課外学習の狼
50 お姫様チャンス!
なだらかな丘を割るように、真っ直ぐに伸びた道が空へと続いている。その長い登り坂を、四頭の馬がノロノロと登っていた。
やがて坂を登りきり視界が空に広く拓ける。向かう道の先の丘上には、緑のベルベットの上に据えられたティアラのごとき街壁が見える。
緑のオーロラのような輝きを放つ半球状の光に包まれた街の上空には、不自然な暗雲が立ち込めていた。
膨れ上がっては萎む謎の黒い雲は、まるで意思持つ生き物のよう。地上に向かって雷の腕を伸ばす。
空に響く不気味な遠雷に、馬上の私はげんなりと肩を落とした。
「もう嫌な予感しかしないんだけど……」
「奇遇だね。僕もだ」
後ろに腰掛けるアルにあっさり肯定されてしまえば、見間違いや気のせいではないらしい。真っ青な空の中、そこにだけ浮かぶ雲は明らかに怪しい。
「ヴェイグさんたちはもう街に着いたのかな?」
肩越しに問い掛けると、アルは顎を上げて目を瞑り、草木の声に耳を澄ます。私には草原を渡る風と、揺れる草花のサラサラとした音しか聞こえないけれど、彼に倣って空を仰ぐ。
夏の日差しに火照った頬を優しい風がふわりと撫でる。天頂に差し掛かろうとする太陽を見上げて、そろそろお昼だなぁ、お昼ご飯は何を食べようかなぁなんて呑気な感想を抱いた。
「――うん。兄さんはまだみたいだ。襲撃犯の護送部隊はもう街に着いているみたいだね」
「そっか」
襲撃犯は影に魔物が憑いていたことから、美術室で襲ってきた土魔法使いの仲間だと思われる。彼らの目的はエリーに危害を加えてフィリアスを脅迫するのが目的だったという線が濃厚だけれど、ラヴィアとレナリスの話とは別件なのか慎重に見極める必要がある。
帰る前に駐屯地に顔を出して、ヴェイグさんに尋問の結果を聞けないかなと思ったんだけど、関係者とはいえ軽々に捜査状況は教えて貰えないだろう。
暗雲は高く膨らんで、竜が首を巡らすようにぐるりと回る。やっぱり何かを探しているように見える。
振り返ると、ようやく追い付いた後続の五人が、街を覆う暗雲を目撃したところだった。
竜が数多く棲息するこの国では、街という街に守護の結界が張られている。
この国の大きな街は、川や農耕地の側ではなく、地中を流れる魔力が噴き出る龍穴と呼ばれる土地の上に築かれる。その土地が持つ魔力を結界の動力源に利用しているのだ。
王立学院から最も近い街、リブレアスタッドもまた、強い龍穴の上に築かれている。上空を結界が覆っているため、突然空から竜が襲って来ても、龍穴の魔力が尽きない限りは耐えられるようになっている。
ただ、結界が弾くのは害意を持って外から来た竜のみなので、街に入り込んでから暴れられては意味を為さない。
雨や雪は防げないので、豪雪地帯では建物自体に魔法を掛けなければいけないという弱点もある。
「あの……みんな、ちょっといいかしら?」
ディーンの後ろに横乗りしていたアンが言いにくそうにモジモジしている。みんなの視線が集まると、アンはガックリと項垂れた。
「うう……ごめんね。たぶんアレ、彼の仕業だと思う。間違いなく怒ってると思うけど、悪い人じゃないのよ? 話せば分かると思うの…………話を聞いてくれればなんだけど……」
青空を吹き抜ける風に逆らい、街の上に滞留する雷雲が自然発生したものでないのは明らかだ。誰かが、何らかの方法で操っている。と考えるのが普通だろう。
そして雷といえば、先程のアンのブレスレット。あれは彼から贈られたものだったのか……。
「ハッキリしねぇなぁ。つまりそいつをぶん殴ればいいのか?」
「ややこしくなるからやめろ」
めんどくさそうに顔を顰めてディーンが問うと、即座にフィリアスに却下された。その隣では顔を覆って俯くアンをエリーが必死に慰めている。
「これ以上問題を起こして課題が増えるのはヤダなぁ……。そういえば、アルだけ別メニューなのズルくない? 反省文より身体動かす方が楽じゃないか」
「……本当にそう思うなら代わってやろうか?」
軽いボヤキへの返答には不穏過ぎるアルの声音に、ヒースは顔を引きつらせた。
「いやぁー、兄弟水入らずを邪魔しちゃ悪いし? 遠慮しておくよー!」
まぁ狼男同士の柔術稽古が楽な筈は無いよなぁ。次の群れのボス候補である二人だ。稽古とはいえ序列を巡る激しい戦いになる。もしかしたら、アルが一番キツイ罰なのかもしれない。
舌打ちするアルに、ヒースは苦笑いしながら私の顔を覗き込む。
「で、どうする? 回れ右して帰る?」
きっと、あの雲の下は雷雨に見舞われているのだろう。馬車の襲撃事件のせいで既に結構くたびれているけれど、せっかくお洒落して綺麗な格好をしてきたアンとエリーがかわいそうだ。このまま強行するのは気が引ける。
「――いや、もう遅い! 見つかった!」
悩む私の耳をアルの声が打つ。
街の上空から一瞬のうちに飛来した雷雲が私たちの頭上を覆った。突然暗くなった空に不気味な雷鳴が轟く。ビリビリとひり付く肌に、大気中の魔力の高まりを感じた。
御神渡りのように暗雲を紫電が駆けたかと思った瞬間、空で光が弾けた。
雷は破裂音を立てて真っ直ぐに私たちの前方の地上を穿ち、大地を震わせた。土煙が収まった後に大きな影が残る。
ゆらりと立ち上がると、上背は高くディーンやヴェイグさん並みの屈強な体躯、紫電を纏い逆立つ髪は、シュセイルでは珍しい黒髪。暗闇に光る真紅の両眼が、彼が人間ではないことを物語っていた。
まさかこの男が、アンの恋人?
「やめろ! ディーン!」
フィリアスの制止を聞かず、馬から降りたディーンは男に相対する。
「ライル・ヴァルガス。俺との勝負から逃げた野郎が、今更何の用だ?」
「俺が逃げただと? 逃げやがったのはテメェの方だろう!? ディーン・アスタール! 今度はアンを人質に取るのか! この卑怯者が!」
「……んだとゴルァ! テメェをブッ飛ばすのに小細工なんざいらねぇよ! 片手でブッ飛ばしてやらァ!」
「上等だ! やってみろオルァ!!」
「やーめーなってー! 二人ともー!」
「あーもーめんどくさ……」
胸ぐらを掴んで凄む二人をヒースとアルとフィリアスが三人がかりで止めに入るが、双方ヒートアップして聞く耳を持たない。現場は大混乱していた。
「ふ、二人とも、話を聞いてー!」
馬上に取り残されたアンは懸命に声を上げるが、雷鳴に怯えて暴れる馬が制御できずに、今にもずり落ちそうになっていた。私は慌てて彼女の馬に駆け寄り手綱を取って落ち着ける。その間に、エリーがアンに手を貸して降ろした。
「……今度はアンを人質にって言っていたけれど、どういうことなのかしら? ディーンは彼と戦えなくて残念がっていたってフィリアスが言っていたわ」
アンを励ますように背中をさすりながらエリーがポツリと呟く。
そう、私もそれが気になっていた。おそらくその時点から誤解があるように思う。
「……そうなの。ライルもそれをずっと後悔していて、ディーンに会ったら確かめたいって言ってたの。フィリアスには悪いことをしたけれど、私は二人を会わせたいと思っていたの。今回絶好のチャンスだと思ってライルが気付いてくれるようにブレスレットを使ったのに。こんなはずじゃなかったのに……」
俯くアンの背中を励ますように撫でて、私とエリーは顔を見合わせる。
ここまで拗れたら、一回気の済むまで殴り合って、どちらかが大人しくなるまで待った方がいいのでは……。なんて言ったら、また脳筋とか言われるだろうか?
「大丈夫。私が何とかする! だから、私に任せて!」
「アン!? 何をする気なの?」
アンはキッと顔を上げると、勇敢にもディーンとライルの間に割り込んだ。
「二人ともやめてぇー!! 私のために争わないでぇぇー!!」
――あまりの棒読みのセリフに、再び空気が凍った気がした。
いや、それ、言ってみたかっただけだよね?
「「は……?」」
写真に切り取られた一瞬のように、固まった二人の間をシラけた風が通り過ぎる。ライルの意表を突いたのか、魔法が解けて空を覆っていた暗雲が晴れて太陽が顔を出した。その底抜けの明るさに馬鹿馬鹿しくなって我に返ったようだ。
「……これが、お姫様チャンスってやつか?」
ライルを羽交い締めにしながら、呆れたように呟くフィリアスに、アンは感無量といった様子でにっこりと微笑んだ。
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