってみようか。……ヤバイ奴認定されて余計に避けられそうだ。
……考えてたら会いたくなったじゃないか。どうしてくれる?
僕はブレザーの内ポケットから財布を取り出すと、中に大事にしまっておいたセラの写真を取り出す。
去年の誕生日プレゼントのお返しに、御礼状と一緒に送ってくれたものだ。写真の中のセラは髪が長くて今より少し儚げに見える。
「……かわいい……僕の
心なしか、膝の上のオリオンにかわいそうなものを見る目で見られている気がするけど……写真の中のセラはいつもと変わらず優しく微笑んでくれるから別に悲しくないし。
だらしなく破顔しながら写真を眺めていると、僕の隣で窓から外を見ていたディアナが、鼻先で頬を突いてきた。
『こんや、は、まんげつね。るーね、かくれる?』
たどたどしく疑問を呈したディアナに、僕は大欠伸するオリオンを膝から退かして、ディアナに並んで窓の外の空を見上げる。
「満月……?」
月は見えない。
外を歩く人通りは少なく、皆足早に寮の方向に帰って行く。校内の街路灯を反射して、淡い暖色の雪明かりが空をぼんやりと照らしていた。
そういえば、セラは寮と反対方向に行ったけれど、今夜はどうする気なんだろう? 月が昇ってからは動くのも億劫だろう。朝からずっと顔色が悪かったから気になっていたんだ。
「セラは戻ってきた?」
ディアナは首を傾げる。図書館の方に行ったきり、まだ寮に戻っていないようだ。今夜は吹雪になるという予報が出ていたのに。
「そう……。それじゃあ様子を見に行こうか。手伝ってくれる?」
心配だからね。どこかで倒れているかもしれないし、学院内といえど、夜遅くにひとり歩きは危ない。
『てつだう! みつける!』
『さがす! びこうする!』
狼の本能か、獲物を追うとなると途端に元気になる二匹である。尾行とか言ってた気がするけど、見守りだから。そこのところしっかりしてほしい。
――その後、雪に埋もれたセラを発見することになるとは、その時の僕は夢にも思わなかった。
満月を報せてくれたディアナを褒めちぎったのは、ご想像の通り。
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