第四話

 能面の様な顔で病院の廊下を歩く。

 言うつもりはなかった。時が来た時に、全てを言うつもりでいた。


「口が、滑ってしまった……。」


 アッシュは飲み物売りの無人販売機前に辿り着くと、人がいない事を良い事に背中を壁につける。後悔がアッシュの体から力を取る。

 二人を――特にオズに対して混乱を招く話を出すつもりはアッシュにはなかった。ましてや、彼の口から出た言葉はオズを責めていると感じ取れてしまうものだ。


――私は、オズが”神器ジンギ”になる為の実験台になったんです。

「違う!!」


 いや、正解だ。違う所は何処にも無い。だが、恨みはない。オズを突き放す感情はない。寧ろ、同情とそれに伴う加護欲しかない。

 実験台になっていなければ、アッシュはマーリンに救われる事は無かった。関わる事も無かった。イルと出会い、オズに出会う事が無かった。

 オズという存在が聖女を虜にしなければ、アッシュが実験台になる未来は無かったのかもしれない。

 そんな事を考えた所で、”もしも”は通用しない。過ぎ去った過去に幻想を抱いた所で過去は変わらない。変わるのはこれからの未来と、歩んでいる今だけだ。

 ”神器”の紛い物――”偽似ギジ神器ジンギ”。人から武器へと姿を変える


「そこで何している?」


 顔を手で覆っていたアッシュに話し掛ける人がいた。聞き覚えのある女性の声に、アッシュは顔を上げる。


「モーガン……。」

「なんだ、アッシュか。らしくない泣きそうな顔をして、どうかしたのか?」


 泣きそう。そばかすが特徴的な彼女の言葉に、自分を傷つける意味合いの笑い声が微かに漏れる。今、自分はそんな顔を晒しているのか。

 モーガンだけでは無かった。後ろには彼女の助手のゲール、黒色のローブを着た三人の騎士がいる。


「いえ、なんでもないですよ。お見苦しい所を見せて、申し訳ありません。」


 今から、イルへの聴取が始まるのだろう。モーガンは彼女の元まで三人の騎士を案内する為、ゲールはそれに同行している。彼女達を見て推測する。

 ワザとらしく顔に笑顔を張り付け、モーガンの横を通り過ぎようとした。

 誰にも知られたくない。弱音は溢したくない。アッシュの心の中は荒れている。

 泣きたくない。

 視線を下げ、歯を食いしばって耐えていると腕を掴まれた。足が強い力によって止まり、掴まれた手首を見る。


「悪いが、ゲール。君が三人をイルの元まで案内してくれないか?私はコイツに用が出来た。」

「承知いたしました。」

「も、モーガン!?」

「ほれ、お前は戻る戻る。何処に行こうとするんだ? 私に付き合え。」


 そのまま引きずられた状態で、販売機の前まで戻る。

 彼女の後ろで控えていたゲールは頭を下げると、騎士達と共に二人を置いて行った。横目で見ていた金色の瞳が、いなくなった事を確認すると自販機前のソファーに腰を下ろす。

 溜息を吐き、モーガンは髪を掻き上げた。

 アッシュは呆然と立ち尽くしかない。座ったモーガンを灰色の目で見降ろし、困惑の顔を映し出す。


「お前も座れ! たくっ……普段は作った笑顔を張り付けるばかり奴なのに。で、何があった? 話を聞くぞ。お前の全ての事情を知っているのは、マーリンを除いて私だけだ。」


 いつまでも座らないたっぱのある彼に痺れを切らす。自身の左隣を埃が立つほどに叩いて、座る様に促た。

 一度でも仮面が壊れれば、感情が溢れる。抑えて、知られない様に繕った筈が、モーガンには見破られてしまう。否、アッシュ自体の動揺が大きかったのも要因だ。

 大人しく、モーガンの言葉に従う。

 隣に静かに腰を下ろした所で、アッシュは口を開いた。


「……言ってしまいました。」

「何をだ?」

「自分が、オズの――ギャラハッドの実験台だという事を。」


 視線を感じる。アッシュの吐き出した言葉に、モーガンは金色の目を見開いて凝視していた。


「時が来るまで、その時までは言わないで置こうとマーリンとも話していたのに……。」

「アッシュ……。」

「まだ、何も始まってません! いや、始まっている……? それでも、早く言い過ぎました。」

「……幾ら秘密にした所で、その秘密がバレるのが早いか遅いかの違いだ。バラした所で、あの二人はお前の事を悪いとは思わないだろう。もしかすれば、余所余所しくなるかもしれないな……特にオズは。まあ、あの二人は物の分別がつく奴らだ。イルは中身が成長しきった大人で、オズは大人びるしかない環境下だったからな。」


 もしかしたら、いい方向へと行くのかもしれない。モーガンは立ち上がり、販売機に小銭を投入する。二回、同じ場所のボタンを押せば、出て来た飲み物を取り出す。

 一つをアッシュへ渡し、モーガンは封を開ける。


「お前は二人を、オズを恨みたいか? 恨みたのであれば私は止めない。止める通りはないからな。」

「恨みませんよ! 恨む相手は、オズ達じゃない。……聖女です。」

「そうか。なら、変わらずにそれを示せばいい。お前の心からの気持ちが出た行動だ。……で、どうしてお前がそんな事を口から溢して、落ち込むまでになった?」


 何かあるだろ? きっかけが無ければ、行動は起こらない。キャップを開けた飲み物に口をつける。

 アッシュは受け取った飲み物をぼんやりと見つめて、ボソッと呟いた。


「イルの夢に魔王が出ました。」

「は? 早くないか?」


 彼の言葉にモーガンは飲み口から口を離す。金色の瞳は、驚きと困惑を物語っている。


「体が奪われる事は無く、防げたようです。ですが、早すぎます! 魔王が接触してくるのは、どう考えても早いですよ!」

「聖女と接触してしまったからか……。」

「あれは本当に予想外です。いえ、もう既に予想として立てたものは意味をなしていませんから、こうなっても可笑しくないです。だから、」

「より、慎重な行動だな。」

「はい。イルの体を奪いに来たとして、魔法が使えないと気付いているかどうか判りませんが、もし……それを知ってしまったら、魔王はイルでは無くオズの体を狙います。どんな手を使ってでもオズに、イルの中に入っている魔王の心臓を肝臓と組み合わせると思います。」

「そうなれば、聖女の思惑通りに神器になってしまう。オズは――人の枠から外れてしまう。」


 一気に中身を飲み干す。後悔も落ち込みも、全てを飲み物と一緒に胃まで送り込む為に飲み込む。口を拭いながら、アッシュは立ち上がる。


「絶対にさせません! 今度こそ。」


 真剣な眼差し。やっと、アッシュは落ち込みから回復した。引き締まった覚悟を改めて噛み締める灰色の人間を満足そうに見つめる。

 ふっとモーガンは笑みを浮かべる。


「そうだな。」


 モーガンは残りが入った飲み物を傾ける。

 これは残された者の役目だ。喉を鳴らしながら、中身を全て食道へと流し込んだ。

 彼女の目も、また真剣で鋭いモノであった。


――――――


「これより、イル・アンブロシウスの聴取を始めます。」


 イルの周りには三人の男がいる。目の前に対面する形で一人、その傍らに一人、書き物をする人が一人。

 体格のいい男達に囲まれたイルは、いたたまれ得ない気持ちで一杯であった。必要最低限の事を終えたら、早くこの場所を去りたい。

 忘れられない、聞き間違えかと思えた言葉を聞いてからすぐに彼等は訓練場にいるイル達の前に現れた。モーガンの助手――ゲールが先導し、心ここに非ずなイルとオズに一礼をして、本題へと入った。


『今から、イルさんの聴取を行いたい。』


 と。オズは三人の男の顔を見ると、顔を顰めていた。オズにとっては既に顔を合わせた人間達だったからだ。

 イルは何かあったのかと、オズの顔を見て思う。

 赤髪の男、黒髪の男。その二人は、オズの聴取を担当した騎士だ。今回はイルの聴取も担当するのだろう。否、この事件の担当として配属されているという事を、オズは確信する。

 イルには、オズの時に起こった事は何も言わず、「行ってこい。」と背中を押した。

 三人の騎士に連れられ、イルはオズが聴取された時にも使われた相談室へと足を踏み入れる。そして始まったのだ。

 緊張している。まじまじと見られている鋭い視線が痛い。

 向こうの世界にいる時から男は嫌いだ。苦手だ。何をされるか分からない、幽霊と同等の存在。恐怖と嫌悪が入り混じり、悪心を生む存在。

 まだ、オズやアッシュといった信頼のおける仲間――家族の様な人がいれば、この恐怖心に似た緊張は緩和されるだろう。だが、向こうは仕事でイルを囲んでいる。それは理解していようが、密室となった空間に逃げる為の術がない少女が大人に囲まれるのは、警戒をしなければいけない状況であるのは確かだ。

 何もない。それが絶対である事は誰にも証明が出来ない。


「初めまして。僕は騎士団員ボールスと言います。」

「イル・アンブロシウスです。」


 礼儀正しく、目の前の黒髪の男は頭を下げる。警戒を解くつもりはないが、礼儀正しくされたのであれば答えるのがマナーだ。イルも頭を下げ、自分の名前を言う。

 ボールスはイルへ笑顔を向けた。


「そんなに硬くならないで? 僕達は何も君に被害を与えない。只、話を聞きたいだけなんだ。」

「はい……。」


 緊張がボールスに伝わる。恐る恐る見ているイルの顔が、ボールスを苦笑させる。返事はしようが、表情は硬いままにするという事が。


「二週間。君が誘拐されてから、事件が治まって病院で昏睡状態だったそうだけど、調子はどう?歩いたりしているから、調子が良さそうだけど。」

「モーガン先生のお陰で、回復しました。」

「そっか! 良かった……。と、君の状態が良いという事を確認した上で、色々と訊きたいと思う。」


 ボールスはイルの前に二枚の紙を置く。それぞれに似顔絵が描かれているが、一枚はリンの顔、もう一枚はリンの父親の顔であった。

 二枚の紙に描かれた顔を見て眉間に皺を寄せる。


「この二人に見覚えはある?」

「あります。こっちの女の子は、リンちゃん――私がこの街に来た時に初めて会った子です。こっちの男の人は、私を襲った人です。」

「こっちの女の子は、前からの友人って事ではないんだね?」

「はい。翰林院の入学試験の為にこの主都市まで来ました。その時にぶつかって、色々とありました。」

「それはいつ頃の話?」

「入試が二週間前のあの日、事件の当日で……その前の日です。私とオズ、アッシュはその入試の前日で騎士団にお世話になっています。だから、その時の内容とかがあるのなら探してください。私やオズ達の証拠になります。」

「どうして?」

「リンちゃんとぶつかった事が原因で、彼女を追った男達に絡まれて戦闘になりました。」

「魔法が使えないのにか?」


 イルが明かしていない秘密を口に出される。知っている事に驚きの目を向けた。

 きっと、誰かが話したのだろう。モーガンかアッシュ、オズ――否、全員が。


(また、色々言われる。)


 魔法が使えないのに戦える? 馬鹿にする様に笑われる。森の中で暮らしていた時、村の人に笑われた。

 魔物退治をアッシュという保護者がいる下、戦いの練習の一環で行っていた時だ。感謝されるのは魔法が使えるオズの方だった。凄い魔法だね、こんなに強いとは。賞賛の雨嵐をオズに浴びせ、イルに向けられるのは憐れみと貶す目だった。

 倒したんだ! それを口にした所で、オズに全てを任せてその手柄を横取りする自己中心的な女だと陰口を言われる。怒りから実際に魔物の首を斬って、目の前に転がしたとしても、異常だと言われる。

 誰かに何かを言われるのが怖い。冷たい目で見られる事が苦しい。

 魔法が無い事が普通の世界にいた。魔法が使えない事を恥じる事もしないイルを異端だと、こそこそと話す。

 だが、そんな事はどうでも良くなった。勝手に話すのなら話せばいい。管が無くったっていいじゃないか。五体は満足にあるのだから。戦える術はあるのだから。


「はい。」

無魔ムマの分際で、よくもまあそんな嘘がつける。」

「パルジファル!!!」


 開き直って自分を守ろうとした。守らなければ、この場でみっともなく泣いてしまいそうだ。小さな自分の自信を守ろうとした。しかし、駄目だった。

 イルは、わざと逸らしていた視線をボールスの隣に向ける。彼に隣にいるのは赤毛の男――イルの実技試験を担当した試験官だった。

 すぐに顔を下に向ける。顔を上げたくない。視線を合わせたくない。

 着ている赤い羽織に濃く皺が刻まれる程に、強く握りしめる。掌が痛くなる程に強く、痛く。


「魔法が使えないからこの無様なんだろう。回復も十分に出来ない、だから二週間も寝ている。魔法が使えれば、その日の内に帰れたのにな。」

「パルジファル!!! 止めろ!!! 嘘か本当かは、こっちが探せば済む話じゃん!」


 慌てて失言をする幼馴染みを止めようとするが、パルジファルは止めようとしない。自分が正しいと譲らない。自信ありげな顔でイルを見下している。

 イルの黒い瞳に絶望の色が映ろう。小さく開けた口からは乾いた笑いが零れた。


「……本当ですね。魔法が使えたら、どんだけ良かったか。聖女にも負けないで、オズをあんなにボロボロにする事も、アッシュ達に迷惑をかける事も無かった。――教えてください、どうやったら管が無くなった私でも魔法が使えますか?」


 光が失っている。漆黒に塗りつぶした瞳がパルジファルを見つめ、涙が頬を伝う。


「そ、それは――、」

「知らないのなら、軽率に言わないで下さい。馬鹿にする言葉を言わないで下さい。いいえ、馬鹿にしますよね! だって、使えない奴は恥ずかしい存在なんですから。」

「ち、違うよ! 馬鹿になんて――、」


 してます。きっぱりと冷たい声で言い放つ。

 事情聴取の話は何処かへ行く。話が逸れてしまっている事を直す人は何処にもいない。


「生きているもん勝ちなんですよ。この世は。魔法があっても、死んでいる人はいる。魔法があるのに、死んでるんですよ? そっちの人は馬鹿にはしないんですか? ここには魔法が無くとも生きている人間がいるっていうのに。」

「……。」

「ご、ごめん……。」


 魔法があれば、生存率が上がる。それだけだ。死ぬときは呆気なく死ぬ。どんなに凄腕の魔術師でも、無魔でも。

 皮肉を含めた言葉を言う。張り付けた笑顔の中には苦い色が染み付いている。

 謝ったのはボールスだった。パルジファルという男は、自分の非に対して謝る程のプライドはないと頭に書き入れる。

 赤毛の男が言う事も一理ある。イルとパルジファル、両方が言う言葉にどちらが正しいという事は無い。

 それでもこの男に対して溜まったフラストレーションは、決壊した。耐えて、終わらせようとしたのが、出来なかった。涙も零れた。


「……武器が無かった為に反撃できず、この男に半殺しになりました。それからオズ達が助けに来て、色々あって男と戦う事になりました。思わぬ邪魔が入り、オズの魔法で氷河期になりました。以上です。」

「あ、ちょっと、」

「イル・アンブロシウス。」

「何ですか?」

「魔法も使えず、それでもボロボロになって戦う目的は何だ? 魔術師を目指したいのはどうしてだ。」


 リンの隣の写真を指差しながら、これ以上は話す事がない様にした。そのつもりでいたのが、パルジファルの問いに黒い目を向ける。

 どうして? それを何故、馬鹿にする男に答えなければならない。答えを聞いた所で、魔法が至極だと考える人間に満足感を与える訳ではない。

 解からせたいから言うのではない。知って欲しいから答えるのではない。

 只、自分の中で変わらない理由をもう一度整理したいだけだ。


「生きる為です。私を殺そうとする人間がこの世にいるから、その人間に負けない様に、勝つ為に。誰かが守ってくれるんじゃ遅いんです。それを待っていたら私は死ぬ。同じ死ぬなら、自分を守る行動をしたい。あわよくば、他人も守れるように。魔術師になるのは、私を、オズを、襲う人間に一歩でも近づく為に正体を、秘密を知る為に目指しているんです。魔術師に憧れが無いとは言いませんが、他の職業では駄目なんです。魔術師でなければ、駄目なんです。」


 だから、マーリンが張った結界の効果が続く森の中から出て来た。それこそ命の危険性が高まるとしても。

 周りに迷惑を掛けるのは承知している。今回の件がそうだ。


(強くならないと……。)


 危ないから、それで森の中にいたとしても危険である事は変わらない。

 ひどく神妙な顔でパルジファルを見つめる。橙色の瞳にイルの顔が映るのが解る。


「……そうか。」


 それ以上は何も言われる事は無かった。加えて、事情聴取も終わる。

 部屋を出る時、ボールスが深く頭を下げた。相方が悪かった、と。その真剣で真面目な顔にイルは涙が出そうだった。

 殆どが馬鹿にする世界で、この青年はイルが苦しんでいる事を理解した上で尊重してくれている。それが酷く優しく、イルの心に残った。


――――――


 事情聴取から数日が経った。

 あれからも変わらず病院の敷地内にある訓練場で、オズと手合わせをする。始めは素手での打ち合い。体が温まった所でオズが魔法で出す木刀で試合。もしくは素振りをする。

 右膝の違和感は無く、体中の痛みは筋肉痛だけだ。


「退院も良いな、しても。」

「え、本当ですか!?」


 損傷部位を視診し、触診を含めて結論を出す。退院の許可が下りた事に、イルは花が咲いた様な笑顔をモーガンに向ける。

 オズは少し前に退院を果たした。お見舞いの時間になると、彼は必ずイルの元へと訪れる。それは本人達の知らない所で、院内で少しだけ有名になっていた。


「ああ。まあ、森の方へ帰るだろうが、変わらずに鍛えろよ? 休むのも大事だが、いい加減アッシュを使った戦いに対しての勘を取り戻さないとだろ。」

「……確かに。」

「ここでやられたら相手はオズだから、病院が吹き飛ぶ。」

「確かに!!」


 ゲールと簡潔に話をし、了解したのか彼女は部屋から出て行く。


「アッシュ達は来るか?」

「多分。今日も来ると思われます。」

「じゃあ、その時に書類のサインを貰おう。あ、それと――、」


 お前に面会の希望をする人達がいる。優しく伝えられるものに首を軽く傾げる。わざわざ誰かの許可を取らないといけないのだろうか。

 モーガンが廊下へ呼びかける言葉で、イルは納得する。


「リン。」

「え、」


 姿を現したのは、金髪の少女。茶色に近い金色が目に映り、それから全身を目に入れる。彼女の顔は申し訳なさそうな弱々しいものだった。

 怪我の一つも無く、綺麗な白いワンピースがリンに凄く似合っていた。

 部屋に入る事を戸惑い、扉の前で一歩が出せない。

 当たり前だ。自分の所為でイルは大怪我を負った。巻き込まなければ、二週間も寝込む事のきっかけを作る事は無かった。その負い目がリンの足を止める。

 イルの前に、その黒色の瞳に姿を映さない様にする。


「申し訳ないですが、そんな所で止まってしまうと……つっかえてしまいます。」

「え、あの! ごめんなさい!!」


 ワンピースを握りしめ、戸惑っているリンの背後から新たに人が現れる。

 白髪交じりの美しい黒髪に、この世界では珍しい着物を着た妙齢の女性。入試の前の映像に映っていた校長の姿であった。

 リンが後ろの人に気が付き、頭を下げる。それを妙齢の女性は微笑んで見ていた。


「貴方もイルさんに用があったのね。さあ、入りましょ?」

「あの、あの!」


 女性はリンの背中を押しつつ、個室へと入室して来る。戸惑いつつ、涙目になりながらもリンはされるがままにイルの前に立った。


「お久しぶり! リンちゃん。」

「お、お久しぶり……です。」


 笑顔で挨拶をする。それでもリンの目には、依然として涙が浮かんでいる。 

 これ以上は何を言えば良いのかイルには分からない。会話は無くなる。

 静寂が部屋を包むが、その時間は刹那。すぐに人の声が部屋を覆った。


「初めまして。マーリン・アンブロシウスのお嬢さんであるイル・アンブロシウスさん。」

「は、初めまして。」

「私はサクラバ・ヤチヨと申します。翰林院の校長を務めさせて頂いております。」


 丁寧なお辞儀がされ、柔らかい口調と共にヤチヨの名が乗せられる。イルは釣られて頭を下げた。

 数日前の聴取の時とは違う、心地の良い緊張感。礼儀を蔑ろには出来ない、してはいけない雰囲気が漂う。

 顔を上げたヤチヨは微笑みを浮かべていた。


「今日は貴方に謝罪と用があり、訪ねた次第です。」

「私に、ですか?」


 ヤチヨは一つ頷く。真剣に聞かねばならないと、イルは慌ててベッドから出ようとする。だが、それはモーガンに止められ、彼女の言葉をベッドの上で聞く事となった。

 モーガンはリンとヤチヨへ椅子を用意し、座る様に促す。二人が座った所で話を進める。


「貴方を危険な目に合わせて、申し訳ありませんでした。」

「え……?」


 深々と下がるヤチヨの頭。彼女の言葉に、イルの頭には疑問符が浮かぶ。


「学校は全て私が管轄です。侵入者を許し、且つ騎士団ではなく、オズ・アンブロシウスを行かせた事。その全ては私の責任です。」


 本当に申し訳ありませんでした。もう一度、彼女の頭が下がる。


(何処も悪くない……。)


 いや、侵入者を許した事は謝罪しなければいけない事だ。学校にいた時に撃退が出来ていれば、ここまでの大きな事件にはならなかった。

 学校の教師達が優先するのは、生徒達の命だ。戦うのはその次。

 だが、誰もその先の未来が明確に分かる訳が無い。


「来てくれたのがオズで良かったです。オズとアッシュが助けに行く事を許して下さって、ありがとうございました。」


 こうべを垂れたのは、イルだった。

 オズが来なければ、動けるまでに更に時間がかかった。アッシュがいなければ、戦おうとは思えなかった。オズが来たから聖女が現れてしまったが。

 騎士団が着いた頃には、イルの命の灯火は吹き消えるほどに小さくなっていただろう。イルが着ている赤色の羽織が生命線である事を誰もが知らないから、破壊尽くされて死んでいた。その可能性が大いに考えられた。


「いえ、私のせいです! 父さんを止めなかったから、こんな事になってしまった。助けを求めなかったから……。」

「リンちゃんは悪くない。だって、暴力が支配する中、誰かに相談するとか、助けを求める方が怖いと思う。自分を責めないでよ! リンちゃんが助けに来てくれたお陰で、私は生きてるんだから。」


 少女に対して、イルは怨みは無かった。寧ろ、助かった要因の一つとして考えられる程に感謝でいっぱいだった。

 満面な笑みを浮かべる。

 今回は災厄と言わざるおえない相手が来た事が、予想外であった。来ていなければ、オズに気が付かなければ、犯人リンの父親が死ぬ事も無かった。

 ポロポロ、リンの緑色の瞳から涙が溢れる。堪えていた物が出てきている。

 辛いのはリンの方だ。

 祖母がマッチの素材になっている事実、それ故に化け物になってしまった。その犯人である父親は狂酔していた存在にヘラヘラした笑みを浮かべて殺され、化け物とされ、自分を殺しにくる。

 これの何処が辛くないのだろう。苦しくないのだろう。

 小さな小さな少女は、それを自分の所為だと今も自分を責めている。全て悪いのは自分ではない大人の所為だと言うのに。


「リンちゃん、ありがとう!」


 リンの手を取り、まっすぐに目を見る。

 それが呼び水となり、嗚咽混じりの泣き声にまで進化させてしまう。

 何度も譫言のように紡がれる謝罪。それを一つ一つ聞きながら、相打ちをうつ。いつの間にかイルの手は、リンの頭を撫でていた。


「寛大な心に感謝を。これからは、この様な事が起こらないように努めさせて頂きます。」

「え、あ、はい。」

「もう1つ、宜しいでしょうか?」


 重苦しい空気が軽いものになる。息苦しい感覚が無くなるが、別の緊張感がイルの中で鼓動する。

 そうだ。校長は、謝罪だけでなく、他にも用がある。それを思い出して、ヤチヨへと体を向ける。

 ヤチヨは軽く息を吸うと、イルに対して問いた。


「貴方はどうして、翰林院に入りたいのですか? 魔術師を目指したいのですか?」


 数日前にも聞かれた。驚きのあまり、ポロッと口から出そうになった。だが、この人はイルの理由を知らない。話していないのだから、聞かれるのは当たり前だ。

 ましてや、面接を受ける事無く誘拐されている。彼女の温情の元で、擬似的な面接をするというのだろう。

 鼓動が早くなる。スラスラと言う為に、理由を頭の中で組み立てる。だが、声が出ず。

 彼女は安心感を与える為か微笑みをイルへと向けた。


「あの時、白い大きな犬も一緒にいたと思います。私は彼の目から貴方方を見守っていました。……魔法が使えない体で、よく頑張りました。」


 頑張りました。予想外の言葉にイルは声を呑む。


「普通は、魔法の力があるから戦えます。ええ、貴方の目には魔法が宿っていますが、それだけでは戦えない。戦う武器にはなれない。ですが、貴方は魔法ではない武器で立ち向かった。それは凄く勇気がいる事で、怖い事です。だから、私は凄いと思うのです。同時に、不思議に思うのです。」


──どうして、そこまでするのか。


「きっと、この不思議に思う事の答えが翰林院に入学したい、並びに魔術師になりたい理由にも繋がるのかと思いました。……どうでしょうか?」


 私の推論はあっていますか? と聞きたいのだろう。

 妙齢の女性は自分の言葉を、思いを馬鹿にはしない。生真面目な顔で聞いてくれる。彼女から醸し出される空気がイルへと語る。

 意を決して、口を開いた。馬鹿にすることなく、真剣な目で聞いてくれる人に真摯に向き合う為に。


「生きる為です。私には魔力の管が後天的に無くなりました。ですが、そのお陰で生きていますし、それでも生き続けるつもりでいます。ですが……生き続ける為には障害が必ずある。だから、それを超える為に私は魔法に代わる武器を手にしたんです。」


 相打ちをうって、話を聞いてくれる。それが心地よくて、イルの口は更に進む。


「それでも、魔法がないと異常だと言われる。魔法が無ければ、結局は紙の様に脆い。翰林院に通いたいのは、魔法と同じぐらいに私を守れる方法を見つけたいのです。学校なら、様々な人がいる。どうにかする方法を知っている人に巡り会えるのかもしれない。……魔術師になりたいのは、魔術師になれば、私の生きる事を阻む障害に近づけると思ったからです。」


 魔法が使えないから、魔術師にはなれない。宿っていたとしても、それを認められないのなら、魔法ではない。

 なりたいと、のたまった所でなる為の条件を既に充たしていない。矛盾も良い所だ。

 それでもならなければいけない。聖女、マーリンの事を知る為には、魔術師でなければならない。クヌガの外を越え、別の陸まで行く許可証となり、身の危険を感じた時に魔法の使用許可となる魔術師ジョブが必要だ。

 無ければ、ずっと森の中で襲われる恐怖と過ごさなければならない。命を失う痛さに、怯えていなければならない。


(そんなのは……嫌だ。)


 鼻の奥が痛くなる。気持ちが高ぶり、いつしか涙ぐんでしまう。泣く場面ではないのに、そんな事は関係ないと涙は姿を現す。


「以上が、私が翰林院に通いたい理由です。」

「そうですか……。」


 ヤチヨは口を閉じ、言葉を発しなくなった。今までのイルの言葉を受け、鑑みている。

 どんな事を言われるのだろう。入試は既に終わっている。これから合否についてを話し合う可能性があるが、とうに合否は決まっている。

 入学試験は、その人が入学するのに資格が値するかを見る為のもの。条件を満たす場合や、一定の点数が合格として線引きがされる。翰林院の合否の線引きが何処になるのかは、誰にも分らない。

 イル・アンブロシウスは学校へ通えない。決定事項だ。

 言うも愚かなはっきりした事。言われると解っているからこそ、イルは顔を伏せて言われるのを待つ。


「イルさん、顔を上げてくださいませんか?」


 穏やかな声に顔を上げる。

 優しい手がイルの顔を包み、眼を見つめてくる。ヤチヨの黒い瞳にイルの顔がくっきりと映っているのが解る程に、二人の距離は近かった。


「今一度、私に千里眼貴方の目を見せてくださいませんか?」

「え?」


 魔法道具の類だと、疑わないのだろうか? 魔法だと出した所で、信じられる筈がない。戸惑いの気持ちはあるまま、言われるがままに千里眼を発動する。

 黒い色が赤く染まる。黒い瞳孔を残したまま、虹彩は全て真っ赤に染まる。


(あ、外にオズがいる。アッシュも一緒だ。)


 不意に千里眼は病室の外、廊下をイルに見せる。そこには廊下の壁に体を預けているオズと、その隣で立っているアッシュの姿がある。


「何か見えましたね?」


 今。図星をつかれる言葉に肩が大きく揺れる。

 嘘ではない本当の事だ。素直に二人が廊下にいる事をヤチヨへ伝える。

 壁という障害物があるのに、イルの目は二人の人間の姿を捉えている。この事実にヤチヨはほくそ笑む。


千里眼貴方の目は本物ね。」

「え、」

「千里眼と魔術道具”コンタクトレンズ”は遠くを見る事に対しては同じです。その能力は同じですが、決定的に違うものがあります。」

「それは――、」

「コンタクトレンズはそれだけです。千里眼はどんな障害すらも関係なく使用者に全てを見せます。使用者によっては過去も未来も、形となってないモノすらも見させてくれる。しっかりとした魔法です。」

(そうだよね。それが千里眼だ。向こうの世界でゲームや漫画、アニメで散々見てきた能力だ。)


 それでも魔法じゃないという人間がいる。嘘だと決めつける人間がいる。誰かが魔法ではないという反面、魔法だと断言してくれる人がいる。

 ヤチヨは微笑みながら手をイルから離す。


「だから、貴方は翰林院に入学できます。魔術師になれますよ。」

「え、ですが、入試……、」

「あれは、その人の現状を見る為のものです。現状を知らなければ、適切な教えは出来ないでしょ? 勿論、落とす事はあります。カンニングをした、魔力の節約で魔法と組み合わせる事無く、道具だけを使用したという人は、残念ですが来年という事になります。道具を使用しただけで落とす事はしませんよ! 魔法さえ使えている事が分かれば、後は学ぶだけ。」


――翰林院を治める校長として、イル・アンブロシウス、オズ・アンブロシウス、リン。三名の入学を許可いたします。


「え……。」


 凛とした声で告げられる台詞に、イルの思考は停止した。

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