FileNo.3 ロスト-12

「ってか池尻、重い。下ろすぞ」


「え、あ。はい。すいません」


 私が下りた途端、前方の宙に浮いていた鉄屑の一つが、真っ直ぐ雷瑚氏に撃ち出された。が、彼女はひょいと体を仰け反らせて、それを軽やかに躱す。


「おっと、お気に召さなかったか? そいつぁ悪かったな。この通り、デリカシーにゃあ欠けてるもんでね」


「雷瑚さん、何を言って……それに、一体何がどうなって――」


「江戸時代中期。とある武家屋敷の主人が、下働きに一人の娘を雇った。すると、奇妙な出来事が次々に起こり始めた」


「はい?」


「派手な音がしたり、行燈や食器がバンバン飛び回ったり、ある時にゃ石臼が庭に吹っ飛んでいったこともあるらしい」


 雷瑚氏は白衣のポケットに両手を突っ込み、アーケード商店街の看板の方を見つめたまま続けた。


 その瞳は、強く青く輝いている。


「石臼だぜ? ぶち当たったら無事じゃ済まねえよ。で、雇った娘を元居た村に戻すと、騒ぎはピタッと収まった」


「あの、何の話をしてるんです?」


「女を怒らせると怖いって話さ。……な、栄絵」


 名を放った途端、周囲で激しく風が吹き荒れた。渦を巻くように吹き付ける風は、鉄塊やガラスの破片を、周囲の人々の悲鳴と共に天へと吸い上げていく。


「さ、さかえ? 栄絵って、この体の持ち主の――」


「ザッツライト。ま、心中はお察しするぜ。


 つまり、こういうことだ。事故に遭い、半死半生になった栄絵は、地縛霊に近い状態で意識をこの場に定着させてしまった。そこに、自分の体を持った別人が来た。こう思うわけだ。『そいつは本来はあたしの体だ。返せ』」


 えええ、と私は呟いていた。そんなことを言われても……いや、だが正当な体の所有者は東栄絵さんなのだから、至極真っ当なお怒りなのか?


「とはいえ、こりゃ仕方ねー話なんだぞ、栄絵。意識、つまり精神の剥がれた肉体なんざ、そのままじゃすぐに朽ちて死んじまう。恐らく、『だから』なんだよ。このオッサン――お前に半分守護霊みてーな形で憑いてた池尻が、お前の代わりに体に入り込んだのは。お前を死なせないためにな」


「そ、そうなんですか?」


「多分……多分な? お前が女子高生の体に潜り込みたい変態野郎だった可能性も無くはないが」


 びゅん、と風を切って、また鉄塊の一つが雷瑚氏に飛んだ。彼女はまた、それを軽く躱す。


「ふむ、こうしてあたしの言葉に反応してモノを投げつけてくるってことは、少なくともあたしの言葉は届いてるってことだな。それは恵まれたことだぞ、栄絵。霊体化して意思疎通できる奴は割と珍しい。誇っていいな。


 ただなぁ、ちょっとばかし今回のはやり過ぎだ。あたしが居たから良かったものの、このオッサン一人でノコノコここに来てたら、お前、自分の体を自分で叩き潰しちまうところだったんだぞ」


 強い風で、自身の白衣がバタバタと音を立てても、雷瑚氏は両手をポケットに突っこんだまま、口調を変えることなく続けた。この異常事態の中で平然としている彼女は、ある意味この横断歩道に於いて最も異端な存在だろう。そして、それを認識したからこそ、だろうか。


 巻き上げられたガラスの破片や鉄塊が、宙を亡者のように漂っていた鉄塊群に吸い寄せられ、鋭利な無数の棘を持つ、歪な球体へと変貌していく。私は顔から血の気が失せていくのを感じた。間違いない。


 今度こそ、確実に、殺す気だ。


「へえ。まだやる気か?」


 不敵に笑う雷瑚氏。そんな彼女に呼応するように、風が一際高く鳴いた。それは丁度、幼い少女の、ヒステリックな金切り声に似ていた。


 直後。


 むき出しの殺意を具現化したような歪な球体群が、四方八方から我々に撃ち出された。


「しょーがねえ奴だなぁ」


 しかし。


「ちょっと落ち着けよ」


 ――呟くように彼女が告げた刹那。全方位から、真っ青な光と共に、花火が炸裂したかのような爆音が轟いた。


 鼓膜が破れる程の衝撃が全身を貫くようにこだまし、足を掬い上げるような爆風が商店街を繋ぐ横断歩道に吹き荒ぶ。光と音と、眼と耳を一瞬で食い荒らすような事態に、私は耳を塞いで悲鳴を上げたが、隣の雷瑚氏は微動だにしない。夕陽を塗り潰す程の青い閃光を、スポットライトのように浴びながら。


 やがて。


「さあさ、御立合い」


 尾を引くような衝撃と閃光が収まってから、私は眼前の光景に、只々呆然とした。


「見ての通り、玩具は取り上げさせてもらったぞ」


 無い。


 消えた。


 数十と漂っていた鉄塊の亡者達。それらが全て、くすぶる様な煙を仄かに残して、宙から消え失せている。


「な……え?」


「つうかな、そもそも放置されてるブツとは言え、持ち主がいるんだぞ? いかんだろ、勝手にブン回すのは。……爆破したあたしが言うのも何だが」


 爆破? 爆破と言ったか? 鉄塊を? どうやって? ――私は混乱していた。何が何やら分からない。だから、雷瑚氏が気だるげにポケットから右手を取り出し、ボリボリと頭を掻きながら私を横目で見た時――その視線が下に向いているのに気づいて、自分がようやく、横断歩道にへたり込んでいることに気付いた。彼女はそれから、自身の足元に、何かカードのようなものを――メンコのような硬い紙を投げた。


 視線を向ける。


 ……真っ黒な紙だ。何も描かれていない。いや、正確に言えば、黒い絵の具で塗り潰されている……ようだ。


「あ、触るなよ、池尻。これ、呪われてるから」


「はい!?」


「さて栄絵、問題だ。よおく考えろ。あたしはお前の獲物を――仔細は省くが――遠隔爆破する手段を持ってる。そして、あたしは池尻を護ろうとする。よって、お前が池尻に一発くれてやるには、まずあたしをどうにかせにゃあならん。


 さぁどうする? そこらの乗用車でもぶつけてみるか? ま、それが出来りゃ、最初っからやってるだろうけどな」


 挑発するように雷瑚氏は笑う。見えない空へ向けて、青い瞳で。いつの間にか渦巻いていた風は消えていて、しかし肌の裏側をなぞるような冷気だけは強く充満している。夕陽は消えかけていた。夜までは後少し――まさに今、私たちは、昼と夜の境界に居る。


 やがて。


 不意に、空気が弛緩した。

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