45 助演女優賞

 車輪が大きな石に乗り上げ馬車が跳ねる。それを合図に、馬車はそれまでののろのろした速度が嘘のように、突如ガクンと揺れて加速し始めた。激しい揺れに馬車の車軸が軋み、車体が悪路を厭うように右に左にと傾く。

 いつから起きていたのか、アルが私の肩から音も無くゆらりと起き上がる。その腰には既に黒塗の刀を差していた。


 アルは揺れる車内を素早く最前まで移動すると、呼びかけも躊躇もなく御者台と客席を隔てる扉を開けた。力無く扉に寄り掛かっていた御者が後ろ向きに倒れこんできて、にわかに車内に血の臭いが漂う。

 御者の胸には二本の矢が刺さり、苦しげに浅い呼吸を繰り返していた。幸い急所を外して即死は免れたようだ。


「セラ! 治療魔法は使えるかい?」


「私がやるわ。も手伝って」


 立とうとした私を制して、がよろけながらも駆け寄った。アルは一瞬訝しげに眉を顰めたけど「頼む」と、御者を預けた。


「アルファルド、馬車を操れるか? ディーンはアルファルドの補助だ。狙い撃ちされるだろうから常に風のヴェールを切らすなよ」


 フィリアスが指示を出すそばから、正面の開いたままの御者台から矢が撃ち込まれた。

 場所は森の中、馬を操るならアル以上の適任者はいないけれど、矢面に立ちながら暴走する馬を制御できるのだろうか?

 私の心配をよそに、アルは私の頬を撫でて、いつもの少し意地悪そうな笑みを浮かべた。


「心配してくれるの? 嬉しいな」


「喜んでる場合じゃないだろ! ……怪我しないように気をつけてね」


 迂闊にそんなことを言ったのが悪かったのかもしれない。アルは突然胸を押さえて、ちょっと涙ぐむと興奮気味に私の手を握った。


「……セラが優しい。これはもう結婚するしかない。そうだ! このまま役所に行こう!」


「待てコラ。この狂犬! 役所の前にあの世に行く気かよ!?」


 すかさずディーンに襟首を掴まれ狂犬ことストーカー男は御者台に引き摺られて行った。

 ――ありがとう、ディーン。本当にありがとう。後でクレープ奢ろう。


 暴走する馬車はすぐにコントロールを取り戻したが、このまま速度を落とさずに森を駆け抜けるつもりのようだ。

 入り組んだ森の小径を馬車は猛スピードで駆ける。酷い音を立てて軋む馬車は、衝撃で空中分解してしまいそうだ。もはや襲撃者に追いつかれるのが先か、馬車が壊れるのが先かわからない。


 私は馬車が跳ねた衝撃でよろめくアンジェリカを捕まえると、手すりを掴ませて座席に座らせた。不安げに揺れる水色の瞳に「大丈夫だよ」と肩をさする。


「フィリアス! 後ろからも来たみたいだよ」


 馬車の背後の扉を破って投げ入れられた岩石を蹴り出しながらヒースが報告する。

 破られた扉から、目を凝らして森の向こうを見れば、この馬車を追いかけていると思しき馬影が三、四体確認できた。


「……そのようだ」


 冷静に応じたフィリアスの目の前で、瀕死のはずの御者がエルミーナの首に刃物を押し当てていた。




 ***




 時間は少し戻り、早朝の女子寮談話室。

『乗合馬車は、停留所に待っている乗客がいないと素通りしてしまうから、先に行って止めておいてくれ』と、セリアルカを先に送り出し、フィリアスはアンジェリカに学院に残るよう説得を試みた。


 夏の太陽はまだ寝惚けて空の低いところを漂っているにも拘らず、談話室は異様な熱気に包まれていた。

 よく磨かれた銅のような赤銅色の髪のフィリアスと、揺らぐ炎のような赤髪のアンジェリカが無言で睨み合う様は、見るからに暑苦しい。


 二人の険悪な雰囲気を察して、他の生徒は皆早々に部屋に引っ込んでしまい、談話室に残されたエルミーナは二人の板挟みに所在無さげに縮こまっていた。

 出発の時間が迫る中、先に沈黙を破ったのはアンジェリカだった。


「承服できないわ! ああ、待って。今理由を説明するわ」


 反論しようと口を開いたフィリアスを遮って、アンジェリカは一旦部屋に戻り、またすぐに談話室に戻ってきた。じろりと上目遣いにフィリアスを睨んで、少しの逡巡の後、取ってきた封筒を手渡した。


「今日はセラたちに誘われなくても、街に行く予定だったの。……その、彼と会うために」


 宛名はアンジェリカ・オーヴェル。封筒をひっくり返し、その差出人を見てフィリアスは瞠目する。


「お知り合い?」


 心配そうに二人を見守っていたエルミーナは、フィリアスの手元の封筒を覗き込み首を傾げる。


「ライル・ヴィンセント・ヴァルガス……」


 差出人の男の名を読み上げるフィリアスの声に、剣呑な響きが混じった。


「去年の闘技大会の準決勝でディーンと戦う筈だった男だ。確かスラーヴァ校の生徒だったな」


 二年に一回開催される闘技大会は、シュセイル王国全土から参加者が集まる一大イベントである。騎士見習いから現役騎士まで階級別、種目別に戦うトーナメント戦で、準決勝からは王の前で行われる御前試合となる。


 去年の夏に開催された大会において、騎士見習い長剣の部でディーンと対戦する筈だったが、時間が過ぎてもライルは会場に現れなかったため、ディーンの不戦勝となった。


 その後、ディーンは決勝戦を勝ち抜き優勝したのだが、優勝候補と目されていたライルが棄権した余波は大きかった。

 何らかの政治的な取引があったのではないかとの疑いを掛けられたり、ディーン自身も不完全燃焼だったりと、なんとも後味の悪い幕引きとなった。


 この男が同じ街にいると知れば、ディーンは会いたがるだろう。優勝の結果よりもライルと戦えなかったことを残念に思っていたから、二人が顔を合わせて穏便に済む筈が無い。

 ――となれば、やはりアンジェリカを説得しなくてはならない。


 フィリアスがそう結論付けて顔を上げると、当のアンジェリカは覚悟とも諦めともつかない笑顔を見せた。


「私の安全というよりはディーンとライルのニアミスを心配しているのでしょうけど、彼は芯の通った良い人よ。心配には及ばないと思うわ。……申し訳ないけど何を言われても私は今日、彼に会いに行くわ。だって、今日の約束を取り付けるまでに半年もかかったのよ?」


 事前にエルミーナから聞いていた通り、アンジェリカはかなり気が強い。フィリアスを相手に一歩も引かずに自分の思いを主張する様に、フィリアスはある種の敬意を抱いた。


 フィリアスが封筒を返すと、アンジェリカは指で差出人の名をなぞり、大事そうに胸に抱く。そんなアンジェリカに感化されたのか、物言いたげな視線を寄越し、いじらしく袖を引くエルミーナに、フィリアスは敢え無く陥落した。


「……わかった。何が起きても文句は聞かないが、君がこちらの事情に巻き込まれた時は全力で対処すると約束する」


 アンジェリカは、ふふんと楽しげに口の端を引き上げた。彼女の赤毛に負けないぐらいに真っ赤な唇が弧を描く。


「ありがとう! でも私には秘密兵器があるから大丈夫よ!  面倒を掛ける分、ちゃんと働くわ! 何か事件が起こったら私がエルミーナのフリをする。それでもし私に何かあったら彼に……ライルに伝えて頂戴ね」


「まるで、何か事件が起きるのを期待しているかのような口ぶりだな?」


 どこか楽しげなアンジェリカの様子にフィリアスは眉を顰めた。


「ふふふ……私にも青き瞳の姫君に憧れた乙女な時期があるのよ〜? 千載一遇のお姫様チャンスを逃すわけにはいかないわ! 愛には試練が付き物なのよ!」


 お姫様チャンスとは一体……? まるで何処ぞの能天気な公子のような事を言うアンジェリカに、フィリアスはそっとヒクつくこめかみを押さえた。




 ***




「きゃー! いやー! たーすけてえええぇぇ!」


 アンのあまりの棒読みの悲鳴に、アンを人質に取った御者を含む馬車内が凍りついた。


「彼女を放してやってくれないか? 怖がっているようなので」


「きゃー! こわーい! 泣きそうー!」


 こ、怖がってる? どう見ても楽しそうにしか見えないんだけど……。

 普段なら信頼できるフィリアスの言葉も、今は悲しいぐらいに説得力が無い。


「いーやー! こーろーさーれーるー!」


「……どう考えても人選ミスじゃない?」


 こそりと呟いたヒースに私とエリーはただ頷いた。

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