FileNo.3 ロスト-08

「池尻亮、独身。生まれも育ちも東京で、大学卒業後は中小企業の家電メーカーに勤務。約一か月前に轢き逃げに遭い、病院に搬送された。……享年、三十二歳」


 低い声で、すらすらと、女性は私の来歴を語った。記憶がぐるぐると肉体に舞い混んでくる。その眩暈にも似た感覚に狂いそうになりつつ、私は尋ねていた。どうして。


「どうしてあなたは、私のことを」


「偶然、っつうのが一番妥当だろうな。お前、死ぬ前に落し物をしただろ?」


 顔を覆いながら、質問に頷く。その通りだ。私はあの交差点で、愚か極まりない失態を晒した。


「ちょっとした事情でな、あたしはその落し主を調べてたんだ。辿り着くのは割と簡単だったぜ。警察に行きゃ、引き取り主の記録が残ってるからな。お前の名前を知ったのはそこだ。で、その時、ついでに聞いた。落し物を引き取ったその帰りに、警察署の真ん前で、お前は暴走トラックに跳ねられて死んだ、ってな」


 ふう、と、女性は溜め息をついたようだった。それから一つ、呟くように言う。気の毒だったな、と。


「……恋人へのプレゼントだったんです」


 私は息を吐きながら言った。あの日、私は営業先から直帰することになり、その帰り道にあれを買った。週末に渡せるだろう――小さな幸福感を抱いていた私は、営業先から掛かってきた電話で現実に引き戻された。そして、道の端、植え込みの石垣の上に紙袋を置いたまま電話応対をして――そのまま、緊急で営業先に戻ることになり、急いでいた私は、プレゼントの入った紙袋を、その場に忘れた。


 仕事が終わって、忘れ物に気付いて、慌ててあの場を探していた私が、問題の紙袋を遺失物として警察署に届けた、と、丁度巡回していた警察官から聞けたのは、僥倖だったと言えるだろう。いや……最終的に私の人生の幕が下りたのは、あれを取りに行ったその帰り道なのだから、ある意味、あれが終わりのホイッスルだったのかも知れない。


「無事に手元に戻ってきたことが嬉しくて、視野が狭くなっていたのかも知れません。だから――」


「あーすまん、話を聞いてやりたいのはヤマヤマなんだが」


 顔を上げると、眼前の彼女は実にバツの悪そうな顔をしていた。何だろう。


「単刀直入に言う。お前、その体から出て行ってくれね?」


「え」


「え、じゃねーよ。いいか池尻、久々に肉体を得て混乱してるんだろうが、よおく考えろ。


 お前、死んだよな?」


 私は眼をパチパチと瞬かせて、やがて頷いた。その筈だ。事実、私はつい先ほど、その死の瞬間を思い出している。


「お前はオッサンだったな?」


「はぁ……心だけは若いつもりでしたが」


「うまく言おうとしてんじゃねーよ。自分の体見てみろ。明らかにオッサンのそれじゃねーだろーが」


 ……私は自らの掌を、腕を、入院着姿の細身の体をマジマジと眺めた。しばらくそうしてから、ふと思い立って胸部に手を当てようと――。


「そういうお約束はナシだ」


 白衣の女性は、私の両手をがっしりと掴んだ。すいません、と素直に謝ると、彼女はまた一つ溜息をついて、傍の棚に置かれていたスタンド型の鏡を私に示す。


「……これが、私」


「ちげーよ。お前が『居る』のは、ウチの高校の二年生、東栄絵の体だ」


 肩までの黒髪、柔らかな輪郭、若干だが細く、どこかキツイ性格が窺えるような目つき。だが目鼻立ちは整っていて、名も知れない量産型地下アイドルなんぞよりは十分に可愛らしい――鏡の中の人物に対し、私が抱いた印象は、それだった。白衣の彼女の言う通り、見覚えの無い――つまりは私ではない誰かの体だ。


「事実だけを述べるぞ。お前は死んだ。栄絵は数日前に事故に遭った。結果、栄絵の体に、死者であり霊体と化していたお前が入り込んだ」


「そう……そのようですね。ですが」


「さて、そこで推察其の一だ。普通に考えりゃ、お前は生きた人間の体をブン取って自分の物にしようとしてる悪霊と見て然るべきだろう。何せ、いたいけな女子高生の体を乗っ取って、事態を把握するや否や胸を揉もうとする変態野郎だからな」


「ちょっ、ちょっと待ってくださいそれは違うんですちょっとした好奇心というか出来心というかつまり」


「早口になるな! 余計怪しいっての。とにかく、あたしの要求はさっき言った通りだ。可及的速やかにその子の体から出ろ」


 しかし、出ろ、と言われても――私は困惑した。それは具体的に『どう』すれば為せるのだろう? それにそもそも、どうしてこの体に入ってしまったのか、私にはそれすら分からないのだ。


 ……いや、それに。そもそも。


「何か……何か、伝えたいことがあったような」


「思い出せるか?」

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