第六話

――――――


 女の鼻歌が聞こえる。

 この時も、今自分達がいる所と同じ様に荒れ果て、物が散乱として不衛生な手術室の様な所にいた。

 沢山の生臭い臭いがする。鼻の奥でこびり付いて、鼻での呼吸がしにくくなる。


『ああ、やっと会えたわね。!!』


 私の愛おしい狂おしい騎士様!

 女は、あの時よりも幼い彼の顎を人差し指でいやらしい手付きでなぞっていく。そのなぞられる感覚が気持ち悪く感じるのか、彼は顔を歪めて必死に後退して逃げようとする。彼の声は上ずり、もはや叫びに近い。

 彼が逃げるには気持ちの悪さだけでなく、彼の過去から誰かに触れられる行為自体が駄目であったからという理由もある。


『く、来るなよ!!』

『そんなつれない事を言わないで? 逃げないで! 私、悲しくて泣いてしまうわ。』

『オズ!!!』


 この時のイルにはまだ管があった。だから、女の魔法が作用した。金縛りにあった様に動けなくなっていた。

 口だけは動き、名前を叫ぶ事は出来た。だが、体は指の一つも動かせない。動く事を許されない。


『俺を、ギャラハッドって呼ぶな!!! 誰なんだよ、お前!!!』


 キモイ。遂に彼の口から本音が零れる。

 それでも女は笑う。布のお面の裏側で口角を上げて、笑い声を微かにさせて可笑しそうなものを見て、笑う。


『いいえ! 貴方はでしょ? という名前でしょ? オズって誰? 彼の事? ねえ、そうなの? ちんちくりんな付き人ちゃん?』


 女は幼かったあの時のイルに近づく。座り込んで一切動けない彼女の髪を掴み、力づくで自分と目線を合わせる為に上に向かせる。


『で……貴方はの何? 何で、貴方みたいな子がといるの? 何で? 神様に感謝の言葉や供物をあげたい気分だったのに、一気に地に落とされた気分。神様さえも恨んじゃうわ……。』

『私は、オズの家族だよ!! オズを放してよ!! オズに何する気なの?』

『家族、ね……。こんなちんちくりんな家族がいたかしら? まあ、いいわ! どうせにしか興味ないし。安心しなさい、私がに物騒な事をする訳ないじゃない……彼を傷つけるのではなくて、。』


 明るい声とは裏腹にイルから床へと叩きつける様に手を離し、その後頭部に狙いを定めて細いヒールの付いた靴で踏みつけようと足を上げていた。

 すかさずイルは魔法を発動した。防御系の水属性魔法。彼女を守る様に勢いのある水流がイルを中心にドームを形成する。

 イルが魔法を発動した時、首に着けていたペンダントの青色の石が砕け粉々になる。女の足はイルに届く事なく、ヒールは靴から取れてしまう。それ程までの威力を誇っている魔法だった。


『生意気で、可愛くもない女の子……。ええ、私はですから、神様に愛された聖なる女性ですから、慈悲を持って導いてあげますよ。』


 突き刺さる程に鋭利な声音でイルに話し掛ける。だが、女の言葉の全てが詳しくイルの耳に入っている訳では無かった。

 鋭く、味わった事がない強烈な痛みを左胸に感じる。否、違和感を感じる。

 通過する筈がないのに、左胸の周囲の神経が左胸に何かが入って来た事を脳に告げる。


『え……。』


 それは手だった。女の右手がイルの左胸に侵入していた。服の中では無く、皮膚、筋肉の中にだ。

 口から赤い血が滴る。

 女は左胸にある心臓を探し当てると、それを強く握る。

 感じた事のない痛みがイルを襲い、痛みで叫び声をあげる。このまま心臓が握り潰されるのかと思いきや、女はイルの左胸から手を抜き取る。

 抜いた手を見る目は汚いものを見る目であり、下垂させたままイルの血を床へ滴らせる。

 


『イル……イル!!!!!』

『殺さないわ。いえ、耐えれたら殺さない。ねえ、だから楽しみましょう?』


――楽しくて、可笑しい、地獄へ導いてあげる。


――――――


 あの時の光景が甦る。左胸の痛みも甦る。目の前のあの女を見て、五年前の出来事が鮮明に思い出される。

 ぽっかり空いた左胸の穴は塞がっている。そんな傷など無かったのかの様に、皮膚は綺麗な状態だ。

 それでも痛いのだ。抉られて、引っ張り出され、握られる。その全てが痛覚を強く刺激して、今まで味わった事のない痛みを再びイルに浴びせている。例え、過去の痛みだったとしても。

 イルにとって、リンの泣き声は背景になっていた。


「どうしてを襲ったの? あの魔法が使えなくなっても無様に生き永らえている子供なら良いけど、何でに手を出したの?」

「て、手など出していません!」

「でも、確かにこの目で見たの。貴方に教えた魔法で使い魔にしたアンデットと貴方の魔法が、愛おしい愛おしーいを襲う所を。来て良かった! だって、会えて嬉しいし、守れたのだから。」


 布の面の奥で女は笑う。

 女はずっと変わらない。オズの事を異様に執着している。その様は一人の女性として、一回り以上年下の相手に好意を惜しげも無く見せ付けるのだ。

 気持ち悪く、吐き気がする程に。

 という名前は、オズのだ。だが、オズ本人はその名前が嫌いであった。この名前でいる以上、オズには安寧の幸せというモノはない。

 産まれた時から纏わりつかれた短い呪い。解除が出来ない呪いであった。

 今まさに、その呪いの代表例がいる。


「あん時も言った。俺はギャラハッドじゃねぇ。そんな名前、とっくの昔に捨てた。」

「いいえ、いいえ。貴方は死んでもずっと、ギャラハッドなのよ。私が愛した、愛しているよ。」


 オズはすかさず魔力を回し、いつでも魔法が使える様にする。

 しかし、女は眼中にオズしか入れていない筈なのに、男の元へと行ってしまう。


「さあ、貴方には私の大事なものを壊そうとした罰を与えなければ。」

「せ、聖女様……! お許しを!! 知らなかったのです! 最高の得物が、貴方様の大切な人だったとは知らなかったのです!」

「知らないで、材料にしようとしたのですか?」

「はい! 自己回復までしてしまう程に純度の高い管や魔力を持ったものであれば、最高のモノを貴方様に捧げられる!!」


 空気が変わった。五年前の時にも味わった冷ややかで、悍ましい空気――殺気だ。

 殺気は女が発していた。先程までの人畜無害な雰囲気を漂わせていた空気が、一瞬で変わってしまった。

 そして、血飛沫が上がる。


「え……。」

「あれは私のだ。知るも知らぬも関係ない。手を出した貴方が悪い。悔やむのなら、自分自身の愚かさを悔やみなさい。ですが、貴方は私に心底心酔して下さいましたし、私に殺されるのも本望ですかね? だって、熱心に作った人間製の魔法道具を捧げに来ましたものね。」


 手に持っていた杖を横に振ると、女の前で跪く男の胸に横一線の傷が出来上がる。男が痛みを感じたのは自分の血飛沫を見た時だった。

 汚いものを見る目で見下す。女に向って飛んでくる筈の男の血は彼女を避けて飛び散る。

 これにはイルもオズも、アッシュも呆然と見ていた。見ているしかなかった。


「せ、せい……じょ……。」

「あら、まだ息の根があるのね。神様、私から彼を奪おうとした人に対して慈悲は与えなくとも良いのですよ? あの子供と同じ様に。」


 男は前屈みに倒れていく。助けを求めるかの様に女に手を伸ばすが、女はヒールのある靴でその手を踏みつけた。クスクスと笑いながら踏んず蹴る足は、ヒールは、男の手の甲を貫通する。

 痛みを訴える叫びが、狭く、イル達との戦闘のお陰で散らかった部屋に響き渡る。


「おとう……さん……。」


 少し前に自分の祖母だったモノが燃やされた。次は、父親が死にそうになっている。涙ではっきりとしない視界でも赤色は鮮やかに見せ、リンの事を更に突き落とす。

 瀕死になる父親。それがどんなに辛い事を強いて、暴力を振ってきた最悪な男であろうとも、この女と会うまでは一人の優しい父親であった事には変わらない。だから、手を伸ばすのだ。最後の肉親となった父親を救おうと、駆け出してしまう。

 それをオズは止めた。背後にいた走り出すリンを腕を伸ばして、静止させる。


「お父さん!!!」

「行くな!! 死ぬぞ!!!」

「何で!!?」


 今にも女は止めを刺そうとしている。それはどの目から見ても一目瞭然だった。

 手に持つ杖を横に振る仕草をしている。また、同じ様に男へと切り傷が出来るのかと、イルは直ぐにでも守ろうとアッシュを解放する。


「アンブロシウスの名において――、」

「さあ、私の人形になりなさい。そして、貴方の娘を殺してきなさい。寂しいでしょ? 家族が皆死んで、たった一人になるなんて。だから、寂しさから救いなさい。これは私からの慈愛よ?」


 杖から出て来たのは、炎だった。その炎は鎖の様になり、男の首へと回る。

 男は突然首に括りつけられた鎖を外そうとしたが外れる事無く、火は男を包みだす。イルが身に着けていた赤いフードの付いたポンチョ共々。

 炎は痛みを生むものなのか、男は痛みに耐えられずのたうち回り始める。叫び声が響く。

 だが、それも数秒の事であり、炎は消え、男はゆらりと立ち上がる。

 服は燃える事無く、ポンチョも無事であった。


「お父さん!!!!」


 リンはもう一度父親を呼ぶ。その声に応えるかの様に男が顔を上げると、その二つの目には火が揺らめいていた。


(アンデット達と全く同じだ……。)


 これが男が言っていた操る術なのだろう。死にきれなかったモノに対してだけでなく、瀕死の相手にでも効く。否、瀕死も死にきれなかった事も同じなのかもしれない。初めて見る魔法であった。

 操られた男が怒号をあげる。一直線に暴れるリンと、彼女を押さえるオズとハクへと走り出した。


「クッソ!!!」


 イルは残っている力を振り絞り走った。診察台を乗り越え、血を流し続ける傀儡に向って剣を向ける。

 仲良くなった人の父親に手を掛けるのは抵抗がある。それでも一つの脅威となり、人を襲う怪物と成り果てたのなら、一層殺してしまった方が楽だ。捉えた所で、簡単に解き放てれるものであれば、同じ事は何度も起こる。

 はっきりと言ってしまえば、リンの父親は呪縛から解き放たれた所で生き残る保証は何処にも無い。


――一度終えた命に二度目はない。


 化け物として認知され、それが人を襲ったのであれば、それは脅威となる。脅威は全てを恐怖と絶望、憎悪に染める。

 だから倒すしかないのだ。だから殺すしかないのだ。

 一番のいい例はゾンビだ。それが仲の良い友人だった。家族だったとしても、自分達を襲うのであれば、容赦なく殺す。それしか生き残った人が生き続ける為の方法は無いから。


(呼びかけて、意識が戻って来るなんて、そんなのは物語の中だけ。)


 男だったモノの後ろを捕捉し、イルは剣を振り上げた。だが、刃は男を掠める事無く、イルの体は宙に浮いた。

 驚きのあまり足を掴む何かを見る。


「貴方は駄目よ。ここで今度こそ終わりにしてあげる。何で、死んでないの? 私はにしか耐えられない魔王の心臓を入れたのよ? 何で生きているの? 生きてないで死んでよ。私のの傍にいないで。」


 イルの両足を掴んでいたのは植物の蔓だった。女の足元から幾重も伸びる蔓は足を上がっていき、イルを逆さに吊るす。

 手まで登って来てしまえば、完全にイルの動きは封じられてしまう。

 咄嗟に剣を逆手に持ち替え、足に絡んでくる蔓を切り落とす。地面から離れてしまっている事から体は背中から落ちる。

 背中を打ち付けてしまえば、動けなくなる。そうならない様に宙にいる間に体を捻り、受け身を取りながら着地をした。そしてすぐに駆け出す。


「駄目よ。絶対にダメ!! 貴方は絶対に今度こそ、ここで殺すの。」


 斬ってもなお生えてくる蔓。斬って斬って斬って、蔓の追跡を逃れる。

 女の言葉などイルの耳には入っていなかった。何を言っているのかどうでも良い。

 五年前に死ぬ筈でも生きていた。だから、今度も生きるんだ。生きる為に今、彼と親しくなった女の子と皆で一緒に活路を作るのだ。

 やっと追いついた。灰を振り撒き、桜の花弁を吹かせて男だったモノと攻防をするハクとの間に小柄な体を滑り込ませる。

 殴る為に振り下ろされる男の腕を、イルは剣を振り上げ切り落とす。男は痛みに言葉ではない唸り声をあげ、更に暴れ始める。

 イルの姿を二つの火の目が認める。羽虫の如く、小さな人間を蹴り潰す為の足が出る。剣で盾にしようとするが、横腹に男の蹴りが入り、その衝撃で小柄で軽い体が転がっていく。


「イル!!」


 オズはイルの元へと駆け、飛んでくるイルの体を受け止める。横腹に来た痛みと、内臓を揺らされた事で蹲ってしまう。

 意識が朦朧としてしまう。

 本当は男だけを倒せばそれで充分だった。ポンチョを取り返す、只それだけで良かった。

 何で、仇敵が来てしまった?どうして仇敵がいる?回らなくなってきた頭で考えても、解る筈がない。事実として、仇敵がここに、イル達の前にいる。

 痛みに負けていては駄目だ。折角マーリンに救って貰った命を無駄には出来ない。それと同時にリンの事も見逃せない。


「イルちゃん!!!!! ……お父さん……もう、止めてよ……。もう止めてよ!!!」


 オズの止める声が聞こえるが、そんな言葉を聞こえないフリをして立ち上がった時だった。

 鼻孔につくのは燃える臭い。リンの手には揺らめく小さな火を持っていた。


「お祖母ちゃん……私に力を貸してください。」


 それは父親が加工した祖母の肉体で出来たマッチだった。彼女にはそれしかなかった。武器は、材料の内容を知らなかった人間製のマッチしか無かった。

 揺らめく火に息を掛ける。男に向けて火は伸びて行く。


「火属性魔法”カゲロウ”。」


 これは許されない事だ。肉体で作られた冒涜的な道具を使用した魔法は、禁忌の一種にされている。それでも、今はこれしかなかった。そして、知ること無くずっと使ってしまった事だ。

 イルの赤い瞳が見る。彼女の目でしか、その姿を捉えられない。リンの背後で彼女の手に重ねる様に手を握りしめる影を。

 リンを苦しめる為のモノじゃない。呪う為のモノじゃない。助ける為に伸びる影。

 きっと、その影はリンの祖母だ。

 化け物に成り果てた男の動きは止まる。今、男だったモノは何かを見ている。夢の様で幻の様なものを。

 この魔法がいつ解けるか分からない。効果がなくなれば再び襲いにかかる。その前に上着を取り返して離脱する為に動き出そうとするが、オズに止められてしまう。

 手首を掴む手が強く、簡単に痛みを感じる今の状態は顔を歪めて痛みを訴える事は簡単だった。


「離して!! 今の内に、取り返すんだよ!!!」

「それは俺がやる! もう限界だろ!?」

「限界じゃない! やんなきゃいけないんだよ!!」

「お前が俺を心配する様に、俺もお前が心配なんだよ!!」


 絶対に放してやらない。その意志が行動に宿っている。折れそうな勢いで手首の握る力が強くなる。

 彼の想いは痛い程伝わってくる。伝わってくるが故に、イルはオズを蹴った。


「ったあ……てっめぇ!!!」


 オズは言った。イルが心配する様に、自分も心配しているのだと。

 不意打ちで予想外の行動に、オズの中に怒りが生まれる。心配して止めているのに、何故蹴られなければならない。眉間に皺を作り、蔑ろにされてしまった自身の想いに対した不満を抱えながら、受け身から体勢を整える。

 鍛えた故の蹴りの強さ。大の大人すらも蹴り飛ばせる程にまで成長した彼女の力は、オズを簡単に引き離す事が可能だ。手合せ以外でその力をオズに対して行使するつもりはイルにはない。それでも蹴ったのだ。

 イルはわざとオズから手を離させる為に蹴ったのだ。

 それは行動を止める彼に対してのやるせない怒りがあった。だが、只怒りだけで蹴った訳ではない。

 彼から離れたイルの体は無数の蔓に体を貫かれる。鋭く、槍の先端の様になった植物が彼女の体に穴をあけていく。

 女からの攻撃。赤い目は後方から迫ってくる蔓の動きをイルに見せていた。

 このままオズがイルを押さえていたとしたら、オズも巻き込まれ体に穴をあけている所だった。例え、瞬時に穴が塞がるとしても。


(私だって、君が心配なんだよ。)


 口から一気に血が溢れてくる。ゴフッと口の中で溜まってしまった赤い液体が吐き出される。

 両腕を両足を蔓は貫く。刺された所から血が零れ、床に水滴の様に落ちていく。

 ぐったりとした体は横にさせる事を許されない。十字架にかけられた如く宙に張り付けられる。

 痛みは勿論ある。ないなど、病気でない限り有り得る事は無い。その痛みを声に出す気力がイルの中には残っていなかった。


、守らなくていいのよ。貴方が守る価値は無いの。」

!!!!」

「他のもそう。貴方と一緒に居ても良い者達じゃないの。貴方に相応しくないの。当然、私に対しても。」


 コツンコツン。聞きたくもない足音が響く。オズに近づく為に歩いてくる。呆然と傷つくイルしか目に入っていないオズへと手を差し伸べる為に。

 イルの手から再び放れたアッシュは人の姿へと戻る。

 憎々しく大声を上げるアッシュは手に杖を握り、杖を床に突いて魔法を発動させる。彼の足元から水で出来た竜が何体も伸び、蔓に囚われたイルを助ける為に蔓を食い破っていく。

 しかし、蔓は切れたとしても再び彼女を宙へと縛る。わざわざ穴の開いてない肉体に穴をあけ、新たな傷を作るのだ。その度にイルは痛みに声を上げ、血を新たに流す。

 彼女を救う為にする行動が更に彼女を苦しめる。アッシュは素早く攻撃対象を変え、再び水で出来た竜を飛ばす。

 灰色の目は女を見る。憎々しいと怒りを宿した目で睨む。

 そんな感情を向けられ、目前には水の竜が迫ってきているというのに女は口角を上げ笑顔を見せる。そして口を開いた。


「鏡よ鏡、鏡さん。世界で一番美しく、私の最高の騎士様は誰?」


 歌いながら紡がれる言葉。呪文の様な言葉に女の前面に一枚の胸まで映す大きな鏡が出現する。

 鏡は鈍く光ると、10m以上離れた場所である筈なのに胸から上の拡大されたオズの顔が映し出す。

 虚ろな切れ長の釣り目。瞳は赤色で光が無い。綺麗に整えられている訳ではないふんわりとした短い黒髪。まだ幼さが端正な顔。


「そうよ。そう!!!! ……だから、彼以外は要らないの!! 彼以外が存在する理由はないのよ!!!」


 彼を映した鏡はアッシュの魔法を飲み込む。波紋の様に波を打ち、魔法は吸収され、全てを回収し終えた時には波は静かになっていた。

 静寂が包む。

 シーンと静まった部屋で鏡は小刻みに震えだし、吐き出した。

 女の足元から出て、イルを貫いた蔦と同じ蔓が溢れ出てくる。棘の付いた蔓はうねりながら暴れ始める。


「オズ! 逃げなさい!!」


 アッシュの必死な声が木霊する。彼の声を掻き消すかの様な音を鏡から出てくる蔓は出し、鋭い槍となってアッシュを貫く。

 赤い血が飛ぶ。

 灰色のドラゴンだけでは無かった。女との関係は一切ないリンを刺し、リンの魔法が取れかかったリンの父親だったモノを無数貫通させていき、白い大きな犬の体を掠めていく。

 オズだけは蔓の餌食にならない。オズだけが、この場で唯一無傷であった。

 赤い目の少年しか要らない。女は壊れた機械の様に何度も何度もオズが捨てた名前と共に呟く。

 一番蔓の被害にあっていたのはイルだった。

 既に蔓が絡まっている所で、更に鏡の蔓が絡み始める。彼女の体を這い上がり、一つの生き物の様に、触手の様に動く。

 青々とした蔓は先端を鋭くさせると、イルの右膝を貫いた。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」


 膝の中に入った細い蔓が膝蓋骨を粉々にする。大腿骨の外側上顆を壊す。内側上顆を割る。脛骨の頭を潰す。

 肉を突き破り、痛覚を激しく刺激する。

 蔓から解放された所で、イルは逃げる事が出来なくなった。歩く事に必要な部位を一つ潰された。

 貫いた蔓とは別の蔓が先端を鋭くさせ、構える。次に狙うのは何処だ。左膝か、はたまた左右どちらかの肘か、――心臓か。


(まだまだ、弱いな……私。)


 痛みで視界が霞む。涙が溢れ、反撃も出来ない状態の彼女を見て笑う女を見る。

 初めから傷ついていたイルだが、万全な状態で戦えたとしても同じ結果になっていただろう。この様な結末になるまでの時間が遅くなるだけ。違いはそれしかない。

 魔術師になりたいのは、この女の真相を知る為。実践に出て、経験を積み、いつか女と対峙した時に自分の命を守る為。あの時無様にやられるしかなかった自分が、大切だと思った相手を守る為。

 魔法が使えなくなった自分が出来るやり方を知る為。

 それもきっとここまでだ。養父が繋いでくれた命が5年しか保たなかったのは申し訳ないと謝罪するのと同時に、結局無様にやられるしかない自分に呆れてしまう。

 異世界へ来たものが全て強く、驚かれて、羨望の的になる訳じゃない。

 イルは手を伸ばす。蔓が届く前に、止めを刺される前にオズへと伸ばす。


「逃げろ……オズ……。」


 オズだけは助かる。あの女はオズだけを生かす。

 確信があるからこそイルは微笑む。今も5年前も、この女は


――――――


 これ以上は危険だと主治医が忠告をした。

 自分自身の体だからこそ、オズも自覚している。

 次に広範囲な魔法を使用した時、心臓は耐えきれなくなり、破裂してしまう可能性があるという事を。体は何処も無傷である筈なのに、中身が悲鳴を上げている。

 絶対ではない可能性でも、大丈夫とは言えない。

 だが、赤い瞳がイルを視界にいれた時、様々な体液と血液で汚れ、痛い筈なのに微笑む彼女を見た時に口は開いていた。自然と唱え始めていた。


「捲れ、捲れ、ページを。全ての魔術を入れた魔術本グリモアよ、紙を捲れ、オズ・アンブロシウスの名において応えよ。」


 腰に差していた本が一人でに飛び出して宙に浮く。座り込むオズの前でページをパラパラ捲る。

 本は今まで淡く光っていた時とは違い、はっきりとした青色の光を放っていた。


(今は、5年前とは違う。)


 あの時は見ているしか出来なかった。痛みに苦しむイルを見ているしか出来なかった。マーリンにアッシュに助けられただけだった。――何も出来なかった。


(なあ、お前は死にたいの?)

(は?)

(次に大きな魔法を使えば、お前は死ぬぞ? それでも使う覚悟があるの?)

(誰だお前?)

(俺はお前。それ以上でもそれ以下でもない。)

(そうかよ。……解っているから使う。別に死ぬために使う訳じゃねぇよ。イルは生きてる。アッシュもまだ生きてる。あの女子も生きてる。俺が魔法を使うのは――、)


「生きる為だ。」


 生き続ける為。イルと一緒に、アッシュと一緒に、マーリンに繋いでもらった命で生き続ける為。大切な人達が生きているから使うのだ。まだ死んでいないと信じているから使うのだ。

 オズと似た声が話し掛けてくる。その問いが、死ぬかもしれない恐怖がある自分に決意させる。

 そうだ。生きる為に口が動いているんだ。呪文を唱えているんだ。


「極大魔法・水属性”コキュートス”。」


 顔を上げたオズの瞳孔は縦長に細くなっていた。

 静かに告げられる魔法名。そこには感情による揺らぎはなく、淡々と只言い放たれる。

 魔法が発動しても周りは静寂に包まれているだけであった。唯々静か。気味が悪い程に静か。

 何も音がしない。何も聞こえない。聞こえるのは自身のゆっくりと吐かれる呼吸音だけだ。

 オズが展開した魔法は彼を中心に姿を現した。

 パキッと氷が割れる音がする。

 この場に氷などない。部屋までが凍るまでの寒さではない。黄の陸の気候では、寒い季節ではない。冬の季節ではない。

 だが、確かに割れる音がしたのだ。冷えた水を注ぎこまれた氷の如く、蔦が割れる。

 白い息が零れる。そして、オズの目から赤色の涙が零れ、口からも血が零れる。


「止めて……やめて!!! !!!! 貴方が死んじゃう! これ以上は止めて!!!!!」


 甲高い金切り声が耳に響く。まるでガラスを爪で引っ掻いた様な声が煩わしい。


(俺が死ぬ? 知ったこっちゃない。)


 目の前のイカレタ人間に自分が生きたまま行ってしまう方が嫌だ。だったら死んでしまった方がマシだ。大切な人達を護る為に死んだ方がマシだ。

 生きると言った口で死んだ方がマシだと呟くのは矛盾にも程がある。

 回せ。魔力を回せ。管に流し込み、本に止めどなく魔力を流せ。

 オズが発動させた魔法コキュートスは何でも凍らせる。発動者が敵だと認識した無機物も温かい体温を持った生き物でも、その全てを凍らせる地獄の氷。

 その通りに屋敷の何もかもが凍っていく。縦横無尽に暴れていた蔓が動きを止める。氷柱が出来ている。衝撃に耐えきれずに割れている。

 貫く武器とした蔓も凍る。イルの心臓へと届く寸前だったモノもギリギリの距離で止まる。

 イル達の傷は凍れど、肉体は凍らない。女の体はヒールの靴から段々と上がって凍っていく。


「これ以上は……もう止めて!? でないと――、」

「自分が死ぬから?」

「違う!! 貴方が死ぬの!!! それが嫌なの!!!!」

「だったら、死ねよ!! 俺に殺されるのが、お好みなんだろ。だったら死ね。5年前のマーリンの分、5年前と今のイルの分!! 全部味わって死ね。」


 感情が一気に昂ぶる。それに呼応する様に氷は増幅する。

 膨張していく氷は空気中の水分すらも固形に落とし、成長した氷柱が雨として降り注ぐ。

 これは複数の魔法の集合体。攻撃に特化した広範囲魔法の一つ。

 氷柱の雨は全部が女の上に落ちていく。

 それだけでは無く、オズは凍らせるスピードを上げていく。地面を凍らせ、植物を凍らせ、生きる全てを凍らせていく。


!!!!!」

「死ね。」


 オズの視界は一色の蒼しか映らなくなっていた。

 心臓が痛い。それでもオズは動く。

 凍らせたリンの父親だったモノからイルの上着を奪い返し、パラパラと割れる蔓から解放されるイルへと歩み寄る。

 足取りが重い。少しで届くのに、体が重い。肺が痛い。自分も味方だけを設定して凍らせない様にしていたとしても、一気に低くなった空気は肺を攻撃する。

 口から血が溢れてくる。

 ゆっくりでいい。確実にでもイルの傍に行ければそれでいい。

 覚束ない足取りで、躓きながらも宙づりにされるイルの下に来る。蔓の崩壊は後少しで終わり、イルが落下してくる。

 案の定、イルの体が重力に逆らう事無く落ちていく。それをオズは受け止めるが、体は既に限界を超えていた。抱えて倒れてしまった。

 自動回復をしても傷つき、傷ついた状態を治す為に自動回復される。悪い悪循環がオズの体内で起こり、止まる事無く血は口や目、鼻から出てくる。


「オ……ズ……。」

「だい、じょうぶ。」


 大丈夫。言葉もつっかえつっかえになっていると、口を開いて初めて気が付いた。

 もう動けない。護る様に抱き締めたイルへ、赤いポンチョを被せる。


(今度は護れた……。今度は。)


 四つの赤い目が閉じる。その二つの心臓はゆっくりと脈を打つ。


――――――


 慌ただしい足音が複数屋敷へと突入する。


「オズ・アンブロシウス、並びにイル・アンブロシウス、アッシュ、金髪の少女、ハク様を探せ!!」


 冷気しかない場所でパルジファルは号令を出す。

 彼の指示を受けたパルジファルの部下たちは動きだす。


「これは凄いよ……。」

「ああ。」


 ハクの目から見ていたヤチヨの指示を受け、騎士団はイルが囚われとなった屋敷へと来た。

 パルジファルと彼と一緒に編成されたボールスが目に映したのは、大きな氷の塊の中の屋敷だった。屋敷は庶民の家よりかは遥かに大きいが、貴族の屋敷より小さい。そんな大きさを余裕をもって覆いつくす事など出来るのであろうか。

 まず、一人でこの規模の魔法を行使する事は無理と言ってもいい。屋敷一つを被す魔法は必ず三人以上で使用しなければ、体に大きな負担を負う事になる。最悪の場合は死を迎える。

 これを一人の少年が一人で行った。三人以上必要な魔法を一人で完全に行えてしまった。

 結果があっても、その結果に至るまでの道順を見ていたのはヤチヨだけであった。だから、二人は半信半疑だ。

 凍てつく程の冷気が体を襲う。防御魔法をかけて置かなければ、この冷気に巻き込まれて自分も凍ってしまう。


「パルジファル様! いました!!」

「本当か!?」


 部下の一人の呼び声に二人は顔を見合わせる。そして駆け出した。

 目的地に着けば、そこには部下と白い大きな犬がいた。尻尾は振られておらず、一瞬だけ二人の顔を見るとすぐに足元の影に顔を近づける。


「ハク様! よくご無事で……!」

「いたぞ……ボールス。」

「何処?」

「ハク様の足元だ。」


 ボールスはしゃがみ込み、ハクの足元の影を見た。

 黒髪の少年が黒髪の少女をまるで護る様に覆い被さって抱き締めた姿。オズとイルだった。

 すぐさま心臓の音を確かめる為に耳を近付ける。


「心臓の音、する! 二人とも生きてるよ!!」

「すぐにこの二人を運ぶ。手の空いている奴と一緒に慎重に運べ。」

「はい!」

「金髪の女の子も見つけました! こちらも無事です!!」

「アッシュさんも無事です!」


 次々と命に対しては無事である報告が飛び込んでくる。

 手分けして怪我人でもある彼等を救い出す。その作業中であった。

 蔓が伸びてくる。氷を掻き分けるかのように伸びてくる影に、ボールスは気が付き戦闘態勢を取る。


「どうした?」

「何か出てくる……。」


 ボールスの言葉にパルジファルは首を傾げる。彼が視線を向ける方へ、パルジファルも見るが何もない。


「何もないな。」

「え、いや、本当に何か出て来た気がしたんだって!? 嘘じゃないよ???」

「はいはい解った。取り敢えず、そこの破壊された机の上に置いてある資料とか鞄に入れろ。物的証拠になるからな。」

「絶対に解ってない! パルジファルは解ってない!!」


 気のせいだとすぐさま仕事へと戻る幼馴染みにボールスは、かんかんに怒り始める。その声が煩わしいと言った表情でパルジファルは黙々と作業に集中する。

 それはボールスの気のせいでは無かった。。氷の地獄と称された魔法の中から。


「絶対に……絶対に、私の元へと来させるから愛しの愛しの。そして……絶対に絶対に貴様だけは許さないからな――イル・アンブロシウス……!!!」

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