FileNo.8 プリディクション - 11

 考える晶穂しょうほに対して、彼女は自ら名を告げた。いよいよ晶穂はいぶかしんだ。この業界において名は極力きょくりょく秘匿ひとくされるべき情報の一つだ。名を知られるということは、いつ何時、自らが何かしらの呪術の対象にされてもおかしくないということと同義である。だからこそこの国では、力のある除霊師にコードネームをつける。真の名を第三者に知られ、自国の戦力をいたずらみ取られぬよう。


「わたしは只の従者。主からの命に従い、ふわふわとこの街を歩き回っていただけの身分にございます。……あなたのような猛々しい戦士と戦うなど、わたしにはとても、とても」


「そうかい。なら大人しく――」


「はい。大人しく、退いてくださいまし」


 彼女――『ロア』と名乗る女性がそう告げた直後だった。


 突然何の脈絡みゃくらくもなく、晶穂の体は強く突き上げられた。足の裏、サンダルの下からやってきた突然の衝撃しょうげきに、晶穂の体躯たいくあらがう暇もなく、玉突きが如く宙へ弾き飛ばされる。そうして、まるで巨人に全力で蹴り上げられたかのような苦痛の中、晶穂は宙で目を見開いた。


 自身の正面から。ロアが振り上げた右手に誘われるかのように。


 青紫色のまばゆく激しい輝きが――先ほど晶穂が相手に向けて放った一連の力と全く同質の爆発的なエネルギーが、自身へ真っすぐ向かってくる。


 ほぼ無意識だった。晶穂は宙で両腕を交差させた。程なくして両腕は濁流だくりゅうのそれに似た破滅的はめつてきな衝撃を受け、彼女の体は突風にさらわれる木の葉が如く吹き飛び、遥か後方の駅の壁面に衝突する。


 視界が暗転した。


 受け身も取れず大地へちる。経年劣化でがれ落ちるペンキのように、壁面に沿って。


「――先生!!」


 激痛が収まらぬ中、駆け寄ってくる足音が聞こえた。晶穂は舌打ちして、うつ伏せの体を無理やり持ち上げる。が、そうして無理をしてロータリーの先、瞬時の戦闘を交わした交差点へと視線を飛ばしても、既にロアの姿は見えなかった。


 どうやら人々に紛れ、どこかへ去ったらしい。人々は槍投げフォームを取ることもなく、それぞれの家路へと進んでいく。それを見て取って再度、晶穂はうつ伏せに崩れた。


「先生!! だっ、大丈夫ですか!! 返事してください!!」


「きゅ、救急車呼んだ方がいいですか!? いいよね!?」


 栄絵と遥、二人の少女が晶穂を仰向けにして狼狽うろたえている。どうやら駅の改札を出た人々も、尋常じんじょうでなさそうなこちらの様子をうかがっているらしい。楽じゃねーなぁ、と内心呟きながら、栄絵に抱きかかえながら、晶穂はひらひらと片手を振った。


「あー大丈夫大丈夫、ちょっと地面がひんやりしてたから眠りたくなっただけだ。救急車なんて要らん要らん。お気遣きづかいなく」


「そ、そうなんですか?」


「なーんだ心配かけさせないでくださいよー……って馬鹿! そんなわけないでしょ! 大井さんも聞こえてたじゃん、さっきの凄い音!」


 栄絵の剣幕に、遥が慌てて「ごめんなさいごめんなさい」と告げている。若いもんは元気だなぁ、などと呑気なことを晶穂は思った。……いや、それより。


「っつうか栄絵、お前、あたしが『目を開けんな』って言ったってのに」


「無理ですよ! こんな近くで、あんな凄い音がしたら!」


「あいつの姿を見たか?」


「? あいつ?」


 何のことですか、と栄絵。どうやらロアの姿を眼にしたわけではないらしい。その事実に、晶穂は密かに胸を撫で下ろした。


 全てに当てはまるわけでは無いが、魔術や呪術の類には視覚を媒介ばいかいとして影響を及ぼすものが多い。ロアもその類の術を使うようだ。咄嗟とっさの――そしてさしたる根拠こんきょもないような――判断ではあったが、「目をつむれ」という指示自体は結果的に正解だったと言えるだろう。


「あの、雷瑚先生。何があったのかよく分かってないんですけど、やっぱりまず病院に行った方がいいんじゃ……」


「そう、そうです! あっ、それか坂田先生に連絡――」


「いや、まずは遥の高校に行くぞ。話は行きがてら、だ」


 意を決して、晶穂は足に力を込めて立ち上がった。思った通り骨のずいから痛みがほとばしり、一瞬、苦悶くもんの声を漏らしそうになる――が、何とかそれをみ殺した。叩きつけられた背中は恐らくあざだらけになっていることだろうが、依頼者たちを不安がらせるわけにはいかない。


「あ、そうだ栄絵。お前、今日はもう帰れ」


「ええ!? 嫌です!」


「ダメだ。まだあたしも色々整理できちゃいねーが、どうにも単純な霊視で終わるような状況じゃなくなってるみたいでな。はっきり言ってお前まで守ってやれる気がしねえ」


 ロアなる魔術師が遥を含む人々に何をさせようとしているのか――その狙いは一切分からない。おまけにロアは姿を消した。この体で当てもなく彼女を探すのは困難だろう。


 だが遥を悩ませるウィジャ盤の『予言』とロアの用いた魔術には、何らかの繋がりがある筈だ。でなければ、どうしても説明がつかないことが一つある。故に、遥の高校へ行き、ウィジャ盤を調べ、ロアの元に向かう。これは必須事項だ。


 しかしそれは同時に、彼女と再度、対峙たいじすることを意味する。




『大人しく、退いてくださいまし』




 ――勝てるか?




「お前も一度、似たような体験があるなら分かるだろ。……また死にかけたいか?」


「あ、あの……そんなに危険なんですか、わたし……」


 震えながら遥が言った。小柄こがらな少女が泣きそうな目で晶穂を見ている。しまった、と胸中で呟いた。依頼者を不安がらせない――そうしなければならないというのに。


「あー、すまんすまん。なに、大丈夫さ、遥。あたしがついてる、心配すんな!」


「そ、そうだよ大井さん。先生もついてるし、あたしも一緒に居るから」


「いやお前は帰れっつうの」


「でもあたしが帰ると大井さん、不安で死んじゃいますよ?」


「……もう一回言うぞ栄絵。帰れ」


「嫌です」


 晶穂の思惑おもわくに反し、栄絵はきっぱりと告げた。


「あたし、大井さんの依頼が終わった後に先生を病院に連れて行かなきゃいけない気がするので。さ、大井さん、行こ!」


「栄絵! アホみたいなこと言ってねえでぇぇぇぇぇぇ……っ!!」


 大声を出した途端、背中に激痛が走った。悲鳴をみ殺している間に、栄絵は遥の背中を押し、バスロータリーへ進ませる。そうしてから彼女は小走りにこちらへ戻ってきて、痛みをこらえるだけで精一杯な晶穂の肩に手をまわした。


「さ、あたしに寄りかかりながら歩いてください。あたしだって杖代わりくらいにはなれますから。……多分ですけど無理して立ってるでしょ?」


「だ、け、ど、な……!」


「ホントにまずそうなときは邪魔にならないように逃げます。それならいいでしょ? ご存知の通り、あたしは一回、似たような経験してますから? それくらいの判断はつきます」


 さも自信ありげに言う栄絵だが、晶穂は突っ込んでやりたかった。彼女の体験など、おぞましい世界の一端に過ぎない――だが痛い。痛みが発言を封じている。


「さ、行きましょ先生! 大丈夫ですよ、何だかんだで先生ならきっと何とか出来る筈です! ……あ、もしかして、こうしてくっついて歩いてると恋人に間違われたりするかもですね!?」


 それはないだろ、と突っ込みたかった。……が、やはり痛みに言葉を殺され、晶穂はしぶしぶ強引な学生に連れられ、歩き始める。








 その判断が正しい、とは、とても思えなかったけれど。

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