第三話

 目がゆっくりと開く。

 イルが瞼を開けた時、彼女の視覚を覆ったのは黒一色だった。


「黒!? 何コレ?」


 縦と横が解らない。奥行きも解らない。自分が立っているのか、宙に浮いているのかも定かじゃない。一応は足が地面と接している感覚はする。

 黒一色、暗い筈なのに姿がはっきりと判る。試しに見る両手を、鮮明に明確に色と一緒に認知させる。

 千里眼は使っていない。とイルは思っていたが、床だと思われる足元が波を打つ。

 濁っていない、黒色で映さない筈の物が鏡の様にイルの姿を見せる。色も映ってる。


「え、目が赤くなってる……。」


 床に映ったイルの瞳は黒色では無く、赤色をしていた。千里眼を使う時に変わる色、詳しく見る為にイルはしゃがむ。

 片膝をつけば、動く際に広がった波が更に大きく波紋を描く。

 何故、自分の意志に関係なく千里眼が使われている? 目的は解らないが、勝手な自動発動のお陰で暗い視界となる空間でも、明るい所にいるのと同様な見え方になっている。

 それでも上下左右、縦、横、奥行きが明確ではない事は変化しない。

 イルは寝ていた筈だ。ベッドの上の筈なのに、どうして暗闇の中にいる? 静かに揺らめく膝を置いた場所でまじまじと顔を見つめる。

 水面の様なものは何処にでもいる少女の顔を映す。特別、可愛いとも美人とも言えないが愛嬌のある顔。向こうの世界にいた時よりも幼くなった顔。

 頬に手を伸ばし、感触を確かめる。確かな柔らかさや、触ってる感覚がある。痛みを確かめる為に触れた手を頬を抓むめる様に変える。

 人差し指と親指が頬を抓む。その前に、水面が大きく揺れる。

 イルの背後に人がいた。いつの間にか、黒い水面にも映っていた。

 波紋を描いてくれたお陰で、はっきりとした像になっていない。それでも背後の人間はイルの首を狙っている。首を締める為に手を伸ばしている。

 命の危機を感じた。咄嗟に振り向き、後ろへと跳ねて距離を取る。


「誰……?」


 背後から目の前へと、イルが移動した事により変わる。

 体勢を立て直しながら、その人間を観察する。

 金色の髪の男。白色の鎧を着ていて、長い前髪が顔を見させない。セミロングの髪が、イルに対して伸ばした手が下ろされるのと同時に揺れる。

 ゆらりゆらりと、男は顔を伏せて不気味に揺れる。怖い。暗い場所に居るだけでもイルの心臓は恐怖で早く拍動を打っている。突然の人の登場に、心臓が飛び出てしまう程に驚きと恐怖を感じている。

 怖い。逃げたい。でも、逃げれる場所がない。走った所でどうなるのか解らない。それが更に拍車をかける。


「誰ですか!?」


 虚勢を張る為に大きな声で問いかける。声の震えている事が、嫌でも気が付いてしまう。

 襲われたとしても対処出来る様に、構えの形をとる。だが、足は後退ってしまう。

 赤い瞳で恐る恐る睨む。注視して観察する。

 長い前髪から薄っすらと覗く口が笑う。笑っている。喉の奥で声を殺す様に笑っている。


(何コレ……キモイ……。)


 得体の知れないモノへの恐ろしさに、気持ちの悪さが上乗せされた。

 嫌な汗が滲み始めていると、男が遂に顔を上げた。

 金色の隙間から、濁っている青色が見える。それが普通のであれば良かった。男の目は、白目が黒色の反転目だった。

 騎士の様な男は細身の剣を手に持つ。そして、剣先を水面に擦らせながら歩み寄ってくる。


「無様に負けて、いい気味だな。それで、よもや私に耐えられた人間だと?」


 笑わせるな!剣を水面の上を走らせる。刃が下から上へと軌跡を描き、斬撃を繰り出してくる。地面と思しきものは本当の水面じゃない。だから、水として飛んでくる事は無い。

 飛んでくるのは風の刃だった。

 千里眼で捉えるのがやっとな斬撃を、髪の毛が切られそうなギリギリの所を半身を引いて躱す。反射的な回避のお陰で、怪我を負う事は無かった。


「その体を私に渡せ!あの女を殺す。この様な無様な状態へと堕としたあの女をこの手で殺す。」


 反転目が憎々しいと語っている。男の顔は、怒りが露わになっているのか鬼の形相だ。

 騎士の様な男は水面を蹴ってイルへと攻撃をしてくる。両手で握った剣が振り下ろされていく。

 刃が襲って来る度にイルは躱す。躱す事しか出来ない。

 この空間にはアッシュという武器がいない。いなして、攻撃に転じる為の物がない。

 紙一重で見極めていくしかない。怪我をしない様に、二度も床に臥せて迷惑を掛けない様に。

 男は手慣れている。戦いというモノを知っている。剣の使い方を熟知している。

 隙が一つもない。反撃の為の機会がない。

 首へと届きそうな剣先をバク転をして躱す。地面についた手によって、大きな波紋が生まれる。


「大人しくしろ。何故、避ける? そこで止まっていろ。殺せないだろ。」

「嫌ですよ!止まれって言われて、止まる人間はいませんよ!!」


 命を狙われているのであれば。自分の命が大事だ。だったら、助かる方を選ぶのは摂理だ。


「というか、誰ですか!?いい加減にこの質問に答えてください!!」


 イルが因縁のある布の覆面をした女にやられた――無様にやられた事を知っている。何故、知っている? 疑問は山ほどある。

 男は再度、水面に剣先を擦らせる。水面に線を描き、波紋が出来ていく。


「貴様には関係ない。」

「じゃあ、何で攻撃してくるんですか!?私には戦う意思はないです。」


 否、戦えない。得物を持った相手に拳や足だけで戦うのは慣れない。怖さが先を行く。足が無くなりそうで、手を失いそうで。管が無くなった事よりも、そっちの喪失の方が怖い。


「貴様の体を手に入れる為だ。私の体はとうに失われた。あの女の所為で、私は、僕は――――、」


 突然、男は絶叫を始める。劈く様な叫び声が黒一色の空間に響く。

 手に持った細身の剣を放し、金色の髪を掻きむしり始める。イルへと近づいていた足は歩みを止める。

 彼女は思わず耳を両手で塞いだ。耳が壊れそうな程の大音量に、耐えれそうになかった。

 金色の髪の毛を男は引っ張る。狂った様なその姿は、イルに警戒心を作らせる。気持ち悪い、怖い、可笑しい。嫌悪と似て非なる感情がグルグルとイルの中で回る。

 反転目がイルを見る。青色の虹彩が黒髪の少女を睨む。


「体が無くなった。肉体が欲しい。女の体でも良い。僕に耐えられたのであれば、どんな物でも良い。を殺せる体が欲しい。」


 床が揺れる。振動に対して立っていられずに、イルは足を縺れさせて尻餅をつく。

 早く立たなければならない。彼女へと迫ってくる攻撃は目の前だ。男の足元から透明な黒色の触手が幾重もイルを襲う。

 這ってでも良い。四つ這いでも良い。勘が自分自身に教える。この触手に捕まってしまえば、終わりだ。と。

 消えない千里眼のお陰で、触手の速度は遅く感じる。まだ、男の剣の方が速度は何十倍もある。それでも、体は恐怖を感じて上手く動かない。目前で何とか躱せているだけだ。

 一つを躱す。二つを潜る。三つをその場でバク転で躱す。だが、その三つ目で両手首を触手に拘束された。

 触手はイルを背中から叩きつける。痛みと衝撃で、内臓が飛び出そうになる。

 この空間で痛覚がある。確かめたかった事が知れたのは有難い事だが、今はそれ所じゃない。良かったと安堵しているとは以ての外だ。

 黒色の触手に両手首を掴まれたまま、宙づりにされる。

 男の足元から、また大量の触手が生まれる。イルに目掛けて飛ばされる。

 絶体絶命だ。手首を捩じって、身を捩って、触手から逃れようと藻掻けど、硬い手錠の様に彼女を拘束する。逃れる事はイルの力では不可能であった。

 目前に迫る触手。それに対して諦めも出て来た彼女は目を瞑る。反射だった。


「我が王よ。……いいや、元王様か。」


 聞き覚えのある声がイルの耳に届く。ゆっくりと目を開ける。


「え……マーリン……?」


 赤い瞳が見たのは、茶髪の男の背中だった。長い髪を一つに縛り、イルを護る様に立つその姿は、イルにとって見覚えがとてもあるモノだった。

 男の名前を口にすれば、その声に反応して顔だけをイルに向ける。


「やあ! イル。今、解放するから。」


 紫色の瞳を細めて微笑む。マーリンらしき男は手にアッシュが剣になった時と同じ形の剣を手に持ち、その剣でイルを拘束する触手を切り伏せる。

 解放され、自由になった。宙に浮いている状態だったが、しっかりと受け身をとって地面へ着地する。


「何で……死んだじゃん……。」


 死んだ人がいる。生きていては可笑しい人がいる。それだけでこの黒一色の世界は夢の中だと考えてしまう。とびっきりの悪夢な。

 驚いている。嬉しい。この世界で育てる人がいなければ生きていなかった彼女を育てた親だ。愛情を持って、注いでくれた人を自分の空想が生んだとしてももう一度会えた事がイルを歓喜の中に包む。絶対的な安心感を芽吹かせる。

 マーリンはイルの呟きに近い言葉には答えず、対峙する男に向き合う。


「マーリン!! 邪魔をするなああああああああああああああああああ!!」

「邪魔をするよ! キミの事はとても残念だと思っている。だが、ここでキミが彼女の体を奪ったとして、キミはもう一度あの子に蹂躙されるだけだよ?」

「黙れ!!!」

「さあ、ここは僕が抑えるから、イルは目を覚ますんだ!」

「え、え?」

「さあ、早く! 」


 でないと、に体を盗られる。とは、きっと目の前の男の事だ。反転目の男。騎士の様な風貌で、金色の綺麗な髪の筈がくすんだ色に見える男。

 マーリンは剣を逆手に持ちながら、襲い掛かってくる触手をさばいていく。その傍らで、呆然と立つ事しか出来ないでいるイルの肩を優しく押す。

 そうすれば、いとも簡単にイルの体は倒れていく。耐えれる筈の力なのに、優しく軽く押されている筈なのに、体は容易に横に倒れていく。

 何故か、足元の感覚がなくなる。足底が床に着いているという明確な感覚が消失する。在るのは浮遊感。体が落ちていく落下感。いきなり高い所から落とされた様な、心臓が持ち上げられる感覚と痛みを感じる。まるで水の中にいる様で、黒い液体の様なものがイルの体に絡まって落としていく。

 イルは手を伸ばす。マーリンを求めるかのように手を伸ばす。

 だが、その手は何も掴む事無く、空気を通す。黒い液体に触れるだけだ。

 マーリンは戦っていた。白いローブを翻して、細身の剣で触手を切り落としている。

 落ち続けるイルへと、マーリンは一瞬だけ顔を向けた。千里眼がマーリンの口元を映す。口が動いている──何かをイルに向けて言っている。


「ねえ! 何言ってるの!? 分かんないよ!!!」


 ねえ! マーリン!! 話している内容を知りたくて、声をあげるがその声はマーリンに届かない。耳に入らない程にイルの体は落ちていた。


「僕はキミの事を見守っているよ。大丈夫、キミは強いよ。強いから、オズの手を握りしめて、オズを繋ぎ止めて。――キミにしか出来ない事だから。」


――――――


 心臓が収縮した感覚がする。キューっと軽く締められる苦しさに、息が乱れた状態でイルは瞼を開ける。

 外は朝日が昇ってきたのか、明るくなっている。苦しんでいる間に夜は更けていた。


「凄い、悪夢……。」


 まだ、殺される様な夢じゃなくて良かった。何かに食べられたり、追われる様な悪夢とは違う。それでも小説を書く為のネタにはなる様な夢だ。そんな事を瞬時に思ってしまう事にイルは呆れる。

 悪夢について考察する前に、どうしても見過ごせない人を見た。その人の姿を、笑顔を、声さえも現実だと語る様に鮮明に思い出させる。


「何で、マーリンが夢に……。」


 完全に目が覚めた頭で考える。

 求めてしまったのだろうか。夢の中であるのに、自分が殺されるのかもしれないという恐怖が、マーリンの形を創ったのだろう。

 少しは触れた。会話はした。受け答えは出来ていた。生きているかのように、その人間は確かにイルの前に現れた。質量をあれは持っていた。

 嬉しいのか、理解できないからか、イルの心の中は混乱を極めている。


(アーサー王物語のマーリンじゃないんだから……。)


 生きている筈がない。しっかりと死んでいる事を見てしまった。冷たい体を触った。呆気なく、簡単に、イルとオズを救って死んだとアッシュが話したのを淡々と聞いた。だから、可笑しいのだ。例え、痛覚があり、触覚も刺激が入る不思議な空間の中であったとしても。

 十年、マーリンと過ごした。それでも彼の事を知らない事は沢山ある。

 何処の出身で、幾つだったのか知らない。イルの目からは人間属に見えるが、本当に人間属なのか判らない。どうしてオズを探していたのか知らない。何故、他の誰でもなくオズだったのかも知らない。イルを退行までさせて、イルがいた世界から呼んだ理由を、聖女と呼ばれたあの女の正体を明かしてはくれなかった。

 何もかも解らない。解らない人間がマーリンだった。解らないままで良い、それがマーリンだった。

 頭を振って、いい加減マーリンの事は置いておくことにする。顔は沈んだままだ。

 病室のベッドから出て、イルは動きやすい服装へと着替える。露出が多いものは好まない。スカートは足に対して風が良く通るから苦手だ。激しく動けば、下着が見えてしまうのがどうしても気に食わない。だからずっとズボンを着用する。


「イル。」


 着替え終わった頃、個室のイルの病室の扉が開く。扉の前に立っていたのは、同じ様に動きやすい服を着たオズだった。

 イルが目を覚まして三日が経つ。

 一日目は、念の為という事でベッドの上で過ごし、本格的に動き出したのは二日目からだった。実質、ベッドから出るのは二日目である。

 オズがイルの元へと訪ねて来たのは、機能の回復訓練の誘いだ。目が覚めたのが速かったオズは、既に体の調子は良くなっている。落ちた筋力も体力も、回復を遂げている。


「君、扉を叩いてから開けろよ……。一応は乙女がいるんだぞ!! しかも着替えていた所!」

「着替え終わってるじゃん。」

「たまたまな!? で、今日も私のリハビリを手伝ってくれるの?」

「リハビリ? ああ、機能回復訓練の事か。まあ、うん。」

「どうもありがとう。じゃあ、行こう。その前に朝ごはんだけど。」

「ヘイヘイ。行くぞ。……たく、お前って、よく分かんねぇ言葉言うよな。向こうの世界から来たからか?」

「まあ、そうかもね。私的には機能回復訓練って言う方が馴染みが無いからさ。それを含めてリハビリ――リハビリテーション。人の尊厳を回復する、人間が人間らしい生活を出来る様にする事。」

「あっそ。」


 赤いパーカーの様な羽織に腕を通す。急いで扉のまで待つオズの元へと駆け寄る。

 素っ気なく返す彼はイルが来るのを見越してから、歩き始めた。イルはその隣で合わせてくれる歩幅と同じ歩幅で歩く。

 二人が目指すのは病院内の患者用の食事スペースだ。

 イルの顔には沈んだそれはない。自然と心配させない様に、笑顔が出ていた。


――――――


 食事後の二人の姿は病院の外にある訓練場であった。

 準備体操を終えた後、すぐに肉体戦での手合わせを始める。

 イルの目前を風が掠めていく。彼女に目掛けてオズの回し蹴りが来る。


(あぶなっ!?)


 それを千里眼を発動させ、バク転で回避する。ゆっくりに見える蹴りは容易にイルを躱させる。

 体勢を整えると、今度はイルが攻撃に転じる。

 低くなった姿勢から走り出す。地面を強く蹴り、オズに向けてその距離を縮める。

 足を大きく上に上げる。イルの踵はオズに目掛けて振り下ろされた。それをオズは腕受け止める。


「やるじゃん!」

「お前もな。力、戻ってきてるんじゃねぇか?」

「いいや、全然。まだ。」


 オズが腕を弾いた事で、イルは体勢を後ろへと崩す。重心が後ろへと片足で体を支えていた為に流れていくが、踵落としをした方の足を後ろへと置いた事で体勢はそれ以上崩れる事は無くなった。

 間髪入れずにイルは攻撃を仕掛ける。

 距離をまた縮め、少しだけ飛び上がる。それから左へと体を捻らせ、右足で蹴りを繰り出す。

 オズは間一髪で腕で防御をするが、イルは瞬時に右足を引っ込める。それから続いて踵落としの様な回し蹴りを左足で繰り出した。

 その威力は、先に出した右足での蹴りの際に捻った体の遠心力が組み合わさっている。単純な脚力だけではない。

 また腕でガードされる。そう考え、次の攻撃の手を考えていたが、手合わせ相手は別のモノでイルの蹴りを防御した。

 足が冷たい。そう感じた時には、左足は氷で止められていた。分厚い氷で足が凍っており、身動きが取れなくなっていた。


「ちょっと!!? 私と手合せする時、武器を持っている時以外は魔法は使用しない約束だろ!!」

「あ、悪い。」

「絶対に悪いと思ってない!」

「しゃーねぇだろ。出ちまったもんは。」

「しゃーなくない! 君の負けじゃあ!」

「ああ?」

「やんのか?? 木刀出せ! 私の分!! 本気の手合せじゃああああああああああ!!!」

「上等だ!!」


 氷で左足が凍ったまま、イルとオズは睨みあう。既に一触即発な二人の耳に軽い音が聞こえる。

 パンパン――手を叩く音。二人を落ち着かせる為に発せられる音は、二人の注目を集める。音の発信者は二人を見て溜息を吐いていた。


「来てみたら……何故、喧嘩が始まるんですか?」

「アッシュ!」

「来たのかよ。」

「来ますよ。オズ、すぐに魔法を解いてください。イル、貴方は落ち着きなさい。」


 二人の保護者なアッシュが訓練場に姿を現した。灰色の目の下は、隈の無い健康的な色へと変化をしている。

 逆らう事が出来ない、逆らいたくない存在が来た事で興奮状態になっていた二人は冷静になっていく。

 オズは大きく一回、手を叩き、氷を粉々にして氷からイルを解放する。冷やされてしまった左足は当然冷たく、触れた手の感覚が伝わらない。

 怒りこそは無いが、大きな疲労感がイルを襲う。


「調子はどうですか?」

「今日も良いよ。モーガン先生のお陰で右膝も調子が良いし、でも、すぐに疲れる。」

「体力が低下してますからね……。」

「走り込みとか、森の中で駆け回ったりした方が良いかな?」

「そうですね。オズはどうですか?」

「まあまあ。」

「そうですか。オズは完全に戻ったそうで、安心します。」


 休憩しますか? アッシュは手に持つ荷物を上に上げる。透明な袋の中という訳では無い為、千里眼でイルは確かめる。

 袋の中は飲み物が入った水筒が入っていた。これはアッシュから手合わせをする二人に対しての差し入れだった。他にはタオルも入っている。

 灰色の彼は二人をベンチまで誘導する。大きな木の下にあるベンチは、青々と茂る葉っぱのお陰で日陰になっている。

 イルとオズが座った事を確認すると、袋から水筒を取り出す。コップに取り分けたお茶を二人へと向けた。


「ありがとう!」

「有難う。」

「いいえ。」


 風が優しく流れていく。

 口に入れたお茶――麦の茶は冷たく、手合わせで高くなった体温を落ち着かせる。上がっていた息が落ち着いた事により、自然と口から溜息が零れる。

 考える暇が無かった状態から考える余裕が出来た今。どうしても、今朝見た悪夢が思い出される。だが、その記憶は薄くぼやけ始めている。

 マーリンの印象は強かった為に覚えている。しかし、金髪の白い騎士は存在の縁が揺らめいて、明確から程遠くなっている。

 忘れてはいけない。だからイルは口に出した。勿論、オズとアッシュに聞いて欲しくて。


「朝さ、変な夢見た。」

「どうしたんですか? 急に。」

「いや、口に出さないとさ、正夢になりそうで……。」


 深刻という訳ではないが、どうしてか深刻そうになる。

 アッシュは心配そうに隣に座るイルを見る。オズは興味がなさそうにお茶を飲んでいる。


「不思議な悪夢でさ、一面黒い世界に私がいるんだよ。縦も横も解らなくて、宙にいるのかもわからない場所にさ。」


 静かに聞いてくれる人達に甘えて続きを話す。


「しかも、千里眼が発動してる。だから私の姿とかはっきり見えてね。」

「勝手にですか?」

「勝手に。私の意思に関係なくね。更に、長髪の金髪の男がいてさ……その人、白い鎧に青色のマントを身に着けてたんだけど、急に私を襲ってきたんだよ! 『私の体を寄越せ!』って、『を殺す為に。』って。」

「それでイルはどうしたんですか?」

「武器はないし、戦う意思は無いって伝えたかな? でも、聞く耳持ってくれなかったし、狂ったようになって、遂には触手みたいなものを飛ばして来るし。」


 思い出すだけで鮮明に、イルの手首を捕まえていた触手の感触も思い出す。ぬめぬめと気持ちが悪かった。顔は苦々しいものになる。


「触手に捕まって、絶体絶命ってなった所で――マーリンが助けてくれた。」

「ブフッ!!!」


 イルが言い終るのと同時か、少し早くにオズは飲んでいたお茶を吹き出した。麦の茶は盛大に、霧よりも大きな粒となって口から飛んで行く。

 右隣が突然咳込み始めた事にイルとアッシュは直ぐにオズを心配する。


「ど、どうした? え、私、何か変な事言った???」

「オズ、タオルです。」


 お茶は食道では無く、気道に入ってしまったか? 慌ててイルはオズの背中を擦る。

 彼女の今までの話に、彼が噴き出す要素があったのか。困惑の表情を浮かべながら、受け取ったタオルで口を拭うオズを見つめる。


「ゴホッゴホッ!……で、その後は何があったんだよ。」


 咳込みも一段落したのか、今まで参加もしなかったオズが話に入って来る。もう大丈夫だと、背中を擦る手を止められる。

 困惑な状態のまま、進められるがままにイルは口を開いた。


「マーリンが私に『早く起きて!』って。体を押されて、落下したら起きた。」

「は?んだよそれ。」

「私だってわっかんないよ! 急に襲われるわ、マーリンが出てくるわ! で……。って言うか、何で噴き出したの?」

「……マーリンが出たから。」

「え、何で????」

「俺も見たから、マーリンの事。」

「は?どういう事???」

「マーリンの事は置いておいて、金髪の白い騎士ですか……。」

「あ、マーリンは置いておくの? 私の夢が創り出したアレだから置いておく??? オズも見てるって言ってるのに???」


 悪夢を見た直後のイルよりもアッシュの方が考え始めている。主にイルの事を襲った白い金髪の騎士についてを。

 イルのツッコミはアッシュに届いていない。真剣な顔に思わず溜息が出てしまう。

 呆れた表情をしていると、アッシュはイルを見た。


「イル、気をつけてください。」

「え、何が?」

「暫くは、その白色の騎士は出て来ないと思います。」


 首を傾げる。灰色のドラゴンの言葉は何かを知っている様子で、断言もしてる。


「白色の騎士の事を夢で見たら、すぐに逃げて下さい。アレに捕まれば、本当に体がアレに盗られます。」

「ちょっと、どういう事? 話が見えないんだけど……そもそも、金髪の白い騎士の事、アッシュ知ってるの?」

「知ってますよ、とても。」


 可笑しな事を言っている訳ではない。それは灰色の瞳が真面目であると語っている事から、イルにも伝わる。


「イルに入れられた心臓の持ち主です。その白色の騎士は。」


 トントン。左胸を人差し指で優しく叩かれる。


「同時にオズに入れられた肝臓の持ち主だった人でもあります。」

「え、待って! それって――、」


 一つ、ある事を思い出す。

 臓器移植をした人が、移植後に好みの変化を訴える症例が見つかっている。術前では好んでいなかったものを、術後では好んでいる。それは臓器を提供した人間の好きだった物であったのだ。

 提供者の趣向や習慣、性格の一部を引き継ぐ――”記憶転位”というモノだ。

 特に心臓や腎臓での移植で多いとされている。

 臓器にもその人間の人格がある。趣味趣向、性格が変わった覚えはイルにはない。だが、夢の中で提供者と会った人もいる。

 まさに体験した事はこれなんだと、確信した。

 しっかりとした記憶転位ではない。だが、イルは心臓の持ち主だった人間と出会う事になった。これも一つの記憶転位だ。

 思えば、移植ではないにしろ心臓を入れられた後、初めて剣を握った筈がしっくりと手に馴染んでいた。戦い方を知っていた。体が知っていた。


「彼は騎士でした。ですが、色々あって魔まで堕ちたそうで、魔王として討伐されました。……あの聖女に。」

「え、」

「聖女は強いものなら良いんでしょう。オズを”神器ジンギ”にする為なら。」


 オズに執着していたのは嫌でも解る。だが、初めてその目的を知った。しかし、知り得た所で更に疑問は生まれる。


「”神器”って――、」


 人差し指でこれ以上の問いは止められる。疑問を吐き出す事をアッシュは許さなかった。

 代わりになのか、動揺を隠しきれないオズが口を開く。


「何で、んな事知ってんだよ……。」


 アッシュはオズへ笑顔を向けた。作っているとありありと解る顔をしている。


「私は、オズが”神器”になる為の実験台になったんです。だから知っている。……オズは大丈夫です。心臓を入れられない限りは、魔王に体を奪われる事は無いです。魔王は剣術も魔力量も尋常ではありませんでしたが、あまり無理は駄目ですよ。」


 イルから手を離し、アッシュは立ち上がる。


「私は一旦、帰ります。これ以上は話さない方が良いですよ。聖女が感知しますから。」


 これ以上の事は話さない。そんな意志を持ったまま、アッシュは帰ってしまった。

 その後の事はイルもオズも覚えていない。

 衝撃の重い話は、その尾で二人を縛り付けていた。手合せをするには集中を害するモノとして、二人を脱力させた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます