第二話

――――――


 入学式が終わり、新入生が退場をする。

 アーサー・ペンドラゴンは拍手を贈りながら、これから新たな後輩となる新入生を見ていた。


(あ、あの子だ……。)


 一人の少女がアーサーが座る席の前を通る。生徒代表として、本来は後ろの席になる筈がアーサーは前の席に座る事になっていた。

 大きな通路として開かれている場所を新入生達は通って行く。その中に彼女はいた。

 黒髪の肩までのショート。偶々来ていたあの入試の日に遭遇した小柄な少女、そのまんまの彼女だ。

 あの時と違うのは、赤いポンチョを着ていない事。

 入学式は式典だからだろう。正装しなければならないという事で今日は着なかったんだろう。ちんまりとした彼女に凄く似合っていた。

 青色の目は自然と彼女の姿を追う。

 彼女は気が付いてはいない。それよりも、歩く事に集中している。

 名前をまだ知らない。もし、彼女と話せる機会があれば、色々な事を話してみたい。

 アーサーの顔に自然な微笑みが浮かぶ。これからの新たな学校生活に胸が躍る。

 気になる彼女に視線をずっと向けていたが、その目は彼女の隣へ移動した。同時に拍手をしていた手は動きを止める。

 その目の色も入試の日の彼女の目の様に赤かった。基本色だけの赤色。ハイライトは無く、宝石の様にキラキラと光らない闇を抱えた様な赤色。一瞬だけ、その赤色と目が合った。

 透明を知らない瞳を持った人は少年だった。正装である筈の制服の下に黒色のフード付きのパーカーを着ている気怠げな人。人を違法にでも惹き付ける雰囲気に、美しさが際立つ顔をしている。

 刹那だった。彼の目に入ったのは、ほんの一瞬。それだけなのに、見惚れてしまう恐ろしさがあった。その闇の様な黒色の瞳孔と赤色に、この世の存在とも言い難い彫刻の様な彼が自身の心に入ってくる様で。

 だが、彼の顔立ちは何処かに見覚えがある。よく目にする誰かに似ている。面影を映してしまう。

 これ以上は囚われると警告が頭に鳴るが、じっくりと誰に似ているのか正解を探したくなってしまう。しかし、彼は少女と一緒に通り過ぎる。否、通り過ぎていた。

 少女と一緒に歩いていた。彼もまた新入生だ。


(また、何処かで話せる機会があるかな……?)


 そうすれば、きっと誰なのか解る。新たに出来てしまった疑問の塊も溶ける。

 沢山の新入生を迎える為、動きを止めた手を動かし始める。

 何千といる後輩となる生徒がいるのに、どうしてもその二人に注意が偏ってしまう。魔の色とされている赤色を目に宿しているからか、はたまた違う理由からか。

 頭の中に浮かぶ疑問は消えない。それでも注意を阻害してしまう様であるのなら、考えすぎない様に規制を自分で掛けなければいけない。掛ける様に拍手をする事にアーサーは集中する。


――――――


 午前中に式典を終えた後、午後では学校自体のオリエンテーションが行われる。

 その間までは生徒も先生達も休憩時間となる。

 イル、オズ、リンは人の波に流されるがままに食堂に足を運んだ。お昼である事から、既に食堂は賑わっている。

 式典では流石に被っていなかったフードを被り、オズは人混みの中へと姿を消していく。


「あ! 待ってよ、オズ!!」


 イルは慌ててオズの後を追う。彼の背中を見失わない様に、リンの手を握る。

 食堂の切符売り場では、既に長蛇の列が出来ている。その最後尾にイル達は並ぶ。

 一回の折り返しがある以上、休憩時間内に座り、完食まで辿り着く事が出来るのだろうか……。ざわざわと騒々しい食堂を遠目に見て、溜息が出る。

 ランチを食べる前に疲れる。いや、疲れの所為で空腹感すらも無くなる。


「その……びっくりしたね! アッシュさんが先生なんて。」

「聞いてないよ……私。オズは? アッシュが先生として一緒に来るって思った? と言うか、聞いた?」

「聞いてねぇよ。一緒に来るとか、どうでも良い。」

「へいへい。君はそういう人でした。本当に、冷たい奴な……得意な氷魔法の様にさ。」


 唇を尖らせて、わざといじけた感じになる。それをオズはジドッとした目で見下ろすと、イルの尖らせた唇を掴む。何を考えているのか分からない真顔で繰り出される攻撃は、イルに反撃を与えなかった。

 痛い程に尖らせたイルの口を引っ張り、表情を変えずに唯々見てくる。痛さと口を掴まれて喋れない。手を離す様に抗議の為にオズの手を叩く。

 何度か叩いた後、満足したのかオズの手が離れる。


「お前な……! 息できんかったぞ!?」

「良かったな。」

「良くないよ!!?」


 鼻でしか呼吸が出来なかった。満足な空気の取り込みが出来なかったのが、イルの息切れを起こす。

 彼女の抗議はどこ吹く風で、ゆっくりと進む列の移動へとオズは移ってしまう。

 疲れの為の溜息じゃない。まるでDVの様な態度に、呆れた溜息が出る。


「イルちゃん、仲良いね。」

「え、誰と?」

「オズ君と。」


 リンはにっこりとした笑顔をイルへと向ける。楽しそうなその顔にイルは少しだけ怪訝そうな顔をする。


「……そうかな? 」


 仲が良いというのなら、普通は暴力――に近い事をする必要は無い。これがスキンシップなのかも理解しがたい。

 だから首を傾げるんだ。すぐに手が伸びてくる彼の行動で、仲が良いと定義される事がどうしてなのか分からない。

 もし、仲が良いのであれば、態度だってそれなりに違う。それにもう15歳だ。人との関わり方というモノを理解出来るようになっている筈だ。

 人に優しくする事、敬語やマナーを使う場所、人を選択する事、様々な事をアッシュは教えた。中身が元々成熟しているイルとは違い、正真正銘の子供であるオズに対しての教育をした。

 本人にとって煩わしく、うざったいものであったとしても。呪って、壊したい世界のその渡り方であったとしても。

 これからクヌガの外にも出る事になった時、自分の命を危険にしない為の世渡りの方法。魔法や武器以外の自分達を護る為の武器。

 そもそも、イルもオズが嫌悪を表す人間達と同じ人間だ。

 まともに話をして、目も合わせているがそれが本当とは限らない。心を許してくれている証拠にはならない。仕方なく、アッシュが教えた世故を一緒に暮らしているイルやアッシュへと実践しているに過ぎない。

 イルはリンから目を逸らす。何となく思った考えを思い返すと、ぽっかりと心に穴が空いた様に思えてしまう。言葉にするのなら、寂しい。


「仲が良いとは――、」

「私は仲が良いと思いますよ?」


 頭を軽く叩かれる。優しく置かれた頭の上の感触に顔を上げると、アッシュがイルの背後にいた。

 微笑んだ顔でイルを一回撫で、手を離す。


「席は取ってありますので、ご飯を受け取り次第探してください。待ってますので。」


 アッシュはイルとリンだけでなく、背を向けているオズに対しても声を掛ける。

 和やかな微笑みを見せた後、アッシュはイル達から離れて行く。

 時間もあまりない。午後のオリエンテーションに間に合う様に、人が捌けていく列を進む。券売機まで辿り着けば、良心的な値段のランチが並んでいる。その内の一つを選んだ二人は、列の外で待つオズの元へと急いだ。


――――――


 休憩の時間は後半となる。

 人も少なくなり始める所で、やっと三人はお昼に辿り着く。アッシュが座っている席を見つけ、三人は座った。

 腰を下ろした所でイル、オズ、アッシュは手を合わせて食べる前の挨拶をする。


「いただきまーす!」

「……いただきます。」

「いただきます。」


 挨拶を終えるとスプーンやフォークを使って食べ始める。だが、リンだけは三人の摩訶不思議な挨拶を見て驚いた顔で固まっている。

 イルは目の前に座る彼女の反応に首を傾げる。


「どうかした?」

「え!? あ、イルちゃん達がやってた”これ”って何なのかな……って。」


 リンは真似する様に手を合わせて見せる。

 イルも釣られて再度手を合わせ、考える。別に不思議な事はしていない。いつもの習慣だ。向こうの世界で両親に躾けられ、意味を教えられて、当たり前となった習慣。こちらの世界でもずっと続けていたが、誰も可笑しいとは言わない。

 いや、初めてオズと出会って、食を共にした時に聞かれた事がある。

 それを思い出してイルは思い出し笑いをした。


「イルちゃん?」

「あ、いや、ごめん! リンちゃんに対して笑ったんじゃなくて、七年前にも同じ様な事を聞かれた事あったな~って!」


 七年前――この単語に反応したのか、イルの隣で既にお昼を口に運んでいたオズがイルを睨む。

 ご飯を食べていても被っている黒色のフードから覗く赤色が、光って鋭い眼光となっている。これには恐さを背中がなぞるが、いつもの事だとイルは流す事にする。


「”いただきます”って言うのはね、ご飯を食べる時に言う挨拶なんだ。手を合わせて、食材に感謝する。命をありがとう! って。」

「え、そんな挨拶があるの?」

「いえ、普通は有りませんよ。あるとしても、ソウクヌガの最東端にある島国でしたらありますね。いや……後は挨拶の作法や言葉は違いますが、無い訳ではなありませんね、確か。」

「え、じゃあ、イルちゃんは蒼の陸の人?コウの陸の人じゃなくて。」


 お昼ご飯に手をつけたイルは瞬きする。

 初めて、この世界で「いただきます。」「ご馳走様でした。」を言った時、奇異な目で見られた。何を言っているんだ、コイツ……と。

 普通だと思った事を普通にしていただけだ。異界からの転生だか転移だかをしたイルの普通は、普通という話では無かった。この世界の大半では異常な行動だ。無意味な習慣だった。

 それでも合わしてくれたのはマーリンやアッシュだった。話を聞いてくれたオズだった。

 広く知られていないだけであり、調べればこの世界にだってイルがした挨拶を習慣とする場所だってある。だって、この世界は――イルのいた世界の鏡の向こう側の虚実な世界だから。


「ううん。黄の陸の人間だよ、私。」


 この世界では無い別の世界から召喚されて、赤ちゃんになった以外は。

 止めようにも止めれなくて、止めてしまえば本当にこの世界の人間に染まってしまいそうで。忘れたくない人達を忘れない為の習慣でもあった。

 あの世界に帰る事は出来なくとも、大切な人が、大好きな家族や友人がいた場所に自分は生まれて倫理を、イルが育ったのだと。どんな人が親だったのか、友人でいたのか覚えてはいない。記憶が無いが、愛されていた事は覚えている。

 だから、無意識でも意識的にでも覚えている為にイルは口にする。


「そうなんだ……。」

「早く食べませんと、三十分もありませんよ。」


 アッシュに勧められるがまま、リンも慌ててご飯を食べ始める。だが、その前にリンは手を合わせてイル達がした事と同じ事をする。


「いただきます! えへへ、なんかいい響きだね! そうだよね、命を貰って生きているんだもんね……。」


 わざわざ、真似なんてしなくても良いのに。笑顔を向けて、恥ずかしそうにするリンを見て分からない様に溜息を吐く。不思議だと、可笑しいと思うのであればしなくても良いのに。

 彼女の習慣に付き合ってくれる事を、なんだか同情の様な哀れに思われているのかの様に感じてしまう。リンがそう思ってしているのではない事は解っている筈なのに、頭はモヤっと不快な様な別の何かが充満する。


「おい、早く食べろ。」


 手が止まってる。悪態の様に吐いたオズの言葉でイルは我に返る。既に隣のオズは食べ終えている。オズが食べていた料理の皿は空になっている。そして、隣の彼は肘を机につきながら睨んでくる。いや、切れ長の目のお陰で睨んでいると錯覚する。

 感じてしまったイラつきの様なものを見なかった事にして、イルは再び食べ始める。うん、半熟の卵が乗ったオムライスは美味しい。

 スプーンに山盛りに乗せたチキンライスを大きな口を開いて運ぶ。お淑やかに、可愛く小分けにして小さく開けた口に入れる様な事はしない。ずっとは出来ない。

 きっと、トマトソースが口の周りを染めているのだろう。子供じゃあるまいに。

 口の中の卵を乗せたチキンライスを咀嚼して食道へ流し込んだ後、すぐに次に口に運ぶ物を分ける。スプーンで卵を裂きながら分けていると、隣から手が伸ばされた。

 オズの手はイルの口元を触れる。優しく、壊れ物の様に触る手。

 口の端にご飯粒が付いていたのだ。

 大人の男性に近づいた指がご飯粒を拭う。


「ガキかよ……。」

「ちょッ!?」

「口の周りにソースが付きまくってるし。ガキだな。」


 顔に熱が集まる。凄く、両頬が熱くなる。体の芯が熱さを持つ。恥ずかしくて、見ていられない事をされてイルの顔は赤くなった。

 悪態を吐きながら拭った粒をオズは食べたのだ。汚い筈なのに、オズにとっては絶対に避ける様な嫌いな事なのに、一切表情を変えずに行ったのだ。


「オズ!!!!!」


 これには恥ずかしさに涙目になるイルだけじゃなく、見てはいけないいやらしいものだと同じ様に恥ずかしそうに手で顔を隠すリンの姿がある。アッシュは苦笑を滲ませた。


――――――


 ふくれっ面になるイルと口角を上げて笑顔を見せるオズ。その2人の姿にアッシュは呟いた。


「本当に、仲が良いですよ。」


 アッシュは券売機の列に並んでいたイル達の会話を思い出す。 胸を張って、自信を持って言える事なのに、彼女は口に出す事を躊躇っていた。出してはいけないと、口の中で言葉を濁そうとしていた。

 もし、オズがイルを嫌っているのであれば、こんな事はしない。誰かの食べカスを手で触れ、拭ったものを口に入れるなど有り得はしない。普通はしないというのもあるが、オズに至っては更にこんな事をする事は絶対が付く程に有り得ないのだ。

 彼は人に触れられる事が嫌いだ。触れる事が嫌いだ。だから意図的に人を避ける。治療や検査、必要だとされる接触以外は絶対に触れさせない。

 他人の感触が嫌いだから。温もりなど、虫唾が走る程に嫌悪するものだから。

 長くオズと一緒にいれば、オズにとってイルが特別である事が誰でもわかる。オズが唯一自分から触れても良いと、この人の感触なら嫌悪を示さないと特別なんだと思える相手である事を誰もが知る事になる。

 長年、傍で二人を見ているアッシュだからこそ微笑ましいと見守れるのだ。

 文句を言うイルに煩そうにそっぽを向くオズ。このままの状態が続けば、食べ終えていないイルの所為でオリエンテーションの時間に遅刻する。

 二人を止める為にアッシュは口を開く。


――――――


 午後になった。集合場所として告げられた校舎前の庭園で、イルとオズ、リンは三人固まって集合していた。

 庭園前では既に彼女達を含めた新入生は集まっている。一種のお祭り状態だ。

 赤いポンチョを着たイルの顔は膨れていた。お昼でのオズの行動がまだ尾を引いている。


「膨れてんなよ。変な顔してる。」

「うっさい! 君の所為だから!! 君の所為! 分かってる!!?」


 威嚇する猫の如く、シャーっと音が付く程にオズへ不満を向ける。威嚇をされている当の本人はどこ吹く風。出てくる言葉も棒読みだ。

 抑揚も無く、関心もない状態でポケットに手を入れたまま棒立ちだ。相も変わらずフードは被ったまま。

 学校の先生はよくやる。集合時間だと、授業開始の時間だとしても先生の方が遅れてやってくる。生徒には時間を守れと厳しく言うが、大人になると時間を守る事が珍しくなる。

 そうだ。新入生を案内する先導役の人がまだ来ない。

 だからなのか、新入生は意気投合した新たな友人たちとグループを作り、話に花を咲かせている。それはそれは騒がしい程に。

 盛り上がっている人の塊の中には、チラチラとオズの事を視界に入れ、一瞬だけ見たらこそこそと話をする。特に女子の集まったグループだが、どれもこれも好奇の様で、黄色い目と声だ。まるで、アイドルがいる感じで。

 見え隠れするオズの容姿に、イルとリン以外の新入生が目を釣られる。魅了される。

 背中を撫で回す程の視線に、声でフラストレーションが溜まったのか、オズは舌打ちを漏らしている。


「人の事をジロジロ見て、こそこそ喋ってんじゃねぇよ……。」


 不機嫌である事を惜しげも無く表面に表す。声だけでも不愉快なのだとイルに分からせる。

 これだから顔を晒すのは嫌いだ。だから出来る限りフードを被る。人の事を値踏みをする様に舐め回して来る視線を、気持ちの悪いモノを遮る為の防御服だ。

 イルにはオズに対して向けられる不愉快な目を守る事が出来ず、話をしている人達に話し掛ける勇気も普通にない。オズをなだめる事しか出来ない。

 既に時間は過ぎた。早く来て欲しいと焦っている所で、案内人達が姿を現した。


「すまない。では、オリエンテーションを始める。」


 静粛に。三人の大人が現れる。新入生達は話すのを止め、三人の大人へ注目する。

 沢山いる人達からイルは人の体の間からしか、案内人の姿が見れない。背の高い人が占めている。


「アッシュがいる。後、事情聴取しに来た騎士の二人──お前の実技を担当した騎士ともう一人。」


 背の高いオズはイルに分かるように誰がいるのか教えてくれる。リンも頷いて、アッシュが案内人だと肯定する。

 オズが言うのであれば、本当なんだろう。無駄に嘘をついても互いに有益な事はない。


「魔法学、実技の方を担当するパルジファル・ペレドゥルだ。整列をしろ! 今後は我らが現れる前に私語を慎み、整列をする様に。」

「でないと、パルジファルがお仕置きするから。怖い奴だから、しっかりと守る様にね。」

「おい、ボールス……。」

「うわーい! こんな感じに怖いからね! と言うのもあるけど、本当は命を危険に晒す危険な授業が多いから。魔法学の実技を筆頭に……だからこそ指示はしっかりと真面目に聞いて欲しい。」


 イルを含めた新入生がすぐさま列を作り、整列する。10列以上の列が出来上がり、イルは背の高い前の同級生の間から一生懸命に顔を出す。

 険しい顔で眉間にシワを作り、真面目に話すパルジファル。彼を中心に左にヘラヘラと笑うボールス、右に和やかな笑顔を見せるアッシュがいる。

 命のやり取りを普段からしているからなのか、その言葉の重みは実体を持つ。理解は出来るが、経験や言われている意味を体で理解出来なければ幾ら重みがあっても、自分には関係ないものの様に思えてしまう。イルはイルとなる前から何度も経験している以上、出来る限り聞かなければと真剣な顔になる。

 初めに言っている指示は命令でなければ、新しく学校に通う彼女達に対してのアドバイスだ。


「自己紹介がまだでした! ボールス・ド・ゲイネスです。パルジファルと同様に魔法学の実技を担当します。皆、よろしくね! で、隣にいるのが、」

「入学式でも自己紹介させて頂きました。魔法学の座学を担当いたします、アッシュと申します。皆さんが今日から学校生活が始まる様に、私も今日から先生となるので、どうぞよろしくお願いします。」


 整列した列の間から覗くと、灰色の髪の毛が見えた。アッシュは軽く体を前傾させ、頭を下げていた。


「魔術師育成の場がこの翰林院。授業は他にもあるが、中心となるのが魔法学だ。よって、我々が1番お前たちと深く関わる事になる。明日も各教科のオリエンテーションを行が、今からのオリエンテーションは知っての通り、学校内の案内だ。」


 パルジファルは1度区切ると、後ろで控えるボールスとアッシュにアイコンタクトをする。そして、何かを列ごとに配り始めた。

 前の人から順々に回される物は、平たい板のような魔法石クリスタルだった。大きさは手の平よりも大きなもので、向こうの世界であったスマートフォンの様だと久し振りの形に驚きと、懐かしさに笑ってしまう。

 一つ受け取ってから、後ろに立つオズへとまだある平たい板を渡す。

 板は順々に最後尾まで回されていく。


「今配ったのは、魔法道具”スマホ”だ。そこに学校校内の地図、ウェールズの地図もある。魔力を流し込めば、それだけで個人が承認され、お前たちの学生証となる。」


 赤毛の教師の言葉に全員が魔力を手に持つ魔法道具へ流し込んでいく。淡い光があちらこちらから見えてくる。その光は沢山の色に溢れ、その人の得意とする属性の色を表していた。

 後ろにいるオズも魔力を流し込んでいる。淡い青色が放たれる。画面となる面には、オズの名前と顔や個人を特定する情報が映し出される。

 結果は分かっているが、イルもスマホを起動させる為に魔力を流し込んでみる。

 体の中で気体の様な液体の様な物が流れるイメージ。ほんの5年前まであった感覚は遠い昔の様で、忘れかけている感覚を思い出しながらクリスタルと向き合う。

 だが、案の定、スマホは何も応答しない。光るなんて夢のまた夢だ。

 力を込めようがそれは変わらない。

 大体の魔法道具は、魔力の管がある事が前提で造られている。体内で魔力が生産させるからその魔力が弱い人にとっての拡声器の様なもの。蓄電の様に魔力が蓄えられはしない。精々魔力消費を抑えたり、苦手な魔法を行使する為の物だ。

 だからこそ、魔力の管が存在しないイルには魔法道具の起動はしたくとも出来ない。


「ですよねー。」


 これが学生証となるのに、どうすればいいのやら……。考えようにも改めて突きつけられる自身の現実に軽くショックを覚える。

 それに、誰かの魔力を流し込んでしまえば、その人でログインとなる。魔力がその人の学生証のパスワードとなる。パルジファルはそう言ったのだ。

 オズに頼んで魔力を入れてもらった所で、イルに与えられた物もオズの物として承認される。


(どうしたものか……。)


 道具を持ちながらうんうん唸っていると、オズは手を挙げてアッシュを呼ぶ。イルの事情を知っているかつ、目の前で頭を振りながら考えている彼女が奇妙で、すぐさま助けを求めたのだ。


「アッシュ先生。」


 オズが手を挙げたことで周囲の目はオズに注目する。ハッキリとした声に顔を上げると、全てを察したアッシュがオズの元──ではなく、イルの元へと来る。

 だが、声を掛けるのはオズに対して。


「どうかしましたか?」

「イルのやつは起動しない?」

「いえ、出来ますよ。」


 注目を集めてしまった。イルを連れて教師陣の前まで行くのは、注目を集めたり変な詮索を入れやすくなる。それしか方法がなかったとはいえ、今度はイルの事で騒然とならない様に、オズは小声でアッシュへ聞く。

 アッシュも想定内だと、オズの質問に小声で答えた。

 安心する様に笑顔を向けると、そのまま振り向いて前方にいる教師陣を見る。


「すみません、パルジファル。話を進めていただけますか?」


 前にいるパルジファルとは距離がある。アッシュは大きな声でパルジファルへ話し掛けた。

 彼もイルが魔力の管を持たない人間だと知ってはいる。経緯は知らないが。理解を示したように、パルジファルはアッシュの指示お願いに従いこれからの話をし始める。


「後で、私達が引率する形で校内を見て回ります。その話やこの道具の詳しい使い方についてなので、大丈夫ですよ。」

「そうらしいね。何となく分かるから別に良いんだけど……。」

「そんな話よりも、イルの学生証の方が大事ですからね。」

「まずは起動させないと話にならないし。」


 イルは薄い板の様なクリスタルを見下ろして溜息をつく。バッテリーがある訳でもない、純粋に魔力による操作。

 魔力が体内生産され、ある事が当たり前な世界だからこそ溜める事は眼中に思う人はそれなりにしか存在はしないだろう。

 魔力が皆無なイルに果たして使えるのか。寧ろ、紙媒体で欲しくなってしまう。その方が安心する。だが、1番の最適は魔力によるものだ。使えない前提を視野にも入れない。紙媒体は燃えてしまえば終わりだが、魔力であればその人が死なない限り、魔法道具さえ作り直せばいいだけの話。

 アッシュはオズに顔を向け口を開いた。


「オズ、頼みがあります。」

「何?」

「イルに触れて、魔力を流し込んで下さい。」


 はっきりと指示された小さな声にオズが眉間に皺を寄せる。聞き返す様な言葉は大きく出てきてしまいそうで、無理やりに喉の奥で押し殺した。


「魔力を流し込むのは別にいい。でも、こいつには管がない。」

「ええ、管はありません。ですが、貴方の肝臓と同じ人間から抜き取りれて入れられた心臓がある。その心臓に向けて魔力を流し込めば、ポンチョが擬似的な管として魔法石まで魔力を届けてくれると思います。いつも貴方がイルに対して行う回復魔法等と似たやり方です。」


 思います。それは不確かであるとも、確証がない事だと告げられているようだ。それでも回復魔法の時にオズがイルへと触れる事で傷を治す事は証明している。

 出来ない事は無い。意を決して背中に触れる。ゆっくりと、擽るように触れる手は心臓がある左側の背中に置かれた。

 ポンチョに幾何学模様が浮かび上がってくるのは、オズが魔力を流し込んでいる事を示している。今、イルに向かって恩恵が別の用途で入れられているのだ。

 フードから裾まで全てに青色の模様が浮かび上がった頃、体を蝕む痒さを感じる。掻きむしりたくなる違和感に、顔を歪めていると、イルの心臓は大きく1回拍動する。

 どっくん! 痛く、心臓を左胸の上から抑えていなければ、そのまま皮膚を突き抜けて出てしまいそうな程に躍動感に溢れていた。

 怪我をした時に手当する為に与えられる魔力とは全く意味が違う。優しくない、暴れん坊そのもの。


「イル?」

「だい、大丈夫。」


 今まで試した事がないやり方。これにはオズも心配の色を見せる。声音は異変に気がついた瞬間に優しく語り掛けるものになる。

 凄く痛い訳では無い。鋭くはないが、ゆっくりと痛覚を蝕んでいる様に思え、背中から手に離して貰いたくなる。痛みから解放されたい。


「イル、もうすぐです。もうすぐですから。」


 励ます言葉をアッシュは投げてくる。

 もうすぐでこの痛いから離れられるのなら、早く終わって欲しい。痛みは痛みだ。

 涙も出てきそうだ。

 涙腺が痛みのせいで壊れそうな時、魔法石に変化が訪れる。

 魔法石が無色透明の光を放つ。強く光ったと思えば、弱くなる。安定感のない光だが、オズの助けの元、確かにイルの手で魔法石が反応してくれている。


「良かった……マーリンが仮定した話は正解でした。」

「マーリン……?」

「いえ、なんでもありませんよ。ほら! しっかりとイルの情報が映されています。これからスマホを使う際はオズがいなければ出来ませんが、この方法ならイルでも起動させる事は出来ますよ。」


 スマホの画面にはイルのフルネームから顔写真、その他諸々の情報が書き込まれている。


「俺じゃねぇと、イルのスマホは起動しないのか?」

「そうですね……オズでなければ。」


 無事に起動する事を確認すると、オズは背中から手を離す。

 イルを支配していた痺れに似た痛みは無くなる。やっと痛みが無くなった事が嬉しくて、涙が出てくる。


「泣いたんですか? 」

「これ、注射よりも痛いよ!?」

「こればかりは我慢するしかありませんよ。」


 これしか方法が無いんですから。

 アッシュの呆れた声にタコのように口を突き出して、不貞腐る。

 その顔に苦笑を滲ませると、アッシュはパルジファル達の元へと戻る。

 アッシュを後ろ姿を見送り、後ろにいる立役者に──オズにお礼を言おう。振り向いた先の彼は顔を伏せていた。イルにはその表情は見えない。

 オズは浮かない顔をしていた。アッシュが言った言葉がオズを縛り付ける。

 俺でなければ無理って。

 オズもまた現実を突き付けられていた。イルが道具を使う為には誰かの力と痛みに耐えなければいけない。自分の所為で。


「やっぱりかよ……。」


 フードの下で呟いた声は真ん前にいる彼女にすら聞こえないほど、小さい呟きだった。

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