袋小路の狼

40 しょんぼりしたモフモフ

 悩みを吐露して少し心が軽くなったけれど、解決には至らなかった。たまには早めに上がろうかと、手合わせは中止。私たちは訓練場の掃除を済ませて解散した。


 私が手合わせで使った木剣は倉庫にしまってあった卒業生の忘れ物で、自分の身体に合っていないため、すごく使いづらい。

 持ち主が居ないとはいえ借り物なので、毎回訓練が終わった後には綺麗に磨いて返している。今日使った木剣も固く絞ったタオルで柄を念入りに拭いて木製の鞘に納めると、両手に剣を捧げ持ち、一礼して倉庫に戻した。

 早く自分専用の木剣が欲しいなぁなんて思って、ふと気付く。


 短い間に色んなことが起きてすっかり忘れていたけれど、アルと買い物の約束をした日が明日だった事を思い出した。


 自分で言い出したくせに忘れてたなんて言ったら、流石のアルも怒るかなぁ……誘った時、すごく喜んでくれたもんな……。


 温室に行けばほぼ確実に会えそうな気がするけれど、昼間の出来事を思うと、二人きりで会うのは気まずい。今ならまだ学院内に居るだろうと、訓練着の上から上着を羽織って更衣室を出た。


「…………なんとなく予想はしてたけどね……」


 更衣室の前で、金色の大きな狼がちょこんとお行儀良くお座りして待っているのを見て、私はひっそりとため息をついた。


 立った時の大きさは軍馬ぐらいだろうか。普通の狼ではあり得ない大きさだ。口を開けば人を丸呑みできそうだし、尻尾だけで私の胴体ぐらいの太さがある。人喰いの魔獣と呼ばれ、恐れられたのも頷ける。

『狼になって見せて』とせがんでも見せてくれなかったのは、単純に大きいからかもしれない。


 艶やかな金色の毛並みは見たこともない美しい光沢を放ち、光の加減でキラキラと緑の燐光が舞う。左の前脚から肩にかけて月光花の御印が模様のように伝い、星のように瞬いていた。


 神話に語られる金狼セシェルは、悲しげにふさふさの耳を垂らしてスンと鼻を鳴らす。そこには、魔獣の恐ろしさどころか神獣の威厳の欠片も見当たらなかった。


「ちょうど探しに行こうと思っていたんだ。……さっきは酷い態度をとってごめんね」


 その、しょんぼりした神性のモフモフに、そっと手を差し出すと、彼はぽすっと大きな前足を乗せた。


「触ってもいい?」


 念のため確認すると、彼の方から擦り寄って来て鼻をぎゅっと額に押し当てられた。


「ふふ、ありがとう」


 太い首に腕を回して背中をモフモフと撫でると、緑の光がキラキラと舞う。その様は、よく晴れた寒い朝に見られるダイヤモンドダストに似ている。

 ふわふわとした首回りの毛に顔を埋めると、彼も私の首筋に鼻を付けた。


『また、せらにきらわれたのかとおもった。ぼくが、ゆめのことをきいたから?』


 獣化中の会話はこうして触れ合って、頭の中に直接語り掛けるのが一般的なやり方である。しかし簡単な内容しか話せないので、どうしても子供のような口調になってしまう。

 この大きさの狼が話していると思うとなんだか可笑しい。


『ぼくは、せらにわすれてほしい。おもいだしたら、またきらわれる。それはいや』


 ああ、だからあんなにしつこく夢の内容を聞いてきたのか。


「君はそんなに酷いことをしたの?」


 柔らかな毛皮に頬を寄せたまま問うと、金狼は悲しげに鼻を鳴らす。


『……せら、ないてた。ぼくがきらいだといった。かんでくれなかった。そのあとずっと、あえなかった』


「そっか……」


 ひんやりとした訓練場の廊下に腰を下ろして、彼の背中に寄り掛かると、ふさふさの尻尾が膝をくすぐった。


「……ねぇ、昔話を聞いてくれる?」


 応えは無かったけれど、さっきまでぺたんとしていた耳がピンとなって、こちらに向いているので、構わず話すことにした。


「私はね、人を噛んだことがあるんだ」


 その一言に、金狼は目を瞠った。全身の毛が一気に逆立ち、御印が禍々しい赤に染まる。体毛から舞う燐光は火花のような赤金色になり、魔力が起こす風を伴い炎のように燃え盛った。


『だれを』


 雷鳴が轟くような唸り声を上げて金狼が牙を剥いたので、私は慌てて首にしがみついて宥めた。


「落ち着け! 牙は抜けてない!」


 抱きついたまましばらく撫でていると、彼の纏う怒気が薄れて、やがて穏やかな緑の燐光に戻った。


 これだけ大きな獣だから、獣臭がしそうなものだけど、彼の金色の毛皮からは香木の優しい香りがする。

 木漏れ日のような緑の光と森の香り、寄り掛かかるのにちょうどいい大きさとモフモフの感触。月女神が離れ難くなるのも、今ならちょっとだけわかる気がする。


 私はまた悲しげに垂れた狼の耳を見つめて、先ほどと同じように、彼の背中にもたれ掛かってひとつずつ記憶を手繰り寄せた。


「――私が生まれたのはシュセイルの西方にある小さな港街だった。そこは船乗りや貿易商、季節労働者など人の出入りが激しい街で、流れ者も多く、治安の良い街ではなかった」

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