FileNo.3 ロスト-18




「あー……ちょいと失礼、お嬢さん」


 そう雷瑚先生が声を掛けると、信号待ちをしていたスーツ姿の女性は、怪訝そうにこちらを見た。ソバカス跡がまばらに散った、眼鏡を掛けた黒髪の女性。スーツはピシッと整っていて、髪型も後ろで括られており、化粧も薄い。実に清潔感がある。


 だが……瞳の下に、若干の隈がある。


「悪いな、突然。えっと、大蔵こよみ? さん? 合ってるか?」


「はい……そうですけど」


 返事と共に、より一層、警戒の色が濃くなった気がした。それはそうだろう。何せ、往来で突然、白衣を着た眠たげな女性に名前を当てられたのだ。おまけに、その隣にはブレザー姿の女子高生――つまり、あたし――も居る。


「突然悪いな。なに、用事は直ぐに終わる。それに、最悪、信じなくてもいい」


「はあ……」


「あのっ。池尻さんのプレゼントは、あなたに届きましたか?」


 意を決して切り出すと、目の前の女性は、酷く驚いた様子だった。それから、尋ねてくる。何の話を、と。


「事故で亡くなられた池尻さん――あなたの恋人さんだと思うんですけど、あたし、事故現場に居たんです。それでその……亡くなられる前に、あの人、プレゼントを恋人に届けてほしい、って」


 勿論、嘘だ。あたしは数日前まで、池尻なんて男は知らなかった。顔だって知らない。だけど。


「その……変な話かも知れないんですけど。あたし、渡します、ってあの人に言っちゃって。そうしたら池尻さん、ありがとう、って」


 思いついたのは、あたしだ。あの夕暮れで、実に穏やかな顔で、あの人はあたしに礼を言って、この世から去った。まともに話しても信じて貰えないことは分かっている。幽霊からお礼を言われたなんて、あたしなら信じない。だから、嘘を吐く。


 嘘を吐いてでも。


「それで……その。あたし、約束した手前、気になっちゃって。それと、その……伝えたくて」


「……なにを?」


「あの人……あたしはあの人のこと、全然知らないし、どんな人なのかもよく分かってないですけど。でも、その。とても……とても、優しい人だったんだと思うんです。最後の最後に言った言葉が、『ありがとう』だったから」


 それに、お礼が言えなかったことを悔やんで、枕元に立とうとしたような人だから。お蔭で、こっちは不眠症になったりもしたけれど……だけど、あのトラックの亡霊に轢かれて死にかけた体をもたせてくれたのは、間違いなく、善意からだと思うから。


「うん。……池尻さんは、優しい人でした」


 言った途端。


 ぼろりと、大粒の涙が、大蔵こよみさんの瞳からこぼれ落ちた。


「すまんな、思い出させるようなことを言って。だが、ウチの生徒が、どうしても伝えたいっつってな」


 はい、と、眼前の女性は言った。何度も何度も、はい、と。それから最後に言った。


「ありがとうございます。プレゼントも届いています。ほしいも……」


「ほしいも?」


「ほしいも?」


「はい。変な人だったんです。プレゼントって言って、いつも食べ物ばっかり贈ってくるんだもの。でも……」


 とても優しい人だった、と言って、彼女は泣いた。待っていた信号が青に変わっても、周囲の人々が怪訝な目であたしたちを見ても、彼女は泣いていた。


「――やっぱり、余計なお世話だったでしょうか」


 数十分後。大蔵さんと別れて帰途に付く最中、雷瑚先生に言うと、先生は一言「さあな」と言った。


「思い出させて、辛い想いをさせちゃったかも」


「かもな」


「……やらない方が良かったでしょうか」


「いや。やって良かったと思うぜ」


 隣を見る。


 雷瑚先生は、ニッと笑った。


「伝えるってのは大事なことだ。伝えないと、大概の気持ちは消えちまう。人間なんていつ死ぬか分からんから、余計にな」


「……はい」


 あたしはじっと雷瑚先生を見つめた。言うだけ言って、彼女はまた前を向き、大きく欠伸などしている。いつものように眠いのだろうか……。


「雷瑚先生は、これから学校に戻るんですか?」


「あ? おー、そうだな、そのつもりだ」


「また寝るんですか?」


「お前な、あたしが保健室で眠ってばっかりいると思ったら大間違いだぞ?」


「あ、寝ないんですね」


「寝る。いやー、昨日はホラ、イベントの最終日だったからさ。スタミナ無くなるまで必死こいてたんだよな。お蔭で超眠い」


「じゃ、あたしも寝ていいですか?」


「ダメだね。あそこはあたしの聖域だ、何人たりとも侵すことはことは許さん」


「えー、いいじゃないですか。一緒に寝ましょうよ」


「ダメだダメだ! 学生の本分は勉強だからな! 遊んだりダラけたりするのは社会人になってからにしろ――」


 どこかズレた持論を聞きながら、あたしは笑った。笑いながら、思った。




 ――おかしいな。そっちの趣味は無かったはずなんだけど。




「? どうした、栄絵?」


「いえいえ、何でもないです」


 まあいいよね、と自分に言い聞かせつつ、あたしはにっこりと笑ってみせた。



【ロスト 完】

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コードレス カント @drawingwriting

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