第31話『東京を覆い尽くす混沌の灰』

 狂気山脈から噴き出した火山灰は、高度2万メートルまで真っ直ぐ立ち昇り、灰の混じった噴煙は偏西風に乗ってわずか2時間で首都東京に到達。そして、東京の街を火山灰が覆いつくした。


 降り積もった火山灰は5センチの厚さにもなり、公共交通機関の停止、火力発電所も外気を取り込むためのHEPAフィルターが膨大の量の粉塵により機能不全となり、都内の電気供給は不安定なものとなった。


 銀星と虚子のすむ、千代田区は優先的に電気が供給され。また、虚子の住むマンションには、非常用発電装置というよりも、常用発電装置といっていいほどのガスタービン発電装置が備え付けられており、これによって電子機器の利用は最小限に抑えられた。


「ミーム。食料調達してきたぞ」


「ありがと、なの」


 公共交通機関が機能不全に陥ったものの、関東圏外からの食糧供給はすぐに復旧した。『富士山噴火時のシミュレーション』に従い、東京湾に船舶経由で届けられた食料を、人海戦術で運ぶというものであった。災害時のシミュレーションと準備が功を奏したことになる。


 真の意味で壊滅的な被害を被ったのは不動産業であろう。東京の人口は1000万人。持ち家率は50%。つまり残り50%にあたる500万人が、都内の不動産保有者にお金を支払っていることを意味する。ひきこもり問題は深刻な社会問題ではあるが、一方で都内に限定した話でこの問題を議論するのであれば、あくまでも『金銭面のみに限定した話』なら、子供が働かなくても困らない家庭が実は多く存在するのが東京の隠れた特徴の一つであった。


 だが、この富士山——狂気山脈の噴火による、火山灰の影響によって不動産価格は大幅に下落。不動産の賃貸収入で生きてきた勝ち組は、まったく異なる生き方を取らざる負えない事態となった。


 ——烏丸黄昏の、『ガラガラポン』のはじまりであった。

 

 大企業の影響も、甚大ではあるが、東京はあくまでも本社機能、つまり営業活動を行うための機能として置いていると企業が殆どであり、実際の工場機能は広大な施設を作ることが可能な中部、近畿、四国などの地方に構えることが殆どであった。このため製造業の工場機能は依然、継続稼働していたのは幸いであった。


 東京の街の上空を覆った灰色の雲は、狂気山脈以前の——いわゆる勝ち組の人間たちにこそ大きな災厄となったのであった。日常が、非日常に書き換えられ——だが、それでも日常は続いていく。


「おそと、灰色っぽいなの」


「だな。まぁ、元よりあんまり外出てなかったから関係ないけど。ミームのほうの商売は大丈夫か? 都内に住むのが難しいなら租界も考えようと思ってる」


「お金は、まったく問題ないなの。ボクにとっては、企業情報の入手は朝飯前なの。だから、未発表のインサイダー情報を入手すれば、株式の売買だけでもすぐに数十億単位のお金を動かせるなの」


「お金さまさまだな」


「なの。あんまり儲けすぎると目を付けられるから、あくまでも目立ち過ぎないように常識の範囲内で、株式売買をやっているなの。だけど、この目立たないようにする微調整がけっこー大変だったりするなの」


「へー。今回の件では儲けられたのか?」


「うーん。本来は、ここで儲けようとしても怪しまれないから、売買をすべきだったのかもしれないけど、不幸な人が出てきているから、やめたなの」


 虚子は基本的にまじめである。株式の売買も、市況に影響の出ない範囲での売り買いにとどめるし、ハッキングの目的も、都市伝説の怪異の情報収取にとどめている。自分自身の能力を、道徳心によって制限をかけているのだ。


「そういうとこ好きだぜ」


「——///なのなの。照れるなの」


「かわいいやつめ。ご褒美じゃ、ほれ食べろ」


 二股のかわいらしいピンクのプラスチックフォークで刺した、ポップドーナッツを虚子の口に放り込む。虚子は、あーんと口を開けてポップドーナッツを受け止める。


「そういえばさ、当初は東京の街——死んだように静かになると思ったんだけど、逆になんか活気がでているような気がするんだけど、気のせいかな?」


「気のせいじゃないなの。自殺の件数がほぼゼロに近くなっているなの」


「はぁ……それは、凄いなぁ。道を歩いていても、なんか気のせいか街ゆく人々の顔に、生気が宿っているというか、ほらさ、東京の街って歩いていても死んだような顔の人ばっかりみてたからさ、なんか違和感を感じるほどの変化だよ……」


「おそとはこんなに、灰色なのに、不思議なの」


「精神状態は、もしかして幾分かましになったのかね」


「人の心は難しいなの」


「今回の一件を見るとそう思うな。いざとなると、結構強いと思い知らされる」


「“人類の幸せを願うなら——人類がみんな等しく不幸になればいい”、こういう発言をした人が居たなの。いままでは、なんって心無い事をいう人だと考えていたなの」


「だけど、まぁ、実務的には真理かもしれないな。多くの人間を同時に幸せにすることは非常に難しいけど、一方で多くの人を不幸に陥れるのは、それと比べればはるかに簡単ではあるからなぁ……」


「でも、ちょっと不謹慎だから、この話はここでおーわーりー、なの」


「不謹慎厨めっ! 俺はミームのそういうところが好きだぞっ」


 銀星は虚子の頭頂部から、腰のあたりまで伸びている髪を優しくなでる。——銀色の絹のような髪の感触を味わいたいという下心もある。虚子もそれを理解しているが、どんな形であれ好意をもつ相手に可愛がってもらえるのは、悪い気はしないので特にそれを咎めるような事は無い。


「でもさ、ミームが関心を持っているのはそこじゃないだろ?」


「さすが、かーちんなの。名探偵なの」


 ちょっとだけ、深呼吸をしたあとに虚子は銀星に告げる。


「ボクでも追いきれないくらい都内での都市伝説の数が、尋常じゃない数に増えている、なの」

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