後編 星の狼
遠足の狼
44 狼も外出すれば事件に当たる
薄く霧のかかった朝の学院正門前。朝露に濡れる草木を鳥の囀りが柔らかく揺らす。そんな静かな朝。
まさか、そんなどエライ現場を目撃するとは夢にも思わなかった私は、音を立てないように慎重に後退る。
ヒースの手を握り談笑するディーンに事情を察した私は、戻って待ち合わせ場所を変更しようとしたが間に合わなかった。
「おはよう、セラ。どこ行く……んむ?」
「しっ! 声が大きい!」
背後から声を掛けてきたアルの口を両手で塞いで、押し戻そうとしたところをヒースに見つかってしまった。
「物陰に隠れて何やってんの? 朝からお盛んなことで」
「どっちがだー!」
静かな森に響く私の声。驚いた鳥がバタバタと慌ただしく飛び去って行った。
「……まさか今の見てたのか?」
ヒースに捕まって校門の前まで移動すると、事情を聞くなりディーンが頭を抱えた。
「あっそういう……。いや、待って! よりによってディーンは無いからね!?」
私の肩を掴んで必死に訴えるヒースの手にポンと手を置いて、私は首を振る。いいんだ。皆まで言うな。
「自分を偽る必要は無いんだ。無理して女好きを演じなくても良いんだよ」
「無理なんてしてないからね!? 僕は女の子が大好きです! ちょっとアル! 君の彼女はとんでもない誤解をしているよ!?」
「クソどうでもいいから、気安くセラに触るなよ」
夜型のアルは欠伸を噛み殺しながら、ヒースの手を鬱陶しそうにはたき落す。眠いのか、朝はいつも不機嫌そうだ。
アルとヒースが何事か言い争っている隙に、ディーンが私の側にすすっと寄ってきて囁いた。
「御印を隠してたんだ。ヒースは自分でできないから、俺かフィリアスが毎朝隠蔽魔法を掛け直している」
フィリアスやアルは魔力を自在に制御して自力で隠せるけれど、ヒースはそうはいかなかったようだ。生まれつき魔法が使えないっていうのは本当らしい。
なるほどと頷くと、ディーンはいつにも増して真面目な顔で「違うからな」と念を押した。
「あーもー……お前、明日から左手だけ手袋しろよ!」
「そんなぁ〜。それじゃあ、責任を取ってセラに毎朝やってもら……わかった。わかったから睨むなって」
ヒースがすぐに撤回したので、私を後ろから抱え込み頭の上に顎を乗せているアルが今どんな顔をしているのか見なくても想像できた。
その後、待ち合わせ時間の五分前に、エリーとフィリアスとアンが合流した。
「あら? 貴方たちも街に行くの?」
臙脂色のサマードレスに身を包み、白いつば広の帽子を被るアンは、怪訝な表情で翡翠色の瞳を瞬いた。見るからにバカンス中のお嬢様らしく派手な出で立ちではあるが、良く似合っている。
「もってことは、君も?」
「ええ。個人的な用事とセラの付き添いにね!」
アンは胸を張って答えて、フィリアスにエスコートされるエリーを振り返った。
夏の太陽のような赤を纏うアン対して、水色の清楚なワンピースに白の日傘を差したエリーは涼しげな印象だ。アンと並ぶと一見地味に見えるが、よく手入れされた絹糸のような金髪や、光沢のある布地、襟や袖を縁取る繊細なレースに気付けば、彼女が良い所のお嬢様だとすぐにわかるだろう。
「当日はアンが私の着付けとかメイクを手伝ってくれるからね。アンの意見も聞きたくて」
アンの登場に少し不満げだったアルも、私がそう説明すると「そういうことなら」と渋々納得した。アルは未だにオーヴェル家の人間を警戒しているようだ。
「フィリアスも付き合ってくれてありがとう」
私が話を向けると、フィリアスは頷き、エリーと繋いだ手を握りなおした。いつもの仏頂面がほんの少しだけ柔らかく見える。二人の仲睦まじい様子に私は自然と頬が綻んでしまう。
昨夜、私がお風呂から出ると、ディアナがアルからの手紙を咥えて待っていた。手紙には『フィリアスも同行するよ。この前の短剣を持ってきてほしいって』と書かれていた。フィリアスのご先祖様である火神は鍛冶の神でもある。新しい剣を買うことになったら、彼の意見も聞いてみようかな。
「で? 君らは?」
アルのジトっとした視線にディーンは肩を竦めた。
「鍛冶屋から研ぎに出してた剣を取りに来いって連絡があってな。休みの日に行こうと思ってたんだ」
「僕はもちろん! 君らのデートを邪魔しに来たよ!」
「……セラ。三分だけ待ってね。ちょっとコイツを埋めてくる」
アルは親指で自分の首をピッと真横に切る合図をする。それは爽やかな笑顔で。
「ダメだよ、アル。勝手に死体を埋めたら迷惑だろう?」
「そうだね。セラはよく気がつくなぁ」
アルはふにゃっとした柔らかい笑みを浮かべ、私の頭を抱き締めてグリグリと頬擦りする。
「……うん。たまには僕の安全も考えてほしいです」
流石に身の危険を感じたのか、ヒースは恐る恐る進言するも、アルは興味を失くしたのか聞いていないようだった。
エリーとアンを交えて、どの順番で店を回るか相談していると、霧の中から乗合馬車が到着した。全員で乗り込み座席に座ると、ぱかぱかと心地の良い蹄音を立てて、四頭の馬が馬車を引いた。
座席は進行方向に縦に長く向かい合うように作られている。私はフィリアスとアルの間に座って、正面にはヒースとその隣にディーン。反対側の隣にエリーとアンが座っていた。
休日の朝早い時間だからか、乗客は私たち七人だけだった。馬車は学院を囲む針葉樹の森を抜けると、両側を高い防雪林に挟まれた街道に出る。そこまで来るとようやく霧が晴れて青空が顔を出した。
防雪林の木々が並ぶ向こうには、良く晴れた青空の下、緑の絨毯がなだらかな丘を覆っている。遠くにぽつんとぽつんと草食竜が放牧されているのが見えた。
初めて学院に来た時は、まだ雪が高く降り積もり、地吹雪で景色なんて何も見えなかった。たった数ヶ月前の筈なのに、遠くまで来てしまったかのような寂しさを覚える。
車窓を流れる短い夏の風景は、何故か胸の奥の郷愁を刺激するけれど、帰りたいと願う場所がどこにあるのか、私にはわからなかった。
ガタンと大きく馬車が揺れて、隣に座るアルが壁にごつんと頭をぶつけた。余程眠いのか、それとも単に石頭なのか、特に痛がる事なく舟を漕いでいる。
そのままでは街に着く前に頭と首を痛めるんじゃないかと心配になった私は、アルの膝をとんとんと叩いた。
「アル、眠いなら寝てて良いよ? 着いたら起こすから」
アルはコクリと頷くと私の肩に頭を預けた。私は彼の頭がずり落ちないように、少し彼の方に身体を傾けて白金の髪に頬を寄せた。これなら馬車が揺れて多少弾んでも首を痛める事はないだろう。
アルは少し驚いていたけれど、あっという間に寝入ってしまった。眠い時は言葉少なく素直だ。
正面に座るヒースとエリーがニコニコしてるけど、そちらはなるべく見ないことにした。
馬車に揺られること約一時間。そろそろ学院から最も近い街、リブレアスタッドに到着するはずなのだが、馬車は街道を外れてどんどんと山奥へと向かっていく。
最初に異変に気付いたのは、アンだった。
隣に座るエリーと街の地図を見ながら行くべきお店とルートの確認をしていたのだが、ずっと手元を見ていて疲れたのか、ふと顔を上げて車窓の外の景色を見やる。
そして、急に思いついたかのように斜向かいのフィリアスに声を掛けた。
「ねぇフィリアス。街に着いたら帽子屋さんに行きたいわ。連れて行ってくださる?」
「……ああ、わかったよ。エルミーナ」
話しかけたのはアンなのに?
馬車の揺れにうつらうつらとしていた私は、何気なく耳に入った二人の会話の意味に思い当たり、急激に覚醒した。こちらを見たアンと目が合うと、彼女は力強く頷く。被っていた白いつば広の帽子を取ると、エリーの頭に被せた。
フィリアスは指輪の魔石に収納していた剣を取り出し、ほんの少し前まで爆睡していたディーンとヒースに手渡した。何も言わずにそれぞれベルトに装備したところを見るに、どうやら昨夜のうちに打ち合わせ済みのようだ。
『この前の短剣を持ってきてほしいって』私は手紙の指示通り持参した短剣を鞄から取り出すと、鞘の留め具をベルトに通して固定した。
これも、こうなることを見越しての指示か。
「もうすぐ着くぞ。降りる準備はいいか?」
フィリアスの問いに、皆同時に頷いた。
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