9 熨斗付けてあげるのに

 翌日はアルファルドが言っていた通り、朝一番の授業から午後最後の授業まで一緒だった。

 音楽の授業まで一緒だったので、さすがに怖いわ! と思って理由を聞いたところ「僕は四男だから領地を継がないし騎士になろうと思って、主要科目以外は得意なものを選んだ」とわりと普通の答えが返ってきた。四男なのも音楽が得意なのも初耳だ。


「セラは授業で何度も隣に座ったのに全然気付いてくれなかったからねー」なんて苦笑いするので「存在感が無いんじゃないですか〜?」と返したらショックを受けた顔をしていた。……勝った。


 試験シーズンが終わって、なんとか授業に追いついた私は、ようやく周りを見る余裕ができた。

 よくよく周りを見てみれば、アルファルドの他にもフィリアスやクリスティアルとも授業が被っている。私は自分で思っていた以上に周りが見えていなかったようだ。


 エルミーナとはひとつしか授業が被っていないので、誰かと話したくてもフィリアスは友人らしき銀髪の男と常に一緒に居て近寄り難いし、クリスティアルは常に女の子に囲まれているので、わざわざそこに突撃して割って入るつもりは無い。


 そういうわけで、非常に不本意だけど一日中アルファルドと過ごすことになった。……無念。

 まぁ、未だに教室の配置がよくわかっていないから、その都度案内してくれたのは助かった。


 だけどこれは……


「アルファルド様とどういうご関係なのかお聞きしているんです!」


 目の前で、腕を組んで仁王立ちしている彼女は尊大な態度でつんと顎を上げる。私の顔をじろじろと不躾に眺めて鼻で笑い飛ばした。


 その日全ての授業が終わり、一旦部屋に戻って汚れても大丈夫な服装に着替えて部屋を出たところ、談話室で彼女たちに捕まったのだった。


 私はシュセイル人女性の中でも背が高いので、彼女はどうしても見上げる形になってしまう。彼女の両脇には気の弱そうな取り巻きが二人。真ん中の彼女を援護するようにこちらを睨みつけてくるのだけど、やっぱり私の顔が高い位置にあるので三人揃って見上げてしまう。


 小さい子が頑張って虚勢を張っているようで健気な感じがして、これではどちらが因縁をつけているのかわからない。この学院に入る前の女子校にいた時は、こういうことに巻き込まれることはなかったので、ある意味新鮮だなぁなんてしみじみしてしまった。

 ともあれ、なるべく穏便に済ませたい。あまり刺激しないように、私は事実だけを簡潔に伝えることにした。


「父親同士が友人なんだ」


「はっ! ご友人ですって!? 庶民の貴女の父親が何故、アルファルド様のお父様とご友人になれるのです?」


「二人ともこの学院出身で、当時のルームメイトで、卒業してからは騎士団同期だったからだよ」


「……なっ……ぬぬ……ほ、本当ですの?」


 言葉に詰まって顔色が真っ赤になったり真っ青になったりと目まぐるしく変わる。取り巻きの女の子達と話が違う! などとヒソヒソと話し合っている。ヒソヒソしていても獣人の私の耳にはまる聞こえなんだけど。

 なんだかかわいそうになってきたけど、それが事実なんだから仕方ない。


 二人が騎士団に在籍していたのは二十五年ほど前のアルディール戦役の頃だったが、父はその際にヒュドラの毒を浴びて左足に酷い怪我を負った。その後遺症で今も左足を引きずっている。怪我の療養中に出会ったのが、アルディール人の私の母である。


「卒業生名簿を調べればわかるのでは? 今四十七歳だから、三十年ぐらい前かな」


「ふ、ふん! そんな昔の記録が残っているはず無いでしょう? 何とでも言えますわ! おおかた、言葉巧みに惑わせて上手く取り入ったのでしょう!?」


 聞いといてそれは無くない?

 私のことならいくらでも言い返すけど、父さんを悪く言われるのは許容できない。それにその言い方だと、伯爵様まで馬鹿にしてるぞ?

 だいたい、巻き込まれているのはこっちだし。アイツが妙な噂を流さなければこんなことに…………そうだ! 良いことを思いついた。


「……君がもし、“妙な噂”を聞いて心を痛めているのなら、君からもアルファルドを説得してくれないか? 私のような女と結婚すべきではないと、ぜひ進言して欲しい。そうだ! そうしよう!」


「えっ……いや、あの、それは……」


「行こう! 君ならできる! 私からも頼む! アイツの目を覚まさせてやってほしい!」


 力強く励まして、女子グループのボスと思われる一番偉そうな子の背中を押して外へ出た。


 女子寮入り口の植木の前にあるベンチに腰掛けている目標を発見したので、速やかに作戦へと移行する。この際、温室で待ってろって言ったのに! という憤りについては考えないものとする。


「どうしたの? 随分時間がかかったようだけど、もしかして……僕のためにおしゃれしてた?」


「ははは……何を言ってるのか全くわからないな」


 いや、なんでちょっと頬を赤らめてるんだ?

 私は顔を引きつらせつつ、さぁ! 今だ! 言ってやれ! と後ろを振り返った。が、


「遠っ!??」


 誰ひとりとして付いて来ていなかった。味方だと思っていた彼女たちは寮の入り口の扉を開いてこちらを窺っていた。

『君たちさっきまでの威勢はどうした!? 言いたいことがあるなら今言っちゃえよ!』

 と、身振り手振りで伝えるが、無情にもバタンと扉を閉められてしまった。まさかの裏切りに私は天を仰ぎ、世の無常を嘆かずにいられなかった。


「セラ? どうしたの?」


 アルファルドが戸惑ったように聞く。どうしたのかなぁ? 私も知りたい。


「……なんでもない。さっさと行こう」


 犬用お手入れグッズの入った鞄をアルファルドに押し付けて、私は先に歩き出した。アルファルドは鞄の中身を確かめて呆れたように笑う。


「別に君のためじゃないからな。オリオンと遊びに行くだけだから」


「オリオンのためかぁ……まぁ理由なんて何でも良いよ。――僕から逃げないなら何でもいい」


 不穏なセリフを聞いた気がして振り返っても、アルファルドは笑みを返すだけだった。




 ***




「……ご覧になりました?」


「え、ええ……まだ、心臓がばくばく言っています」


「震えが止まらないわ」


 彼女たちは涙を浮かべて口々に異変を訴える。

 先ほど薄く開いた扉の向こうに見えた彼の姿に一瞬で目を奪われ、やはりセリアルカでは不釣り合いだと確信した。

 セリアルカに従うようで不快ではあったが、彼女は身の程を弁えるべきだ。お望み通り一言物申してやろうと息巻いていた。


「どうしたの? 随分時間がかかったようだけど、もしかして……僕のためにおしゃれしてた?」


「ははは……何を言ってるのか全くわからないな」


 ほんの一瞬、彼は視線を上げてこちらを見て微笑んだ。

 その瞬間、冷たい刃物で喉を切り裂かれ、鮮血が飛び散り生暖かい血が服に染み込んでいく生々しい幻を見た。あるいは巨大な獣に喉を食い破られ、血に塗れた生臭い牙がごりごりと酷い咀嚼音を鳴らしながら近づいて来る幻を。


 焼き付いたように拭えない死のイメージに、足が竦むどころか呼吸さえ忘れてその場にへたり込んでしまった。震える指で自分の喉を確認して傷が無いことに安堵する。


 ――あれは幻だ。その証拠に三人とも同様に喉を押さえている。同じ幻を見たのだろう。


 だが、頭で理解していても立ち上がることはできなかった。


 ――もう一度、あの目を見たら、きっと自ら喉を切り裂いてしまう。


 そう、本能が警告していた。

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