FileNo.7 コーダー - 06

 サングラス越しに、磐鷲ばんしゅうは目撃する。宙を進む特製の銃弾。それが。


 鎧武者の数閃で、真っ二つに裂かれていく様を。


 やがて。


 彼の手にしているM&Pから、銃弾は全て消えた。


「何だったっけ?」


 鎧武者は再度腕を引き、刺突の構えを取っている。その体にも、眉間にも――穴は開いていない。


「あたしの式神。もろかった?」


 リビングから、けたたましい嘲笑ちょうしょうが響く。キーの高いその笑い声は、磐鷲の耳朶じだを嫌という程叩いた。


「分かったでしょ? じゅ~ぶんに身に染みたっしょ? 分かったらサッサと帰んなさいな~。あたしはあんたの感傷なんて知ったこっちゃないし、涼についてとやかく言われるような義理もない。あ、逆にあたしから提案してあげよっか? そんなにあたしのやろうとしてることが気に食わないなら、『青樹まどかは娘共々あんたの講に入ります』っていう書類の偽造でもしちゃえば? ま、この業界、誰がナニ出来るか分かんないから、血判の無い書面なんて、国が受け取ってくれるわけないんだけど~?」


 何度目になるだろうか。そんなことを考えながら、磐鷲はため息をついた。隣で晶穂しょうほが「石川五右衛門みてえ」などという下らないコメントを述べ、青樹まどかは気が狂ったように勝利の嘲笑を続けている。それはまさしく、彼女の言葉に偽りがないことに起因していると言えるだろう。


 つまり、こうだ。


 彼女の凶行を止めるには、リビングルームに入り、無理やりにでも、彼女の血判を磐鷲の用意した書面に付ける必要がある。


 しかし、施された術のせいで、入ることは叶わない。おまけに、銃弾すら斬り裂く門番代わりの式神すら居る。


 一旦退き、後日訪ねなおすか? いや、先延ばしにしようと、この状況は変わるまい。むしろ事態を早く解決しようとする国が、磐鷲らへの依頼を取り下げ、通廊へ任務を移管する可能性が高くなる。ではせめて明日、涼の居る時間にでも赴くか? これもダメだ。母の思惑を娘が耳にしてしまう可能性が高い。幼い少女に母の悪意を見せつけるなど、残酷ざんこく以外の何物でも無い。それが故に、こちらはいつも、わざわざ日中に訪ねていたのだ。そして恐らく、青樹まどかもそれに気付いている。気付いた上で挑発しているのだ。『やれるものならやってみろ』と。実質、娘を人質に利用している、と言ってもいい。


「女狐め」


 反吐へどが出る、と相手は述べた。全く同感だ。反吐が出る。恩人の娘に。


 対して。


「『誰が何を出来るか分からない』なら」


 こんな強引な手段しか取れない、自分自身に。


「もっと真剣に術を組んでおけ」


 告げた、刹那せつな


 臨戦態勢を維持する鎧武者の首に、手足に、真っ黒な縄が巻き付いた。――否、それは縄などではない。


「最終通告は済んでいる。力業ちからわざで押し通らせてもらうぞ」


 磐鷲はそう言って、リビングへと歩を進めた。その体は晶穂のようにくるりと反転する――こともなく、何事も無く、彼はすんなりと、部屋の中へ足を踏み入れる。そして、動こうとしてガタガタと音を立て――しかし、全身に絡みつく縄状の『髪』に束縛され、動けない鎧武者の肩をポンと叩きながら、ズンズンとソファへと近づいた。


「初めまして、だな。青樹まどか」


 真っ白なスリップだけという刺激的な出で立ちでソファに寝そべる女性にそう告げても、相手はしばらく、ぽかんとこちらを見上げていた。真っ黒で長い髪。アンダーリムの眼鏡のフレームも黒。細身で、丸顔で、目鼻立ちは整っており、格別に着飾らなくとも十二分に美しい。磐鷲があと二十年若ければ、口説きに掛かっていたところだ。……性格は丸っきり好みではないが。


「……は?」


「晶穂。ご覧の通り、『俺は』入ったぞ」


五月蠅うるせえよチートデブ」


「あんた……は? 何……何で?」


「あれを見て分からんか、青樹まどか」


 彼は後方の鎧武者を縛る『髪』――その源を指さした。リビングに転がっているのは、先ほど神業のような斬撃によって裂かれたM&Pの銃弾の欠片。今そこからは、うぞうぞと脈打つ真っ黒な髪の毛が伸びている。それが束となり縄状に絡み合って、鎧武者を縛っているのだ。


「俺もコーダーだ」


 は、と、驚愕きょうがくのような呆れのような声が、青樹まどかの喉から漏れた。気にせず、続ける。


「国から与えられたコードネームは『ハリ』。由来は日本の古い妖怪である針女から来ている。能力の仔細しさいをあんたに教えるつもりはないが、今は手製の銃弾から、俺の意志で増殖してうごめく毛髪を生み出した。云うなれば、あれは俺の分身と言っていい」


「……キッモ」


「良く言われる。だが、あんたの下らん術には効果覿面こうかてきめんだっただろう?」


「どうでもいいがボス、女の下着姿をジロジロ見るのはどうかと思うぜ」


やかましいぞ糞餓鬼くそがき。下らんジェントルマン精神なんぞ、この業界では命取り以外の何物でも……晶穂」


「何だよ」


「お前、いつの間にリビングに入った」


 平然と隣で腕組みをして立っている部下の姿を、磐鷲は思わず二度見した。彼女はつい先ほどまで、リビングの外に居た筈だ。


「ついさっきだが?」


「どうやってだ」


「あのなぁ、あたしだって馬鹿じゃねーんだ。この糞女が陰陽師で、あたしが倒れ込む形でリビングに入ろうとしたのをわざわざ式神使って止めた時点で、術のカラクリぐらい気づくっつうの」


 術のベースは『方違かたちがえ』だろ、と、晶穂は事も無げに真実を言い当てた。青樹まどかは……声を発しない。


「災いの起こる方角を読んで、その方角に沿って目的地に向かわないよう別の場所を経由する、っつうのが本来の『方違え』。あんたはそれを、特定の方角から目的地に『向かえない』っつー形にアレンジしてたわけだ。元々、陰陽術は土着信仰と結びついて独自の術として昇華されやすい傾向にあるしな。その程度の術の組み換えくらい何とかなるだろ。


 タネが分かりゃあ後は簡単。『向かえない』なら『向かう』っつう形以外で部屋に入ればいい。倒れ込むなり、自分の一部を中に投げ入れてやるなりな。ボスの場合は後者だろ? 元々中に『居る』ことにしちまえば、『入る』や『向かう』っつう枠組みからは外れる」


「お前セリフ長いな」


「それ前の事件の時に涼にも言われた」


「ふ……ふざけんじゃ――!」


「誰もふざけてねーよ」


 激昂げきこうした青樹まどかがソファから起き上がろうとした瞬間、晶穂は自由の利く左手を真っすぐに相手へ向けた。そのてのひらからは。


 深い青と透き通る紫が混ざる、美しい――けれども邪悪な輝きが、ほのかに放たれている。


「顔面凹ませられたくないなら、大人しく負けを認めろ。言っとくが、あたしゃあんたに心底ムカついてる。涼の母親だろうが容赦ようしゃしねえぜ」


「……お優しいのね。だけどあの子を悲しませたくないなら、あたしに危害を加えるのは愚策ぐさくじゃない?」


「ご心配なく。うちの講には、治療の祈祷きとうが得意な巫女さんが居てな。死んでさえなけりゃ、多少の怪我はあっという間に傷跡ゼロで治してくれる。おまけに涼は今日、楽しい楽しい林間学校だろ? 治療の時間は十分だ。何回でも顔の形変えてやるぜ」


 覚悟は出来てるか、と晶穂は尋ねた。


 青樹まどかは、低い声で笑った。


「やってみれば?」


「なら遠慮なく――」


 晶穂がそう告げた、直後だった。


 不意に。


 玄関の方から、「ぎゃあ」という悲鳴が聞こえた。


 部下の傍を離れ、磐鷲はリビングの入口へ引き返す。そうして暖簾のれんを手で押し開けた彼が見たのは、玄関で大の字になって倒れている、膝まで隠れる長い丈のコートを羽織った――けれどもその下はスリップ一枚という出で立ちの、一人の女性だった。真っ黒な長い髪に、アンダーリムの黒いフレームの眼鏡をつけ、細身で、丸顔で、目鼻立ちの整った美人。間違いない。


 『青樹まどか』だ。

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