51 リブレアスタッド

 アンの勇気ある行動――かどうかは甚だ疑問だが――のお陰で、乱闘に至る前に騒ぎは収束した。なんとなくシラけて喧嘩するテンションじゃなくなってしまったようで、ディーンとライルは束の間の休戦となった。


 街に向かう道すがら、フィリアスが間に入り双方から話を聞いたところによると、やはり大きな誤解があったようだ。


 ライルの証言によると、ディーンと戦う前日に、使用人の女性を人質に取られて、ディーンとの試合を棄権しろと脅迫を受けたという。


 シュセイル王国の南西、アルディール国境付近に領地を構えるヴァルガス辺境伯といえば、シュセイル騎士団の中でも武闘派を率いる旗頭だ。

 噂では、シュセイル唯一の魔族の騎士と聞いていたが、ライルの魔力を帯びると真紅に光る桃色の瞳を見るに、本当のことらしい。


 魔族と人間の混血であるライルでさえ街に雷雲を呼ぶ程の魔力を秘めている。

 魔族の騎士が遅れを取る筈もなく、あっさり襲撃者を撃退して使用人を解放したのだが、今度は試合でディーンを殺せば莫大な報酬を取らせると、から使者が来た。


 武闘大会のルールは学生同士の決闘のルールに準拠する。ディーンに再起不能の傷を負わせたり殺してしまえば、ライルは罰せられ騎士になる資格を喪失する。


 “”が第二王子を亡き者にし、第三王子を王太子に据えようとする現王妃イヴリーンなのは明白だったが、身分を隠して依頼してきたことを考えるに、達成したとしても知らぬ存ぜぬを通し、全ての責任を負わされるのは目に見えていた。


 ディーンとの勝負に勝っても負けても、政治的に利用されることに嫌気がさしたライルは、周囲の反対を押し切り、勝負を棄権したのだった。


 ディーンにしてみれば、父親であり剣の師でもある国王陛下の前で、成長を見せる絶好の機会だった。相手が優勝候補のライルだったなら、さぞかし良い試合になっただろう。


 第二王子派の家臣達はディーンを優勝させて王太子レースに王手を掛けたかったのだろうが、無難な試合で優勝したところで陛下を満足させられないし、ディーン自身も達成感を得られない。

 ディーンにはライルに棄権させるメリットは無かった。


 双方の事情がわかり和解したものの、不完全燃焼は否めなかった。


「ところで、君は大会に出なかったの?」


 隣で馬を引きながら歩くアルに尋ねると、アルの代わりにひょっこりとヒースが間に割り込んで答えた。


「普段の訓練をサボってるから、教官から推薦状をもらえなかったんだ。やっとアルと戦えると思ってたのに、なんで出ないんだよ! ってディーンが怒ってたなぁ」


 ブレないディーンに私は思わず苦笑する。

 アルは鬱陶しそうにヒースを後ろに追いやって、汗で額に貼り付いた前髪を払った。草原を貫く街道は日差しを遮る物が無く、日が高くなってからは少し蒸し暑い。


「サボってるわけじゃない。出なくていいって言われてるだけだし」


「私は去年観戦に行ったんだよ。御前試合はチケットが取れなくて見れなかったけどね。――残念だな。アルが出場してたら結構良いところまで行ったんじゃないかな?」


 アルのあの研ぎ澄まされた剣技を見ていたら、きっと強く印象に残った筈。もっと早くに正体を見破れたかもしれない。

 けれど、アルは困ったように笑って首を振った。


「……僕の技は、ルシオンから受け継いだ殺すための技だ。相手を殺さないように戦うのは難しい」


 強い風に煽られた声に潜む不穏な響きに、聞き返そうと彼の横顔を見上げた。

 ルシオンってたしか、アルのご先祖様だよね……?


「乗合馬車が強盗に遭って人質に取られたァ!?」


 記憶を手繰る私は、前方から飛んできた素っ頓狂な声に注意を引かれて、その言葉の意味を考える機会を喪ってしまった。


「おいおい……あんな見晴らしのいい街道で盗賊が出るなんて聞いたことねぇぞ。……それで、お前怪我は無いのかよ?」


「あらヤダー! 優しーい! 大丈夫よー! 心配してくれてありがとう!」


 私たちの前を歩くライルとアンは、この暑い中腕を組んで寄り添っている。一から事情を説明すると大変なので、盗賊に襲われたことにしたようだ。

 その後ろでは、まだ納得のいっていないディーンをフィリアスとエリーが宥めていた。


「はー……やっと着いたね。お腹空いたー!」


 殿を行くヒースが馬の背中にもたれて文句を言うのを聞きながら、街を包む緑のヴェールを潜る。続いて、青地に乳白色のタイルで銀竜が描かれた石造りの大門を通り抜けると、早朝からの大冒険はひとまずの終幕となった。


 街に入ってすぐ目の前には、本来馬車が着く筈だった停留所があった。そこで馬車を掃除していた御者に事情を説明して、馬を引き取ってもらうことにした。ようやく身軽になった私たちは街の中心部へ続く大通りへと戻る。


「だいぶ予定が狂っちゃったけど、まずは鍛冶屋に行こうと思うんだ。職人街の店って結構早くに閉まっちゃうでしょう?」


「ええ、そうね。最初に鍛冶屋さんに行って、お昼を食べてからドレスを見に行きましょうか」


 そう言って日傘を差しかけ微笑むエリーは、夏の強い日差しの下に揺らめく白い陽炎のようで、普段より一層儚げに見えた。近くに寄ると鈴蘭の爽やかな香りがする。


 淑女らしく顔や態度には決して出さないけれど、長時間爆走する馬車に揺られて気分が悪そうだったから、鍛冶屋なんて火に近い所に連れては行けない。

 なるべく早く涼しい所で休ませてあげないと……。


「そんなにかからないと思うから、パッと行ってすぐに帰ってくるよ。エリーは先にアンと食事できそうなところで休んでいて」


 でも、と隣のフィリアスの顔色を窺って言い淀むエリーに、アンが助け舟を出した。


「お言葉に甘えてそうしましょ! 全員でぞろぞろ行ってもお店の迷惑になるわ」


「なんか成り行きで一緒にいるけど、俺もか?」


 困惑するライルにディーンが当然といった様子で頷いたので、半ば強引に同行が決まった。


「それじゃあ、僕もアンたちと休憩してるから、鍛冶屋に行く人たちは行っておいで。ただし、食べる店はこっちで勝手に決めちゃうけどねー!」


 明るく言い放つヒースの背後に大きな影がかかる。ヒースの肩をガシッと掴むと、地の底から響くような声で囁いた。


「肉。肉以外認めない。浴びるほど肉が食いたい。量が少なかったら絶交する……」


「うっわ、びっくりした! そんな悲しげな顔しないでよ……わかったってば!」


 切実そうに訴えるディーンに気圧されて、ヒースは頭痛を堪えるように額を押さえた。

 大丈夫か? 今絶交とか言ってたけど……?


「エリー、涼しい所で休んでおいで。すぐに戻るよ」


 今までに聞いたこともないぐらい優しい声音で話すフィリアスに、私とアルは顔を見合わせて目を丸くした。

 驚いたのはエリーもだったようで、パッと頬に真っ赤な花が咲く。エリーは小さく頷いてフィリアスの手をそっと握ってすぐに離した。


 食事処のある市場の方へ四人の背中が消えると、私たち鍛冶屋組も職人街に向かって出発した。

 ちょうどお昼時のため客が市場に流れたのか、職人街の人通りは疎らだ。ライルの魔法で少し前まで雨が降っていたせいか、日陰に入ると冷んやりと過ごしやすい。


 何度もこの街に来ているディーンの案内で、迷う事無くすいすいと歩き、目的の鍛冶屋に到着した。


 金槌と金床の鍛冶屋の看板が風に揺れ、店の表側からも見える巨大な煙突が元気よく煙を吐いている。赤褐色の煉瓦を積み上げて造られたどっしりとした店構えは、いかにもといった感じだ。


「ここの親父殿は腕が良いんだ。かなりの目利きで鑑定もしてくれる。その短剣を見てもらおうと思ってな」


 フィリアスが私の腰のベルトに差したままの短剣を指して、ニヤリと笑う。


「えっ!? もしかして、何処ぞの遺跡から出土した宝剣だったり?」


「はははは! ないない! ……まぁ、鑑定結果をお楽しみに、だな」


 いつになく嬉しそうなフィリアスに、私はベルトから外した短剣の柄を撫でた。

 結構激しく扱っても刃こぼれどころか細かな傷も付かない。ただの短剣ではないと思っていたけど、ついに正体がわかるのかな?

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